2017年12月25日月曜日

デフレの怖さ 7

 過去1997年と2014年消費税増税によりわが国GDPの約6割を占める消費が冷え込み景気が腰折れした。 そしていま二度の延期を経て2019年10月に8%から10%へと消費増税が予定されている。
 さらに2010年に民主党管直人政権が閣議決定した2020年までに基礎的財政収支プライマリー・バランス)を黒字化する目標が未だ生きていて取り消されていない。
 デフレ脱却のためこの目標を撤回すべしと主張する人が政府関係者にもいる。藤井聡内閣官房参与は自著『プライマリー・バランス亡国論』でアルゼンチンやギリシャを例に、プライマリー・バランス改善に向けて歳出削減や増税に踏み切れば、景気が冷え税収が減り、結果として財政が悪化すると警告している。
 一方政策当局は、財政健全化のためには増税やプライマリ-・バランス黒字化目標は必須であると主張する。

 だがわれわれは学者や政策当局の議論を俟つまでもなくデフレ時の緊縮財政は財政政策の禁忌であることを昭和恐慌の教訓から得ている。
 にもかかわらずなぜこれが生かされないのか。これが小論の核心テーマである。

 まず、わが国の金融や財政政策についてそれぞれの責任者はどう考えているのだろうか。
 麻生財務大臣は、当局の責任者として財政健全化は喫緊の課題であるという。ところが大臣就任以前の発言はこれと真逆である。 日本に債務問題はない。日本の国債は円建てでその90%以上を日本国民が買っているから。このような主旨を講演会などで発言している。
 黒田日銀総裁も総裁就任以前これと同じ類のことを文書で発信している。財務官時代の2002年4月30日アメリカ格付け会社による日本国債格下げに対し反論して曰く。
 ・ 自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。
 ・ マクロ的に見れば、日本は世界最大の貯蓄超過国
 ・ その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されている
 ・ 日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり外貨準備も世界最高

 このように政策当局の責任者は日本に財政の問題は無いと現在の主張と真逆の発言をしている。
 現在わが国の論調は、「債務が拡大し財政破綻のおそれがあり財政健全化は喫緊の課題である」との主張が大勢をしめる。
 上記政策責任者がそれを率先推進しているのもその原因の一つであろう。
 一方、彼らは本音として長引くデフレを脱却するには財政健全化などではなく緊縮財政を止め大胆な財政政策で景気を刺激しなければならない。
2%の物価目標を達成するためにも金融だけでなく財政の支援が必要であると考えているに違いない。
 彼らにしてみれば、こんなことは経済学者やエコノミストに言われるまでもなく100も承知200も合点のことだろう。 それが証左に財務大臣や日銀総裁に就任する前に自説を得意げに開陳しているではないか。わかっちゃいるけどそうしない、あるいはそうできない。

 なぜこういうことになるのか。繰り返し言おう。これが本問題の核心である。
 ここは社会科学の出番である。これによってはじめてこの問題が明らかになるであろう。
 日本は今も昔も、そして良くも悪くも官僚国家である。また空気が支配する社会でもある。
 ここにこの問題解決の糸口がある。これらを解明し課題のまとめとしよう。

2017年12月18日月曜日

デフレの怖さ 6

 消費者物価指数ときまって支給する給与データの推移をみるかぎりわが国は今なおデフレから脱却できていない。デフレがいかに怖いかも屡説した。だがデフレのなにが問題なのか、どうして危機なのか疑問に思う人もいるに違いない。それが原因でさしせまって困ったこともないからである。
 わが国のデフレについての現状認識をかいつまんでいえばこういうことになるだろう。

① 一部リフレ派エコノミストはデフレ脱却について具体策を提言している。その内容は昭和恐慌時の政策がベースとなっている。
② だが政治家や行政当局がこれらの声に対し真摯に対応しているようには見えない。
③ 国民も収入が増えないのは困るけど物価が安いのは悪いことではないとさして困っている様子でもない。
④ 失業率もこれ以上望めないほど理想に近い。失業者が少ないことは社会が安定していることの証だ。



