現実を直視すること、事実を事実として受け止めること。いつの時代にもすべてはここから始まる。時代が激しく動くときには特にこのことを忘れてはならない。
次に、現実に起こった事実を分析する、なぜそうなったか、その原因を見極めること。
このような考えでこのブログを重ねてまいりました。さいごに経済と安全保障という国を支える二本柱を俯瞰してこのブログを終えたいと思います。
まず日本経済について
昨年度の日本のGDPは世界で3位だが一人当たりでは26位、1990年代の日本のGDPは世界で第2位、一人あたりでは3~5位であった。
GDPだけでなく実質賃金が低迷していることは度々グラフ等で示してきた。ここ20年以上日本経済は明らかに停滞している。
原因を調べるに「川を上れ、海を渡れ」がある。歴史と海外事情を調べよということだが、経済の低迷は先進国ではわが国が突出しているためここでは歴史だけが対象となる。
明治以降日本は近代化を目指し国策として富国強兵を推進した。
日清、日露、第一次世界大戦と順調に荒波を潜り抜けたが第二次世界大戦で初めて日本は頓挫した。
完膚なきまでに叩きのめされた日本が戦後奇跡の復活を遂げたのは国民の努力と幸運が重なった結果である。
敗戦後わずか7年でサンフランシスコ講和条約で主権を回復し奇跡的といわれるほどの高度経済成長を成し遂げたのは、東西の冷戦構造と朝鮮戦争勃発という日本にとってこの上ない僥倖があったればこそである。
アメリカは共産主義陣営に対峙するため日本を後方戦力として必要とした。アメリカのこの政策が一旦は解体し抑え込んだ日本の旧体制が蘇える遠因となった。
第二次世界大戦まで日本は、天皇を中心に、そのまわりに陸軍、海軍、政治家、官僚、財閥がいるというシステムで機能していた。
敗戦を機に、天皇中心の国体は護持されたが、旧皇族の11宮家の廃止、陸海軍と財閥の解体、枢要な政治家のパージと旧体制の殆んどは音をたてて崩れた。
この中にあってただひとり官僚だけが無傷で生き残った。官僚が生き残ったのは戦争の直接の当事者でなかったこともあるがそれ以上にアメリカ軍が占領政策を円滑に行うため官僚を必要としたからであった。
この無傷で生き残った旧体制のままの官僚がリバイアサンの如く暴れまわり高度経済成長を演出したかと思うと一転これをつぶしにかかり日本経済を停滞に陥れた。
日本経済が20年以上もの長きにわたり低迷しているのは多くはこの官僚の振舞いに起因している。それには属人的なものとシステム上のものがある。
属人的理由
戦前の陸海軍の出世はほぼ卒業時の成績で決まった。経験とか実績は二の次三の次にされた。
この人事の弊害は悪名高いインパール作戦などの戦史で明らかにされている。
現実社会は多様でダイナミックで相互作用する。政治や経済にかかわるにはこのような社会に対応できる能力、現実感覚と的確な現状分析、変化に対応できる能力、優れた予測能力等が不可欠である。
多様でありダイナミックであり相互作用する生きた現実の政治や経済は偏差値教育の対象外である。偏差値秀才の高級官僚が最も不得手とする分野である。
自らも官僚出身で政治も経験した作家の堺屋太一氏は22年前の雑誌に現代官僚超無能論と題する論文を寄稿した。
その中で堺屋氏は、国民は高級官僚は選び抜かれた優秀な人と信じてきたがそれは幻想にすぎない、高級官僚の予測はこの10年当たったことがないと書いている。
優秀だと信じてきた人たちが実は愚かであったとは悲劇である。日本国民はいつこの悪夢から目覚めることができるのだろうか。
システム上の理由
裁量の余地が大きければそれに比例して恣意的な要素も大きくなる。
戦前、戦費を賄うために特別会計が編成された。この特別会計は一般会計とは別枠でしかも戦争が終わるまで会計報告の義務さえなかった。この特別会計のシステムが戦後も生き残り今に至っている。
今年度の一般会計予算は約101兆円である。一般会計と特別会計は重複している部分があるのでこれを考慮すれば一般会計約45兆円、特別会計約200兆円といわれている。
いわれている、といったのは誰もその額がはっきりとわからないからである。
一般会計は国会で審議されるが、特別会計は審議されない。額もはっきりせず審議もされなければ、不正の温床にならないと考えるほうがおかしい。
17年前、勇気ある石井紘基代議士は特別会計の不正を暴こうとして葬り去られた。これ以降、特別会計を熱心に追求する人はいなくなってしまった。
裁量の余地が大きいことはそれだけ恣意が働く、恣意が働けば公正を損なわれる。
このことは特別会計に限らない。税制や予算編成が恣意的に決定されたら国の経済がまともに回転するはずがない。
日本は官僚社会主義と揶揄される。この日本の社会システムは中国共産党顔負けの強固なシステムである。
殆どの日本人は官民問わずこのシステムに組み込まれそれなりに恩恵を受けている。その恩恵は中心に厚く周辺にいくほど薄い。
この盤石のシステムを改革するには将来世代に期待するほかないのかもしれない。
以上が日本経済が低迷している原因である。日本は国民主権の民主主義国とはいえチェック機能が働かず戦前の軍部の独走を許したのとまったく同じ構図で何ら変わっていない。
次に安全保障について
平和を愛さない人はいない。特に先の戦争の悲惨さを身をもって経験した人たちはみんな二度と戦争などしてはいけないと心の底から叫ぶ。
問題はどうすれば戦争を避けることができるかどうすれば平和を守ることができるかである。
憲法で平和宣言してもそれだけで戦争を避けることはできない。何が何でも平和を守らなければならないという主張は現実的ではない。
その主張を徹底すれば相手のどんな理不尽な要求でもすべて受け入れる覚悟がなければならないがそんなことができるはずがない。
