2019年9月30日月曜日

結びにかえて

 現実を直視すること、事実を事実として受け止めること。いつの時代にもすべてはここから始まる。時代が激しく動くときには特にこのことを忘れてはならない。
 次に、現実に起こった事実を分析する、なぜそうなったか、その原因を見極めること。
 このような考えでこのブログを重ねてまいりました。さいごに経済と安全保障という国を支える二本柱を俯瞰してこのブログを終えたいと思います。

 まず日本経済について
 昨年度の日本のGDPは世界で3位だが一人当たりでは26位、1990年代の日本のGDPは世界で第2位、一人あたりでは3~5位であった。
 GDPだけでなく実質賃金が低迷していることは度々グラフ等で示してきた。ここ20年以上日本経済は明らかに停滞している。
 原因を調べるに「川を上れ、海を渡れ」がある。歴史と海外事情を調べよということだが、経済の低迷は先進国ではわが国が突出しているためここでは歴史だけが対象となる。

 明治以降日本は近代化を目指し国策として富国強兵を推進した。
 日清、日露、第一次世界大戦と順調に荒波を潜り抜けたが第二次世界大戦で初めて日本は頓挫した。
 完膚なきまでに叩きのめされた日本が戦後奇跡の復活を遂げたのは国民の努力と幸運が重なった結果である。
 敗戦後わずか7年でサンフランシスコ講和条約で主権を回復し奇跡的といわれるほどの高度経済成長を成し遂げたのは、東西の冷戦構造と朝鮮戦争勃発という日本にとってこの上ない僥倖があったればこそである。
 アメリカは共産主義陣営に対峙するため日本を後方戦力として必要とした。アメリカのこの政策が一旦は解体し抑え込んだ日本の旧体制が蘇える遠因となった。
 第二次世界大戦まで日本は、天皇を中心に、そのまわりに陸軍、海軍、政治家、官僚、財閥がいるというシステムで機能していた。
 敗戦を機に、天皇中心の国体は護持されたが、旧皇族の11宮家の廃止、陸海軍と財閥の解体、枢要な政治家のパージと旧体制の殆んどは音をたてて崩れた。
 この中にあってただひとり官僚だけが無傷で生き残った。官僚が生き残ったのは戦争の直接の当事者でなかったこともあるがそれ以上にアメリカ軍が占領政策を円滑に行うため官僚を必要としたからであった。
 この無傷で生き残った旧体制のままの官僚がリバイアサンの如く暴れまわり高度経済成長を演出したかと思うと一転これをつぶしにかかり日本経済を停滞に陥れた。
 日本経済が20年以上もの長きにわたり低迷しているのは多くはこの官僚の振舞いに起因している。それには属人的なものとシステム上のものがある。
 属人的理由
 戦前の陸海軍の出世はほぼ卒業時の成績で決まった。経験とか実績は二の次三の次にされた。
 この人事の弊害は悪名高いインパール作戦などの戦史で明らかにされている。
 現実社会は多様でダイナミックで相互作用する。政治や経済にかかわるにはこのような社会に対応できる能力、現実感覚と的確な現状分析、変化に対応できる能力、優れた予測能力等が不可欠である。
 多様でありダイナミックであり相互作用する生きた現実の政治や経済は偏差値教育の対象外である。偏差値秀才の高級官僚が最も不得手とする分野である。
 自らも官僚出身で政治も経験した作家の堺屋太一氏は22年前の雑誌に現代官僚超無能論と題する論文を寄稿した。
 その中で堺屋氏は、国民は高級官僚は選び抜かれた優秀な人と信じてきたがそれは幻想にすぎない、高級官僚の予測はこの10年当たったことがないと書いている。
 優秀だと信じてきた人たちが実は愚かであったとは悲劇である。日本国民はいつこの悪夢から目覚めることができるのだろうか。
 システム上の理由
 裁量の余地が大きければそれに比例して恣意的な要素も大きくなる。
 戦前、戦費を賄うために特別会計が編成された。この特別会計は一般会計とは別枠でしかも戦争が終わるまで会計報告の義務さえなかった。この特別会計のシステムが戦後も生き残り今に至っている。
 今年度の一般会計予算は約101兆円である。一般会計と特別会計は重複している部分があるのでこれを考慮すれば一般会計約45兆円、特別会計約200兆円といわれている。
 いわれている、といったのは誰もその額がはっきりとわからないからである。
 一般会計は国会で審議されるが、特別会計は審議されない。額もはっきりせず審議もされなければ、不正の温床にならないと考えるほうがおかしい。
 17年前、勇気ある石井紘基代議士は特別会計の不正を暴こうとして葬り去られた。これ以降、特別会計を熱心に追求する人はいなくなってしまった。
 裁量の余地が大きいことはそれだけ恣意が働く、恣意が働けば公正を損なわれる。
 このことは特別会計に限らない。税制や予算編成が恣意的に決定されたら国の経済がまともに回転するはずがない。
 日本は官僚社会主義と揶揄される。この日本の社会システムは中国共産党顔負けの強固なシステムである。
 殆どの日本人は官民問わずこのシステムに組み込まれそれなりに恩恵を受けている。その恩恵は中心に厚く周辺にいくほど薄い。
 この盤石のシステムを改革するには将来世代に期待するほかないのかもしれない。
 以上が日本経済が低迷している原因である。日本は国民主権の民主主義国とはいえチェック機能が働かず戦前の軍部の独走を許したのとまったく同じ構図で何ら変わっていない。