 現状はたしかに問題があるようには見えない。だが、データの背景には懸念すべきことがある。
 失業率が低く平均賃金が上がらないのは企業が正規社員にかわりパート・アルバイトを増やしたからであり、物価が安いのはグローバル化による競争激化と需要不足が原因である。しかもこの傾向が20年もの長きに亘っていることである。
 仮にこの傾向が継続し無策に終始したとすればデフレスパイラルに陥るであろう。そうなれば悲惨だ。
 悲観的な見方をすれば、日本経済の現状は滝壷に落ち入る前の穏やかな水の流れである。やがては奈落の底が待ち構えている。
 かかる悪夢は予測し難い。1929年のアメリカ恐慌が世界大恐慌に発展すると予想した世界の指導者はだれ一人いなかったように。
 当時の井上準之助蔵相も1929年までのアメリカの繁栄をみて遅れじと金を解禁し、後にアメリカが恐慌になってもこれを一時的な反動と見た。

 殷鑑遠からず。昭和恐慌はわが国のデフレ対策のお手本である。ただ当時と今では環境が違うのでこれを考慮しなければならない。
 IMF集計によると、2016年末日本の対外純資産は349.1兆円で26年連続世界最大である。2位中国210.3兆円、3位ドイツ209.9兆円(機軸通貨国アメリカは947.2兆円の対外純債務) 

 過去の遺産による債権大国という意味では昭和恐慌より19世紀後半のイギリスに似ている。
 イギリスは18世紀後半から世界の工業国として君臨してきたが、19世紀後半不況に陥り、当時の新興国アメリカやドイツに追い上げられ競争力が低下した。
 産業転換が遅れイノベーションも興らず、高コスト体質で物が売れなくなり物価が下落した。
 市場利子率を上回る投資案件がなく需要不足からデフレとなり経済が長期にわたり停滞した。
 これを現在のわが国に照らせばこうなる。

 1 26年連続世界最大の債権大国であるため危機意識が希薄
 2 中国など新興国に追い上げられ産業転換が遅れ競争力が低下
 3 イノベーション分野でアメリカなどの後塵を拝している
 4 企業は需要不足で投資せず国債など購入している

 昭和恐慌時と大きく異なるのは現在わが国は19世紀後半のイギリスと同じく過去の蓄積による債権大国であることである。
 このため危機意識も乏しくデフレも長期化している。19世紀後半のイギリスは1873年から1896年まで約四半世紀デフレが続いた。その後も長期停滞が続きようやく回復に向かったのは1979年サッチャー首相登場からであった。
 過去の蓄積が変化への対応を遅らせた。わが国が今後ともイギリスの轍を踏むか否かは政策次第であるが現実をみれば楽観的にはなれない。
 なぜそうなのかどこに問題があるのか。本件については物事の表面だけを見ていても何も分からない。原因は背後に隠されている。

2017年12月11日月曜日

デフレの怖さ 5

 当時の経済学の主流は古典派経済学の「自由放任主義」であった。
 そのため世界恐慌も一時的な反動であり下手に公債を発行すればインフレを誘発するから成りゆきにまかせるべきという思想が支配的であった。
 秀才の誉れ高い井上蔵相は模範解答よろしくこれを忠実に実行した。不運なことに第一次世界大戦後、金本位制が行き詰まり世界恐慌がこれに追い討ちをかけた。それにもかかわらずこの現実を正しく認識せず金解禁に踏み切り、その結果大量の金流出と物価下落を招き「嵐に向かって窓を開けた」と言われた。
 緊縮政策に耐えればいずれ景気が上向くだろうとの予想に反し不況は益々深刻の度を増し農村や中小企業の疲弊は極度に達した。農家は借金地獄に陥り、街には失業者があふれた
 政府の指導もこれあり国民はこぞって倹約に努めたが景気は一向によくならない。政治家も役人も学者もみんな首を傾げた。どうしてなのか理由がさっぱり分からない。万事休し途方に暮れた。