第二次世界大戦までの戦争はほとんど平和主義者が戦争を招いた。外国の領土拡張要求に対し早期に対処せず後手になり戦争を招いた。
度々言及したようにナチスドイツの事例はその典型である。チャーチルは回顧録で記した、第二次世界大戦はやらなくて済んだ戦争である、早期にナチスに対処していれば戦争は回避できた、と。
日本のさしあたって平和の脅威は尖閣諸島であろう。尖閣諸島はその周辺に海底資源が発見される以前はさして注目されなかった。
だが資源の存在が確認され戦略的にも重要な島であることが分かってくると中国は俄然攻勢をかけてきた。
日米安保は日本の安全保障の基本である。これがあるからといって尖閣諸島の防衛を全面的に米軍に依存するのは危険である。日米安保に基ずく日本の防衛は日本の施政権が及ぶ範囲であり、施政権の解釈はいつでも変わり得るからである。
戦後74年にもなるがいまだに日本国民はアメリカに依存している。日米安保・地位協定のような不平等条約を唯々諾々と受け入れている。
カネがすべてという風潮がここまで日本人の魂を蝕んできた。戦後の自虐史観教育もさることながらそれ以上に国家に確固とした精神的機軸を欠いているからであろう。
条約上の不平等が未だに解消されないのも魂の独立を欠いているからである。これなくして真の独立とはなり得ない、たとえ政治的、経済的、軍事的に独立していようとも。
明治維新がそうであったようにいつの時代も世の中をかえるのは失うものは何もない人たちです。
そういう人たちが待望され活躍するときがいずれ訪れるでしょう。その時のために託したいこと、それは官僚社会主義と揶揄される戦前からつづく体制の打破およびアメリカからの魂の独立、それだけです。
2019年9月30日月曜日
2019年9月23日月曜日
科学の限界
「今世紀にはいって、科学が非常に進歩し、特に自然科学が最近になって、急激な発展をとげたことは、今更述べ立てるまでもない。
いわゆる人工頭脳のような機械ができたり、原子力が解放されたり、人工衛星が飛んだりしたために、正に科学ブームの世の中になった観がある。
そしてこの調子で科学が進歩をつづけて行くと、近い将来に人間のあらゆる問題が、科学によって解決されるであろう、というような錯覚に陥っている人が、かなりあるように思われる。」
(中谷宇吉郎著岩波新書『科学の方法』)
上の文は60年以上も前に日本人科学者が書いたものであるが日付が令和であっても何ら違和感はない。これにつづき科学が万能ではない理由を挙げている。
「もちろん科学は、非常に力強いものではあるが、科学が力強いというのは、ある限界の中での話であって、その限界の外では、案外に無力なものであることを、つい忘れがちになっている。
いわゆる科学万能的なものの考え方が、この頃の風潮になっているが、それには、科学の成果に幻惑されている点が、かなりあるように思われる。
これは何も人生問題というような高尚な話ではなく、自然現象においても、必ずしもすべての問題が、科学で解決できるとは限らないのである。
今日の科学の進歩は、いろいろな自然現象の中から、今日の科学に適した問題を抜き出して、それを解決していると見た方が妥当である。
もっとくわしくいえば、現代の科学の方法が、その実態を調べるのに非常に有利であるもの、すなわち自然現象の中のそういう特殊な面が、科学によって開発されているのである。」(前掲書)
たとえば著者は、人が火星へ行ける日がきても、テレビ塔の天辺から落ちる紙の行方を知ることはできないという。
前者は科学にとって有利であり実現の可能性があるが、後者は科学に適さず解明することはできない。そこに科学の偉大さとその限界とがあるという。
「問題の種類によっては、もっと簡単な自然現象でも、科学が取り上げ得ない問題がある。これは科学が無力であるからではなく、科学が取り上げるには、場ちがいの問題なのである。
自然科学というものは、自然のすべてを知っている、あるいは知るべき学問ではない。
自然現象の中から、科学が取り扱い得る面だけを抜き出して、その面に当てはめるべき学問である。
そういうことを知っておれば、いわゆる科学万能的な考え方に陥る心配はない。
科学の内容をよく知らない人の方が、かえって科学の力を過大評価しる傾向があるが、それは科学の限界がよくわかっていないからである。」(前掲書)
もっと踏み込んで言えば科学は人間にとって役に立つ範囲の自然の姿であって、自然の中に普遍的に存在する唯一の真理を追究するものではない。
科学が取り扱いやすい問題だけを扱い自然界の限られた面しか知らないのに、人間が科学の奴隷になりはしないかという心配まで出てくるのはおかしいではないかという疑問に対し著者は答える。
「自然科学が今日にように発達しても、まだまだ自然そのものについては、ほんの少ししか知識をもっていないのである。しかし科学が得意とする線の方向では、非常によく伸びている。
そしてその方向が人間の物質的な欲望と一致しているので、その威力が強く感ぜられるのである。」(前掲書)
科学の限界とは科学が再現可能な問題を扱うところからくる。別々の人間が、何度観測しても同じ結果が出る。そのことをもって科学ではほんとうのことであるという。
科学は科学の目でみるしか自然をとらえられない。科学とは大雑把にいってしまえばあることをいう場合に「ほんとうか」「ほんとうじゃないか」ということをいう学問である。 まさにそうした世界の分類の仕方が「科学の目でみるしかない」制約になっているのである。
昨今、AI が人間の仕事を奪ってしまうとか、人間が AI によって監視され奴隷のような存在になるとか懸念する論調がときどきあるが、どうやらそれは杞憂にすぎないようだ。
科学に限界があるからといって進歩しないわけではない。
「今日われわれは、科学はその頂点に達したように思いがちである。
