サミュエル・ハンチントンは冷戦後の世界の争いは文明と文明が接する断層線(フォルトライン)で起こりやすいと指摘した。
この断層線は国際間だけとは限らない。アメリカ国内には新旧の断層線がありこれに沿ってトレンドが変わりつつあるとも言う。
この変化の種はすでに1960年代にまかれており今や唯一の超大国アメリカに翳を落としている。
1 民族性
ホワイト・アングロサクソンの民族性はその他からの移民の増加で実質的に消滅している。
2 人種
人種間の垣根が徐々に曖昧になり、白人という人種的アイデンティティの顕著性が下がっている。
3 文化
ヒスパニック社会の数が増えて影響力が増し、アメリカが英語とスペイン語の二言語およびアングロ・プロテスタントとラテンアメリカの二文化になっている。
4 自由と民主主義
エリートと一般大衆のあいだでナショナル・アイデンティティの格差が開いている。
ハンチントンが挙げたこの四つのトレンドはいづれもアメリカの内なるアイデンティティの危機である。
強力な国家が躓く原因は外敵の攻撃より内部の要因によることが多い。アメリカもその例外ではないようだ。
上の四つのトレンドの中でも特に自由と民主主義にかかわるトレンドはアメリカにとって深刻な懸念要素である。
「『愛国的な大衆』と『無国籍化したエリート』のあいだの違いは、価値観や哲学に関するその他の差異にも見られる。
ナショナル・アイデンティティに影響する内政および外交政策に関する問題で、主要な機関の指導者と大衆のあいだに広がる差異は、階級や宗派、人種、宗教、民族による区分を超えた重大なフォルトラインを形成している。
政府のなかでも民間においても、アメリカの支配者層はさまざまなかたちで、アメリカの大衆からいよいよかけ離れている。
アメリカは政治的には民主主義でありつづける。なぜなら、重要な公職が自由で公正な選挙を通じて選ばれるからだ。
だが、いろいろな意味でそれは選挙民を代表しない民主主義と化した。
何しろ、重要な問題では、とりわけナショナル・アイデンティティに関する問題では、指導者たちがアメリカの国民の見解とは異なる法律を通過させ、施行するからだ。
それにともなって、アメリカの国民は政治と政府からますます疎外されていった。
総じて、アメリカのエリートはアメリカの大衆にくらべてナショナリスティックな傾向が弱いだけでなく、リベラル色も強い。」
(サミュエル・ハンチントン著鈴木主税訳集英社『分断されるアメリカ』)
一部エリートと大衆の差は人種、宗教、民族などの差以上に深刻である。選挙民を代表しない選挙、選挙民を代表しない民主主義は社会制度の根幹にかかわる問題である。
アメリカ国民が建国以来信条とし誇りにもしてきた自由と民主主義の理念がほかでもないアメリカ人自身によって危機にさらされている。
いまでもアメリカは自由で民主主義であり続けるがそれは実態を欠いている。
1960年代から始まったメキシコやキューバなどラテンアメリカ諸国からの移民の多くはアメリカの文化に同化しない国外離散者(ディアスポラ)であった。
これら移民は全体としてはアメリカ経済に貢献したがアメリカの労働者の賃金を下げた。
アメリカの労働者の賃金が下がれば雇用者の利益が増大する。労働者から支配階級への所得の移転に他ならない。
1960年代以降この所得の移転が継続的に繰り返された。アメリカの支配階級が富を独占するまでに至った原因の一つにこの所得の移転があったことは確かであろう。
アメリカの上位1%のエリートが国富の半分を所有する社会は異常である。
このような社会では自由や民主主義の実態が伴なわず勢いが削がれる。分厚い中間層を欠けば成長には限りがある。
2019年5月27日月曜日
2019年5月20日月曜日
揺らぐアメリカ 4
アメリカが覇権国になり得たのはアメリカ社会に同化した移民の力によるところが大きい。彼らの貢献なければアメリカが覇権国になることもなかったであろう。