 だが歴史上にっちもさっちもいかなくなると時として白馬の救世主が現れることがある。
 高橋是清その容貌から「ダルマさん」と親しみをもって呼ばれたこの人物がその役割を担って現れた、というより請われて現れた。
 困ったときの「ダルマさん」頼みで、当時度目の蔵相就任である。生涯では6度就任している。
 彼は経済理論より現実の産業の発展、国民生活の向上を最優先した。
 蔵相就任後ただちに金輸出禁止、兌換停止(紙幣と金の交換停止)を実行した。さらにそれまでの緊縮政策をかなぐり捨てリフレーション政策に切り替えた。

 「昭和7年夏の臨時議会で、一挙に財政支出の増額に踏み切った。
 満州事変の影響のもとで軍事費は昭和6年の8700万円から2億5000万円にふくれ上がり、血盟団事件や5.15事件の底流にあった農山漁村の救済のために予算は一挙に膨張して、昭和6年の14億9000万円から19億5000万円になった。
 その膨張はすべて公債の発行によってまかなわれねばならなかった。その公債のすべてを、いったん日本銀行が引き受けて、金融市場の余裕のある時期に、民間に売りわたす、日銀引受発行である。
 これは当時欠乏しきっていた資金を民間に流し、政府の必要とする財源を確保し、市中金利を引き下げるという『一石三鳥の妙手』(深井英五)であった。」
(中村隆英著講談社学術文庫『昭和恐慌と経済政策』)

 財政拡大、金融緩和、金輸出禁止、為替レート安定、これら一連の施策により日本経済は息絶え絶えの状態から輸出ならびに国内景気が回復し他国に先駆けデフレ脱出に成功した。
 高橋是清は随想禄でこう述べている。

 「緊縮という問題を論ずるに当たっては、まず国の経済と個人経済との区別を明らかにせねばならぬ。
 例えばここに一年五万円の生活をする余力のある人が、倹約して三万円をもって生活し、あと二万円はこれを貯蓄する事とすれば、その人の個人経済は、毎年それだけ蓄財が増えて行って誠に結構な事であるが、これを国の経済の上から見る時は、その倹約によって、これまでその人が消費しておった二万円だけは、どこかに物資の需要が減る訳であって、国家の生産力はそれだけ低下する事となる。
 故に国の経済より見れば、五万円の生活をする余裕ある人には、それだけの生活をしてもらった方がよいのである。
 さらに一層砕けて言うならば、仮にある人が待合行って、芸者を招んだり、ぜいたくな料理を食べたりして二千円を消費したとする。
 これは風紀道徳の上からいえば、そうした使い方をしてもらいたくは無いけれども、仮に使ったとして、この使われた金はどういう風に散らばって行くかというのに、料理代となった部分は料理人等の給料の一部分となり、又料理に使われた魚類、肉類、野菜類、調味品等の代価及びそれ等の運搬費並びに商人の稼ぎ料として支払われる。
 この分は、すなわちそれだけ、農業者、漁業者その他の生産業者の懐を潤すものである。
 しかしてこれ等の代金を受け取りたる農業者や、漁業者、商人等は、それをもって各自の衣食住その他の費用に充てる。
 それから芸者代として支払われた金は、その一部は芸者の手に渡って、食料、納税、衣服、化粧品、その他の代償として支出せられる。
 すなわち今この人が待合へ行くことを止めて、二千円を節約したとすれば、この人個人にとりては二千円の貯蓄が出来、銀行の預金が増えるあろうが、その金の効果は二千円を出でない。
 しかるに、この人が待合で使ったとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それがまた諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなって働く」(鈴木隆著文藝新書『高橋是清と井上準之助』)