しかしいつの時代でも、そういう感じはしたのである。その時に、自然の深さと、科学の限界とを知っていた人たちが、つぎつぎと、新しい発見をして、科学に新分野を拓いてきたのである。
科学は、自然と人間の協同作品であるならば、これは永久に変貌しつづけ、かつ進化していくべきものであろう。」(前掲書)
明治の有名な科学者であり随筆家でもあった寺田寅彦を師と仰ぐこの著者は、科学についてはただ妄信するのではなくどこまでなら適用できるのか、あるいはできないのか、その判断基準を自分なりに把握しておかなければならないことをわれわれに教えた。この教えは今も輝きを失っていない。
【お知らせ】このブログを始めて7年になります。突然ですが、都合により次回をもっておわりといたします。ここまで私のつたないブログにおつきあい頂きありがとうございました。
いわゆる人工頭脳のような機械ができたり、原子力が解放されたり、人工衛星が飛んだりしたために、正に科学ブームの世の中になった観がある。
そしてこの調子で科学が進歩をつづけて行くと、近い将来に人間のあらゆる問題が、科学によって解決されるであろう、というような錯覚に陥っている人が、かなりあるように思われる。」
(中谷宇吉郎著岩波新書『科学の方法』)
上の文は60年以上も前に日本人科学者が書いたものであるが日付が令和であっても何ら違和感はない。これにつづき科学が万能ではない理由を挙げている。
「もちろん科学は、非常に力強いものではあるが、科学が力強いというのは、ある限界の中での話であって、その限界の外では、案外に無力なものであることを、つい忘れがちになっている。
いわゆる科学万能的なものの考え方が、この頃の風潮になっているが、それには、科学の成果に幻惑されている点が、かなりあるように思われる。
これは何も人生問題というような高尚な話ではなく、自然現象においても、必ずしもすべての問題が、科学で解決できるとは限らないのである。
今日の科学の進歩は、いろいろな自然現象の中から、今日の科学に適した問題を抜き出して、それを解決していると見た方が妥当である。
もっとくわしくいえば、現代の科学の方法が、その実態を調べるのに非常に有利であるもの、すなわち自然現象の中のそういう特殊な面が、科学によって開発されているのである。」(前掲書)
たとえば著者は、人が火星へ行ける日がきても、テレビ塔の天辺から落ちる紙の行方を知ることはできないという。
前者は科学にとって有利であり実現の可能性があるが、後者は科学に適さず解明することはできない。そこに科学の偉大さとその限界とがあるという。
「問題の種類によっては、もっと簡単な自然現象でも、科学が取り上げ得ない問題がある。これは科学が無力であるからではなく、科学が取り上げるには、場ちがいの問題なのである。
自然科学というものは、自然のすべてを知っている、あるいは知るべき学問ではない。
自然現象の中から、科学が取り扱い得る面だけを抜き出して、その面に当てはめるべき学問である。
そういうことを知っておれば、いわゆる科学万能的な考え方に陥る心配はない。
科学の内容をよく知らない人の方が、かえって科学の力を過大評価しる傾向があるが、それは科学の限界がよくわかっていないからである。」(前掲書)
もっと踏み込んで言えば科学は人間にとって役に立つ範囲の自然の姿であって、自然の中に普遍的に存在する唯一の真理を追究するものではない。
科学が取り扱いやすい問題だけを扱い自然界の限られた面しか知らないのに、人間が科学の奴隷になりはしないかという心配まで出てくるのはおかしいではないかという疑問に対し著者は答える。
「自然科学が今日にように発達しても、まだまだ自然そのものについては、ほんの少ししか知識をもっていないのである。しかし科学が得意とする線の方向では、非常によく伸びている。
そしてその方向が人間の物質的な欲望と一致しているので、その威力が強く感ぜられるのである。」(前掲書)
科学の限界とは科学が再現可能な問題を扱うところからくる。別々の人間が、何度観測しても同じ結果が出る。そのことをもって科学ではほんとうのことであるという。
科学は科学の目でみるしか自然をとらえられない。科学とは大雑把にいってしまえばあることをいう場合に「ほんとうか」「ほんとうじゃないか」ということをいう学問である。 まさにそうした世界の分類の仕方が「科学の目でみるしかない」制約になっているのである。
昨今、AI が人間の仕事を奪ってしまうとか、人間が AI によって監視され奴隷のような存在になるとか懸念する論調がときどきあるが、どうやらそれは杞憂にすぎないようだ。
科学に限界があるからといって進歩しないわけではない。
「今日われわれは、科学はその頂点に達したように思いがちである。
しかしいつの時代でも、そういう感じはしたのである。その時に、自然の深さと、科学の限界とを知っていた人たちが、つぎつぎと、新しい発見をして、科学に新分野を拓いてきたのである。
科学は、自然と人間の協同作品であるならば、これは永久に変貌しつづけ、かつ進化していくべきものであろう。」(前掲書)
明治の有名な科学者であり随筆家でもあった寺田寅彦を師と仰ぐこの著者は、科学についてはただ妄信するのではなくどこまでなら適用できるのか、あるいはできないのか、その判断基準を自分なりに把握しておかなければならないことをわれわれに教えた。この教えは今も輝きを失っていない。
【お知らせ】このブログを始めて7年になります。突然ですが、都合により次回をもっておわりといたします。ここまで私のつたないブログにおつきあい頂きありがとうございました。
2019年9月16日月曜日
病気についての知識
わが国の医学は7世紀に中国から伝来した「漢方」と17世紀に長崎・出島のオランダ商館医を介して伝わった「蘭方」が礎である。
