2019年9月23日月曜日

科学の限界

 「今世紀にはいって、科学が非常に進歩し、特に自然科学が最近になって、急激な発展をとげたことは、今更述べ立てるまでもない。
 いわゆる人工頭脳のような機械ができたり、原子力が解放されたり、人工衛星が飛んだりしたために、正に科学ブームの世の中になった観がある。
 そしてこの調子で科学が進歩をつづけて行くと、近い将来に人間のあらゆる問題が、科学によって解決されるであろう、というような錯覚に陥っている人が、かなりあるように思われる。」
(中谷宇吉郎著岩波新書『科学の方法』)

 上の文は60年以上も前に日本人科学者が書いたものであるが日付が令和であっても何ら違和感はない。これにつづき科学が万能ではない理由を挙げている。

 「もちろん科学は、非常に力強いものではあるが、科学が力強いというのは、ある限界の中での話であって、その限界の外では、案外に無力なものであることを、つい忘れがちになっている。
 いわゆる科学万能的なものの考え方が、この頃の風潮になっているが、それには、科学の成果に幻惑されている点が、かなりあるように思われる。
 これは何も人生問題というような高尚な話ではなく、自然現象においても、必ずしもすべての問題が、科学で解決できるとは限らないのである。
 今日の科学の進歩は、いろいろな自然現象の中から、今日の科学に適した問題を抜き出して、それを解決していると見た方が妥当である。
 もっとくわしくいえば、現代の科学の方法が、その実態を調べるのに非常に有利であるもの、すなわち自然現象の中のそういう特殊な面が、科学によって開発されているのである。」(前掲書)

 たとえば著者は、人が火星へ行ける日がきても、テレビ塔の天辺から落ちる紙の行方を知ることはできないという。
 前者は科学にとって有利であり実現の可能性があるが、後者は科学に適さず解明することはできない。そこに科学の偉大さとその限界とがあるという。

 「問題の種類によっては、もっと簡単な自然現象でも、科学が取り上げ得ない問題がある。これは科学が無力であるからではなく、科学が取り上げるには、場ちがいの問題なのである。
 自然科学というものは、自然のすべてを知っている、あるいは知るべき学問ではない。
 自然現象の中から、科学が取り扱い得る面だけを抜き出して、その面に当てはめるべき学問である。
 そういうことを知っておれば、いわゆる科学万能的な考え方に陥る心配はない。
 科学の内容をよく知らない人の方が、かえって科学の力を過大評価しる傾向があるが、それは科学の限界がよくわかっていないからである。」(前掲書)

 もっと踏み込んで言えば科学は人間にとって役に立つ範囲の自然の姿であって、自然の中に普遍的に存在する唯一の真理を追究するものではない。

 科学が取り扱いやすい問題だけを扱い自然界の限られた面しか知らないのに、人間が科学の奴隷になりはしないかという心配まで出てくるのはおかしいではないかという疑問に対し著者は答える。

 「自然科学が今日にように発達しても、まだまだ自然そのものについては、ほんの少ししか知識をもっていないのである。しかし科学が得意とする線の方向では、非常によく伸びている。
 そしてその方向が人間の物質的な欲望と一致しているので、その威力が強く感ぜられるのである。」(前掲書)

 科学の限界とは科学が再現可能な問題を扱うところからくる。別々の人間が、何度観測しても同じ結果が出る。そのことをもって科学ではほんとうのことであるという。
 科学は科学の目でみるしか自然をとらえられない。科学とは大雑把にいってしまえばあることをいう場合に「ほんとうか」「ほんとうじゃないか」ということをいう学問である。 まさにそうした世界の分類の仕方が「科学の目でみるしかない」制約になっているのである。

 昨今、AI が人間の仕事を奪ってしまうとか、人間が AI によって監視され奴隷のような存在になるとか懸念する論調がときどきあるが、どうやらそれは杞憂にすぎないようだ。

 科学に限界があるからといって進歩しないわけではない。

 「今日われわれは、科学はその頂点に達したように思いがちである。
 しかしいつの時代でも、そういう感じはしたのである。その時に、自然の深さと、科学の限界とを知っていた人たちが、つぎつぎと、新しい発見をして、科学に新分野を拓いてきたのである。
 科学は、自然と人間の協同作品であるならば、これは永久に変貌しつづけ、かつ進化していくべきものであろう。」(前掲書)

 明治の有名な科学者であり随筆家でもあった寺田寅彦を師と仰ぐこの著者は、科学についてはただ妄信するのではなくどこまでなら適用できるのか、あるいはできないのか、その判断基準を自分なりに把握しておかなければならないことをわれわれに教えた。この教えは今も輝きを失っていない。


 【お知らせ】このブログを始めて7年になります。突然ですが、都合により次回をもっておわりといたします。ここまで私のつたないブログにおつきあい頂きありがとうございました。

0 件のコメント:

コメントを投稿