 次に安全保障について
 平和を愛さない人はいない。特に先の戦争の悲惨さを身をもって経験した人たちはみんな二度と戦争などしてはいけないと心の底から叫ぶ。
 問題はどうすれば戦争を避けることができるかどうすれば平和を守ることができるかである。
 憲法で平和宣言してもそれだけで戦争を避けることはできない。何が何でも平和を守らなければならないという主張は現実的ではない。
 その主張を徹底すれば相手のどんな理不尽な要求でもすべて受け入れる覚悟がなければならないがそんなことができるはずがない。
 第二次世界大戦までの戦争はほとんど平和主義者が戦争を招いた。外国の領土拡張要求に対し早期に対処せず後手になり戦争を招いた。
 度々言及したようにナチスドイツの事例はその典型である。チャーチルは回顧録で記した、第二次世界大戦はやらなくて済んだ戦争である、早期にナチスに対処していれば戦争は回避できた、と。
 日本のさしあたって平和の脅威は尖閣諸島であろう。尖閣諸島はその周辺に海底資源が発見される以前はさして注目されなかった。
 だが資源の存在が確認され戦略的にも重要な島であることが分かってくると中国は俄然攻勢をかけてきた。
 日米安保は日本の安全保障の基本である。これがあるからといって尖閣諸島の防衛を全面的に米軍に依存するのは危険である。日米安保に基ずく日本の防衛は日本の施政権が及ぶ範囲であり、施政権の解釈はいつでも変わり得るからである。
 戦後74年にもなるがいまだに日本国民はアメリカに依存している。日米安保・地位協定のような不平等条約を唯々諾々と受け入れている。
 カネがすべてという風潮がここまで日本人の魂を蝕んできた。戦後の自虐史観教育もさることながらそれ以上に国家に確固とした精神的機軸を欠いているからであろう。
 条約上の不平等が未だに解消されないのも魂の独立を欠いているからである。これなくして真の独立とはなり得ない、たとえ政治的、経済的、軍事的に独立していようとも。

 明治維新がそうであったようにいつの時代も世の中をかえるのは失うものは何もない人たちです。
 そういう人たちが待望され活躍するときがいずれ訪れるでしょう。その時のために託したいこと、それは官僚社会主義と揶揄される戦前からつづく体制の打破およびアメリカからの魂の独立、それだけです。

0 件のコメント:

コメントを投稿