これが今日の東洋医学と西洋医学のそれぞれの起源である。
明治政府は1875年に医師免許を西洋医学の試験の合格者に限定した。これ以降西洋医学を習得しない限り医師となる道は閉ざされた。
漢方は正式な医学として認められず漢方医も西洋医学の試験に合格しない限り医師免許を与えられなかった。ただし医師免許を取得した者が漢方治療を施すことは禁じられなかった。
この制度は西洋医学を重視するもので東洋医学は補助的な位置づけである。
このようにわが国においては明治以降西洋医学優位の政策が採られそれは今日に至っても変っていない。
西洋医学の発展は目覚ましく半世紀前までには想像さえできなかった再生医療や臓器移植が行われるようになった。
一方、西洋医学の限界を指摘する医療関係者がいることも事実だ。
彼らは西洋医学と東洋医学はそれぞれの長所を生かし欠点を補う相互補完的であるべきだと主張する。
例えば、西洋医学はアトピー、花粉症、膠原病、うつ病など病因がはっきりしない病気に対応できていないという。
多くは自立神経系、免疫機構、内分泌系の疾患である。病因が未だ解明されていない「がん」もその内に入るかもしれない。
こういう疾患に対しては西洋医学だけでなく東洋医学もあわせて対応するべきであるという。こう主張する人は漢方医や免疫学者など医学界の少数派である。
これだけ医学が進歩しても原因がはっきりしない病気が多いこと自体驚きであるがそれだけ人体が複雑で神秘に充ちている証であろう。
腸についてもその働きのほんの一部しか知られていない。 腸について深く研究した解剖学者の藤田恒夫博士は腸はすべての臓器の土台であるという。
「動物の進化とともに目、鼻、耳などの感覚器が発達して、感覚性パラニューロンも、形と機能の両面で多様化する。
また血管系の発達によって、内分泌性パラニューロンも多彩になっていく。
このように私たちのからだの中にある、特殊な形や働きのニューロン、パラニューロンは、脳や感覚器や内分泌系が発達する過程で新しくつくられた。いわば『建て増し』された細胞である。
私たちのからだの、『ニューロン・パラニューロン・ビル』をこわして、建て増し部分を取り去っていくと、最後にこのビルの創業当時の部分が現れてくる。これが腸である。」
(藤田恒夫著岩波新書『腸は考える』)
つまり脳、心臓、肺、肝、手、脚その他すべては腸から発達したものである。
そして驚くべきことに腸は脳とは関係なく独自に判断し指令するという。
発達過程からいえば指令の大本は脳ではなく腸にあるかもしれない。
「この腸を顕微鏡でのぞいてみれば、上皮の中にはピラミッド状の基底顆粒細胞が、上皮の下には星形のニューロンが、いずれもヒドラの時代とたいして変わらない姿で働いているのだ。
彼らが信号物質として使っているペプチドも、長い進化の歴史のなかで、多少は種類がふえているほかは、ほとんど変わりばえがしない。
これらの細胞と信号物質は、ヒドラから五億年の生物進化の時間をこえて、私たちに伝えられてきた遺産である。」(前掲書)
脳の伝達手段はニューロン(神経細胞)だけであるが腸にはニューロンだけでなくホルモンペプチドもあることが分かった。
しかもあくまで仮説ではあるが指令のおおもとは脳ではなく腸であるという。
たとえば外部からの情報を腸や腸から派生した心臓がいち早くとらえこれをホルモンで脳に伝える。この情報を受け取った脳があらためて指令を出す。
仮にこの一連の情報指令の順序と手段がその通りであればこれまで考えられてきた脳と他臓器との関係が180度変わるコペルニクス的転回である。
ひどく立腹したとき、「頭にきた」などというが、昔の人は「はらわたが煮えくり返る」とか「腹に据えかねる」といった。「腹黒い」や「腹の中が読めない」などの言い回しは「脳」ではなく「腸」が主役である。
医学の最先端に諸説があるように病気治療にも諸説がある。情報があふれていてわれわれは何を信じ何を信じてはいけないのか迷うばかりである。
仮にこの迷路から抜け出す方法があるとすればそれはわれわれ自身が自分の頭もしくは自分の腹で決断できるよう熟慮を重ねるほかないのかもしれない。
これが今日の東洋医学と西洋医学のそれぞれの起源である。
明治政府は1875年に医師免許を西洋医学の試験の合格者に限定した。これ以降西洋医学を習得しない限り医師となる道は閉ざされた。
漢方は正式な医学として認められず漢方医も西洋医学の試験に合格しない限り医師免許を与えられなかった。ただし医師免許を取得した者が漢方治療を施すことは禁じられなかった。
この制度は西洋医学を重視するもので東洋医学は補助的な位置づけである。
このようにわが国においては明治以降西洋医学優位の政策が採られそれは今日に至っても変っていない。
西洋医学の発展は目覚ましく半世紀前までには想像さえできなかった再生医療や臓器移植が行われるようになった。
一方、西洋医学の限界を指摘する医療関係者がいることも事実だ。
彼らは西洋医学と東洋医学はそれぞれの長所を生かし欠点を補う相互補完的であるべきだと主張する。
例えば、西洋医学はアトピー、花粉症、膠原病、うつ病など病因がはっきりしない病気に対応できていないという。
多くは自立神経系、免疫機構、内分泌系の疾患である。病因が未だ解明されていない「がん」もその内に入るかもしれない。
こういう疾患に対しては西洋医学だけでなく東洋医学もあわせて対応するべきであるという。こう主張する人は漢方医や免疫学者など医学界の少数派である。
これだけ医学が進歩しても原因がはっきりしない病気が多いこと自体驚きであるがそれだけ人体が複雑で神秘に充ちている証であろう。
腸についてもその働きのほんの一部しか知られていない。 腸について深く研究した解剖学者の藤田恒夫博士は腸はすべての臓器の土台であるという。