 デフレ時の緊縮財政は禁断の政策である。この昭和恐慌が残した教訓を無にするほどわれわれは愚かであるとは思いたくない。さて現実はどうか。

2017年12月4日月曜日

デフレの怖さ 4

 昭和恐慌で最も被害を蒙ったのは農業であった。生糸の最大の輸出先アメリカの不況で価格は暴落し、輸出は激減した。これにより養蚕農家は壊滅的な打撃を受けた。都市近郊農家は不況で野菜価格が暴落し収入の途を絶たれた。
 物の値段は安くなるがそれにもまして収入が減る。失業者も続出し惨状は目を覆うばかりとなった。デフレスパイラルは経済的弱者を容赦なく叩きのめした。

 「土木事業や、日雇いなど副業収入が減少した。紡績や製糸の不況のために、娘の工場への出稼ぎもできなくなった。そのために農家は赤字になるものが多く、負債も激増していったのである。
 昭和4年現在についての調査によると、一戸当たりほぼ800~900円の負債があったといわれており、そのかなりの部分が頼母子講や高利貸しからの借金である。
 借金に苦しみぬいた農家は娘を遊里に身売りーーー数百円の前借金で年季奉公させるほどの苦境に追い込まれるものも多かった。
 それとともに弁当をもたない学童や、長期欠席の児童など、農家の窮乏はまことに激しかった。
 小学校の教員は町や村の雇用者であり、その俸給の源泉は地方税である。農家の収入源のために地方税の滞納が続出した結果、教員の俸給が不払いになった所や、教員の減俸を決議した所も続出するありさまであった。」
(中村隆英著講談社学術文庫『昭和恐慌と経済政策』)

 日本史に残るクーデター未遂・2.26事件はこのような社会環境下で発生した。
 「娘の身売りに代表されるような農村の窮乏は当然全社会的な反響を呼び起こした。
 昭和6年の三月事件に始まる青年将校のクーデター参加も、農村出身の新兵を教育するうちに、その出身家庭の窮状を聞いてこれに同情し、またこのままでは後顧の憂いが大きすぎて強い軍隊はできぬという素朴な正義感に発するものが多かった。」(前掲書)

 このような酷いデフレの原因はアメリカ大恐慌の影響のほかに当時のわが国の経済政策に起因している。
 浜口首相・井上蔵相体制下で執られたデフレ政策である。
このデフレ政策とは、一言でいえば緊縮財政である。その骨子は
① 第一次世界大戦以来財政は赤字続きゆえ政府も企業も家計も収入に見合った支出にしなければならない。
② さらに金輸出を禁止しているため為替が低下しているので金解禁して為替を上げなければならないがそのための準備として政府は財政を緊縮し、国民は消費を節約しなければならない。
③ かかる準備をして金解禁すれば通貨も物価もうまく調節される。

 金解禁についてその正当性を理路整然と述べている

 「日本が外国から物を沢山買いますと、その支払のために金貨が外国に流れ出て国内の金が減り、金利が高くなり物価が下落します。従て輸入は減ります。
 其の結果は金が外国に出ることは止まり、場合によっては外国から金が入ってきます。
 斯ういうようにして通貨、物価の天然自然の調節が行われるのであります。」
(井上準之助著千倉書房版『国民経済の立て直しと金解禁』)

 浜口・井上内閣は1929年のアメリカの不況はやがて治まるだろう、そして緊縮財政を堅持すればいずれ景気も持ち直すと予想していた。
 だが予想に反しアメリカの不況は世界を巻き込む大恐慌へと発展し、不運にもわが国の緊縮財政と重なり未曾有のデフレ不況となった。
 井上蔵相は、政府も企業も国民も一致団結して節約すれば景気が良くなるだろうと信じた。緊縮財政によって経済を鍛えれば合理化が推進され景気が回復するという信念のもとに執られた政策である。
 世界大恐慌と緊縮財政、この重なりが昭和恐慌というまれに見る悲劇をもたらした。
 ではその結末は、善後策はいかに講じられたか。