「動物の進化とともに目、鼻、耳などの感覚器が発達して、感覚性パラニューロンも、形と機能の両面で多様化する。
また血管系の発達によって、内分泌性パラニューロンも多彩になっていく。
このように私たちのからだの中にある、特殊な形や働きのニューロン、パラニューロンは、脳や感覚器や内分泌系が発達する過程で新しくつくられた。いわば『建て増し』された細胞である。
私たちのからだの、『ニューロン・パラニューロン・ビル』をこわして、建て増し部分を取り去っていくと、最後にこのビルの創業当時の部分が現れてくる。これが腸である。」
(藤田恒夫著岩波新書『腸は考える』)
つまり脳、心臓、肺、肝、手、脚その他すべては腸から発達したものである。
そして驚くべきことに腸は脳とは関係なく独自に判断し指令するという。
発達過程からいえば指令の大本は脳ではなく腸にあるかもしれない。
「この腸を顕微鏡でのぞいてみれば、上皮の中にはピラミッド状の基底顆粒細胞が、上皮の下には星形のニューロンが、いずれもヒドラの時代とたいして変わらない姿で働いているのだ。
彼らが信号物質として使っているペプチドも、長い進化の歴史のなかで、多少は種類がふえているほかは、ほとんど変わりばえがしない。
これらの細胞と信号物質は、ヒドラから五億年の生物進化の時間をこえて、私たちに伝えられてきた遺産である。」(前掲書)
脳の伝達手段はニューロン(神経細胞)だけであるが腸にはニューロンだけでなくホルモンペプチドもあることが分かった。
しかもあくまで仮説ではあるが指令のおおもとは脳ではなく腸であるという。
たとえば外部からの情報を腸や腸から派生した心臓がいち早くとらえこれをホルモンで脳に伝える。この情報を受け取った脳があらためて指令を出す。
仮にこの一連の情報指令の順序と手段がその通りであればこれまで考えられてきた脳と他臓器との関係が180度変わるコペルニクス的転回である。
ひどく立腹したとき、「頭にきた」などというが、昔の人は「はらわたが煮えくり返る」とか「腹に据えかねる」といった。「腹黒い」や「腹の中が読めない」などの言い回しは「脳」ではなく「腸」が主役である。
医学の最先端に諸説があるように病気治療にも諸説がある。情報があふれていてわれわれは何を信じ何を信じてはいけないのか迷うばかりである。
仮にこの迷路から抜け出す方法があるとすればそれはわれわれ自身が自分の頭もしくは自分の腹で決断できるよう熟慮を重ねるほかないのかもしれない。
2019年9月9日月曜日
日本国憲法考 4
日本国憲法にははっきりとした機軸がない。機軸がなければ国としてまとまりに欠ける。
まとまりがない社会には規範がない。規範がなくモラルを欠いた社会は目標を見失う。
手っ取り早く信じられるのはカネということになるがカネは損得勘定であって社会の規範やモラルにはなり得ない。
中国、北朝鮮あるいは韓国から歴史問題を突きつけられて右往左往するのは歴史問題について日本に確固たる基盤がないからである。
イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーは
「12~13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」と言ったという。
この出典には疑問あるも云わんとする趣旨は理解できる。
たとえば人は尊敬する人や愛する人のことについて詳しく知りたいと思う。
恋人であれば彼氏あるいは彼女の些細なことまで知りたいと思うだろう。
一方、関心がない人についてはどうでもよいから詳しく知りたいなどと思わない。人はどうでもよいことに時間を費やすことなどしない。
これと同じで自国の歴史を知らないで真に自国を愛することなどできない。
戦後わが国は自国の歴史を詳しく学ぶことを禁じられた。
戦後わが国の歴史教育はGHQの指令の下にアメリカ教育使節団が作成した報告書がベースとなっている。
その報告書の教育の目的および内容という項目で、先の戦争は日本の愛国教育が原因でありこれを悪と定義し、国史、修身を停止するよう提言している。
戦後の歴史教育はこの報告書をもとに文部省と日教組を通じて行われ自虐史観が国民の間に広く深く浸透した。
戦後の日本人は自国の正しい歴史を知る機会を閉ざされただけでなく愛国心を悪と教えられ日本のことなどどうでもよいと考える風潮が生まれた。
機軸のない国家の必然の結果とはいえこのままで放置していいはずはない。
人間は自分の意志さえしっかりしていれば社会と関係なく生きていけると思う。
だが東西古今にわたりひろく社会科学を跋渉した小室直樹博士はそれは思い違いであるという。
「人間はともすれば、自分の自由意志で動いているようについ思ってしまう。
権威なんかなくても自分の頭だけで生きていけると思うわけですが、社会科学は『それは幻想にすぎない』ということを教えています。
人間とは社会的存在であって、本当の意味での『個人』は存在しないのです。
人間が生きていくためには、何らかのガイドラインがなければならない。
そのガイドラインとなるのが、規範であり、モラルなのですが、そうしたものを作るのが他ならぬ権威なのです。
もし、そうした権威がなくなってしまえば、その人は人間的に生きていくことが不可能になる。
ある人は猛獣のようになるし、ある人は植物のように動かなくなる。
それが急性アノミーであるというわけです。戦後の日本に起きたのは、まさしくこの急性アノミーでした。」
(小室直樹著集英社『日本人のための憲法言論』)
いま香港で起きている混乱は自由が奪われるという不安からきている。彼らにとって自由は規範でありモラルである。
あの過激なデモは彼らが信条としてきた自由という「権威」を守る戦いである。
明治時代伊藤博文は皇室を国家の機軸とした。これにより国民の力を結集して日本を近代化し目論見通り欧米に追い付くことができた。機軸の霊験あらたかその効果たるやかくのごとし。
イギリス国教会の弾圧を受けたピューリタンの精神がアメリカの誕生とその後の運命を決定した。
ナチスの苦い経験から新生ドイツはカント哲学の思想を憲法第一条に明記し機軸とした。
わが国ではいま憲法改正が問題となっているが機軸についての議論が一向に聞こえてこない。問題意識がないことの証左である。
GHQ主導の日本国憲法は機軸のない魂の抜け落ちた憲法である。これに入魂するのはいつの日か。
残念ながらこの問題は国家存亡の危機が訪れるまで議論の俎上に上ることさえないかもしれない。
だがその時になってからでは先の敗戦直後のように遅きに失する。この問題で議論が早すぎるということはない。
江戸時代の本居宣長は、師である賀茂真淵のアドバイスで古事記の研究をはじめ35年もの歳月を費やしこれを解読した。
その上で古事記は古代日本人の心情が現れた最上の書であると評価した。
仮に日本国憲法の機軸を日本の起源に求めるとすればそれは古事記をおいてほかにない。
まとまりがない社会には規範がない。規範がなくモラルを欠いた社会は目標を見失う。
手っ取り早く信じられるのはカネということになるがカネは損得勘定であって社会の規範やモラルにはなり得ない。
中国、北朝鮮あるいは韓国から歴史問題を突きつけられて右往左往するのは歴史問題について日本に確固たる基盤がないからである。
イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーは
「12~13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」と言ったという。
この出典には疑問あるも云わんとする趣旨は理解できる。
たとえば人は尊敬する人や愛する人のことについて詳しく知りたいと思う。
恋人であれば彼氏あるいは彼女の些細なことまで知りたいと思うだろう。
一方、関心がない人についてはどうでもよいから詳しく知りたいなどと思わない。人はどうでもよいことに時間を費やすことなどしない。
これと同じで自国の歴史を知らないで真に自国を愛することなどできない。
戦後わが国は自国の歴史を詳しく学ぶことを禁じられた。
戦後わが国の歴史教育はGHQの指令の下にアメリカ教育使節団が作成した報告書がベースとなっている。
その報告書の教育の目的および内容という項目で、先の戦争は日本の愛国教育が原因でありこれを悪と定義し、国史、修身を停止するよう提言している。
戦後の歴史教育はこの報告書をもとに文部省と日教組を通じて行われ自虐史観が国民の間に広く深く浸透した。
戦後の日本人は自国の正しい歴史を知る機会を閉ざされただけでなく愛国心を悪と教えられ日本のことなどどうでもよいと考える風潮が生まれた。
機軸のない国家の必然の結果とはいえこのままで放置していいはずはない。
人間は自分の意志さえしっかりしていれば社会と関係なく生きていけると思う。
だが東西古今にわたりひろく社会科学を跋渉した小室直樹博士はそれは思い違いであるという。
「人間はともすれば、自分の自由意志で動いているようについ思ってしまう。
権威なんかなくても自分の頭だけで生きていけると思うわけですが、社会科学は『それは幻想にすぎない』ということを教えています。
人間とは社会的存在であって、本当の意味での『個人』は存在しないのです。
人間が生きていくためには、何らかのガイドラインがなければならない。
そのガイドラインとなるのが、規範であり、モラルなのですが、そうしたものを作るのが他ならぬ権威なのです。
もし、そうした権威がなくなってしまえば、その人は人間的に生きていくことが不可能になる。
ある人は猛獣のようになるし、ある人は植物のように動かなくなる。
それが急性アノミーであるというわけです。戦後の日本に起きたのは、まさしくこの急性アノミーでした。」
(小室直樹著集英社『日本人のための憲法言論』)
いま香港で起きている混乱は自由が奪われるという不安からきている。彼らにとって自由は規範でありモラルである。
あの過激なデモは彼らが信条としてきた自由という「権威」を守る戦いである。
明治時代伊藤博文は皇室を国家の機軸とした。これにより国民の力を結集して日本を近代化し目論見通り欧米に追い付くことができた。機軸の霊験あらたかその効果たるやかくのごとし。
イギリス国教会の弾圧を受けたピューリタンの精神がアメリカの誕生とその後の運命を決定した。
ナチスの苦い経験から新生ドイツはカント哲学の思想を憲法第一条に明記し機軸とした。
わが国ではいま憲法改正が問題となっているが機軸についての議論が一向に聞こえてこない。問題意識がないことの証左である。
GHQ主導の日本国憲法は機軸のない魂の抜け落ちた憲法である。これに入魂するのはいつの日か。
残念ながらこの問題は国家存亡の危機が訪れるまで議論の俎上に上ることさえないかもしれない。
だがその時になってからでは先の敗戦直後のように遅きに失する。この問題で議論が早すぎるということはない。
江戸時代の本居宣長は、師である賀茂真淵のアドバイスで古事記の研究をはじめ35年もの歳月を費やしこれを解読した。
その上で古事記は古代日本人の心情が現れた最上の書であると評価した。
仮に日本国憲法の機軸を日本の起源に求めるとすればそれは古事記をおいてほかにない。
2019年9月2日月曜日
日本国憲法考 3
昨年末日本海において韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊のP-1哨戒機に対して火器管制レーダーを照射した問題が発生した。レーダー照射の明白な証拠があるにもかかわらず韓国はそれを認めなかった。
儒教の国韓国ならではの対応であり到底われわれには理解できない。
儒教の教えでは上にたつものは過ちがあってはならない。過ちを認めることは罪であり一過性ではすまない。
「無謬性の原則」は面子を重んずる儒教の国では当然のこととして受けとめられている。レーダー照射事件に対する韓国国民の反応がそのことを示している。
過去の過ちを「水に流す」日本的発想など通用するはずがない。
だがこの儒教の教えがわが国にも生きているところがある。官僚社会における「無謬性の原則」である。
戦後74年経ったいまもわが国が実質的な主権を回復できていない原因の一つはこの原則によるところが大きい。
この原則によって国家の主権は回復せず今後もその見通しさえたっていない。
残念ながらこのことを知っているのはごく一部の人に限られる。殆どの人はこのことによって直接的な被害を受けていないことまた会合が秘密裡におこなわれるためそれを知らない。
先進国と後進国あるいは戦争の勝者と敗者との間の条約は当初は殆どが強者に有利な不平等条約であるが徐々に正常な条約へと改定されていくのが一般的傾向である。
江戸幕府による日米和親条約、日米修好通商条約は不平等条約であったが明治政府になって長い道のりではあったが日米通商航海条約で不平等を是正した。
だが第二次大戦後の日米間の条約に限っていえば上のことはあてはまらない。
不平等はむしろ拡大している。アメリカによる政治家の買収工作と官僚の「無謬性の原則」がセットになって当初の不平等条約がその後一段と拡大する異常な事態になっている。
A級戦犯であった岸信介は巣鴨の刑務所から出所してわずか8年で新生日本の総理大臣にまで駆け上った。その裏にはアメリカの影があった。
「岸がCIAから巨額の『秘密資金』と『選挙についてのアドバイス』を受けていたことは、2006年にアメリカ国務省自身が認めており、すでに歴史的事実として確定しているのです」
(矢部宏治著講談社現代新書『知ってはいけない2』)
アメリカが意図してこの有能と見立てた官僚出身の政治家を狙い撃ちし巨額なカネの支援で総理大臣に仕立てたといったほうがより正確であろう。
買収された岸総理がアメリカの意向に逆らえなかったであろうことは容易に察することができる。
彼は期待に違わずアメリカの意向を着実に実行に移した。日米安全保障条約の改定をアメリカの意向に沿う形で改定し、アメリカに有利でかつ国民の目にふれてはまずいことは密約とした。さらに悪いことにこの密約を公式な記録として残さず後任に引き継がなかった。
日韓の徴用工問題で明らかになったように国と国との約束は守らなければならない。密約であっても国と国との約束に変わりはない。
密約を正式な記録として残しているアメリカとこれを残していない日本。このことがその後の交渉で大きく影響した。アメリカが攻め日本が防戦一方となりそれがいまも続いている。
なぜこういうことになったか。密約を公にせず正式に引き継がなかったためその弱点を交渉相手のアメリカから容赦なく攻められたからである。
前任者と違ったことをしてはいけない、謝ってはいけないのが官僚の掟。この伝統主義と無謬性の原則は官僚にとってその他一切に優先する上位規範である、たとえそれが国家の主権にかかわるものであっても。
日米安保条約の不平等を詳細に分析して世に知らしめた矢部宏治氏は言う。戦後日本におけるアメリカへの異様なまでの従属体制が70年たったいまもなぜまだつづいているのか、その鍵は安保改定のとき結ばれた事前協議または核密約、基地権密約、および朝鮮戦争・自由出撃密約以上3つの密約に隠されている。
これに関連して矢部氏は死期を悟った遺言書ともいえる村田良平元外務次官の回想録(2008年)を紹介している。
「核兵器を搭載する米国艦船や米軍機の日本への立ち寄り(略)には、事前協議は必要ないとの密約が日米間にあった」
「(その密約の趣旨を説明した)紙は次官室のファイルに入れ、次官を辞める際、後任に引き継いだ」
「90年代末、密約の存在を裏付ける公文書のことが米国で開示されたが、日本政府は否定した。
『政府の国会対応の異常さも一因だと思う。いっぺんやった答弁を変えることは許されないという変な不文律がある。謝ればいいんですよ、国民に。微妙な問題で国民感情もあるからこういう答弁をしてきたと。そんなことはないなんて言うもんだから、矛盾が重なる一方になってしまった』」
(矢部宏治著講談社現代新書『知ってはいけない2』)
残念ながらこの回想録はその後の日米交渉に影響することはなかった。
新安保は旧安保とほとんど変らず同一である。ただ一か所だけ重要なフレーズが追加されている。
新安保条約第6条の前段で米軍は日本の施設及び区域を使用することを規定し後段で
「前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。」
とあるがとくに最後の『及び合意される他の取極』という言葉が新安保条約で追加されている。
この意味するところは米軍と日本の官僚が秘密裡に行う非公開の委員会である「日米合同委員会」や「日米安保協議委員会」の取極も含まれることである。
矢部氏によると実務者協議である日米合同委員会はすでに1600回以上やっているという。
国民の知らない非公開の席で基地の使用権や軍の指揮権が決められている。
取極めをみる限り米軍の意向が優先されやりたい放題となっている。しかもこれに歯止めをかけるものがなにもない。 この状態は主権の放棄というより支配国と従属国との関係と言ったほうがより正確であろう。
このようなことが米軍と日本の官僚だけで行われそこには日米両国の正式な外交ルートを経ていない。日本国憲法の出番はなく神棚のお飾りとなっている。
儒教の国韓国ならではの対応であり到底われわれには理解できない。
儒教の教えでは上にたつものは過ちがあってはならない。過ちを認めることは罪であり一過性ではすまない。
「無謬性の原則」は面子を重んずる儒教の国では当然のこととして受けとめられている。レーダー照射事件に対する韓国国民の反応がそのことを示している。
過去の過ちを「水に流す」日本的発想など通用するはずがない。
だがこの儒教の教えがわが国にも生きているところがある。官僚社会における「無謬性の原則」である。
戦後74年経ったいまもわが国が実質的な主権を回復できていない原因の一つはこの原則によるところが大きい。
この原則によって国家の主権は回復せず今後もその見通しさえたっていない。
残念ながらこのことを知っているのはごく一部の人に限られる。殆どの人はこのことによって直接的な被害を受けていないことまた会合が秘密裡におこなわれるためそれを知らない。
先進国と後進国あるいは戦争の勝者と敗者との間の条約は当初は殆どが強者に有利な不平等条約であるが徐々に正常な条約へと改定されていくのが一般的傾向である。
江戸幕府による日米和親条約、日米修好通商条約は不平等条約であったが明治政府になって長い道のりではあったが日米通商航海条約で不平等を是正した。
だが第二次大戦後の日米間の条約に限っていえば上のことはあてはまらない。
不平等はむしろ拡大している。アメリカによる政治家の買収工作と官僚の「無謬性の原則」がセットになって当初の不平等条約がその後一段と拡大する異常な事態になっている。
A級戦犯であった岸信介は巣鴨の刑務所から出所してわずか8年で新生日本の総理大臣にまで駆け上った。その裏にはアメリカの影があった。
「岸がCIAから巨額の『秘密資金』と『選挙についてのアドバイス』を受けていたことは、2006年にアメリカ国務省自身が認めており、すでに歴史的事実として確定しているのです」
(矢部宏治著講談社現代新書『知ってはいけない2』)
アメリカが意図してこの有能と見立てた官僚出身の政治家を狙い撃ちし巨額なカネの支援で総理大臣に仕立てたといったほうがより正確であろう。
買収された岸総理がアメリカの意向に逆らえなかったであろうことは容易に察することができる。
彼は期待に違わずアメリカの意向を着実に実行に移した。日米安全保障条約の改定をアメリカの意向に沿う形で改定し、アメリカに有利でかつ国民の目にふれてはまずいことは密約とした。さらに悪いことにこの密約を公式な記録として残さず後任に引き継がなかった。
日韓の徴用工問題で明らかになったように国と国との約束は守らなければならない。密約であっても国と国との約束に変わりはない。
密約を正式な記録として残しているアメリカとこれを残していない日本。このことがその後の交渉で大きく影響した。アメリカが攻め日本が防戦一方となりそれがいまも続いている。
なぜこういうことになったか。密約を公にせず正式に引き継がなかったためその弱点を交渉相手のアメリカから容赦なく攻められたからである。
前任者と違ったことをしてはいけない、謝ってはいけないのが官僚の掟。この伝統主義と無謬性の原則は官僚にとってその他一切に優先する上位規範である、たとえそれが国家の主権にかかわるものであっても。
日米安保条約の不平等を詳細に分析して世に知らしめた矢部宏治氏は言う。戦後日本におけるアメリカへの異様なまでの従属体制が70年たったいまもなぜまだつづいているのか、その鍵は安保改定のとき結ばれた事前協議または核密約、基地権密約、および朝鮮戦争・自由出撃密約以上3つの密約に隠されている。
これに関連して矢部氏は死期を悟った遺言書ともいえる村田良平元外務次官の回想録(2008年)を紹介している。
「核兵器を搭載する米国艦船や米軍機の日本への立ち寄り(略)には、事前協議は必要ないとの密約が日米間にあった」
「(その密約の趣旨を説明した)紙は次官室のファイルに入れ、次官を辞める際、後任に引き継いだ」
「90年代末、密約の存在を裏付ける公文書のことが米国で開示されたが、日本政府は否定した。
『政府の国会対応の異常さも一因だと思う。いっぺんやった答弁を変えることは許されないという変な不文律がある。謝ればいいんですよ、国民に。微妙な問題で国民感情もあるからこういう答弁をしてきたと。そんなことはないなんて言うもんだから、矛盾が重なる一方になってしまった』」
(矢部宏治著講談社現代新書『知ってはいけない2』)
残念ながらこの回想録はその後の日米交渉に影響することはなかった。
新安保は旧安保とほとんど変らず同一である。ただ一か所だけ重要なフレーズが追加されている。
新安保条約第6条の前段で米軍は日本の施設及び区域を使用することを規定し後段で
「前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。」
とあるがとくに最後の『及び合意される他の取極』という言葉が新安保条約で追加されている。
この意味するところは米軍と日本の官僚が秘密裡に行う非公開の委員会である「日米合同委員会」や「日米安保協議委員会」の取極も含まれることである。
矢部氏によると実務者協議である日米合同委員会はすでに1600回以上やっているという。
国民の知らない非公開の席で基地の使用権や軍の指揮権が決められている。
取極めをみる限り米軍の意向が優先されやりたい放題となっている。しかもこれに歯止めをかけるものがなにもない。 この状態は主権の放棄というより支配国と従属国との関係と言ったほうがより正確であろう。
このようなことが米軍と日本の官僚だけで行われそこには日米両国の正式な外交ルートを経ていない。日本国憲法の出番はなく神棚のお飾りとなっている。
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