「同化は歴史的にアメリカがなしとげた大きな成功であり、なかでも文化面での同化がいちじるしく、それはおそらく最大の成功と言えるだろう。
同化によってアメリカの人口は増大し、大陸全体を支配するようになり、活力と野心にあふれ、献身的で有能な何百万人もの人びとが加わったことにより経済を発展させることにもなった。
これらの人びとは全面的にアメリカのアングロ・プロテスタント文化とアメリカの信条の価値観を信奉するようになり、アメリカを世界のなかの主たる勢力に押し上げた。
この功績は過去のいかなる社会にも類を見ないようなものだが、その根底には暗黙のうちに交わされた契約があり、ピーター・サランはそれを『アメリカ式の同化』と名づけた。 この暗黙の了解によると、移民がアメリカ社会に受け入れられるのは、英語を国語として受容し、アメリカ人としてのアイデンティティに誇りをもち、アメリカの信条の原則を信じ、『プロテスタントの倫理(自力本願で、勤勉、かつ道徳的に正しいこと)』にしたがって生きていればこそだった、とサランは主張する。
この『契約』の具体的な表現については、人は意見を異にするかもしれないが、その原則は1960年代にいたるまで何百万人もの移民をアメリカ化するなかで現実化したものの核心を突いている。」
(サミュエル・ハンチントン著鈴木主税訳集英社『分断されるアメリカ』)
アメリカは移民と同化の国である。同化とはアメリカ化を意味し、ほとんどアメリカの文化と似ているヨーロッパからの移民の同化である。
「比喩として適切なのはメルティング・ポッドではなく、ジョージ・スチュアートの言葉を借りれば、卑金属を貴金属に変える『トランスミューティング・ポッド』なのだ。」(前掲書)
ヨーロッパからの移民がいかにアメリカの発展に貢献したか、この比喩はそれを端的に表わしている。
だがこの移民の同化は1965年の移民改正法(ハート・セラー法)を境に様子が一変する。
1965年の同改正法は、出身国割り当て制限を撤廃し、西半球出身者と東半球出身者という大まかな枠で移民数を決定し、特別な技能を持つ人材を積極的に受け入れるようになった。
この改正法で極めて優秀な人や優先順位の高い労働者ほか望ましいスキルを持つ人にもビザが割り当てられた。
この改正法は米当局の目論見を大きく外れた。
自らも幼少期にキューバからの移民でおよそ三十年間経済学の世界で移民の研究に携わってきたハーバード大ケネディスクールのジョージ・ボージャス教授は言う。
「移民政策の変更がもたらす影響について専門家が予測するとき、その内容については懐疑的になるべきだ。
専門家がいかに予測を間違うのか、1965年の法改正はその典型的な例となった。
例えばロバート・ケネディ司法長官は、1964年の下院小委員会でアジア人移民の推移を尋ねられたとき、『最初の年は五千人の移民が見込まれるが、それ以降は大規模な移民の流入を予想していない』と自信ありげに述べた。
またその一年後、ニコラス・カッツェンバック司法長官は同委員会で次のように述べている。
『現在の西半球の国々(南北アメリカ)からの移民の数を見れば、こうした国々から米国へ移住しようとする勢いはそれほど強くはない。相対的に言えば、移住を希望する人々はそれほど多くはない』
結局、これらの予測は大きく外れた。彼らは、1965年以降の移民を特徴づける大きな二つの人口動態の変化を完全に見落としていた。
出身国としてアジアの存在感の増大とラテンアメリカからの移民の急増だ。」
(ジョージ・ボージャス著岩本正明訳白水社『移民の政治経済学』)
1965年の改正法は移民人口動態の分水嶺となった。地域別移住者数のグラフでもそのことがはっきりと分かる。
この移民人口動態の激変は当然のごとくアメリカ社会の労働市場や経済的利益に影響した。
その影響の度合いは時を経るごとに資本主義や民主主義の根幹を揺るがしかなないほど大きくなっていった。
1960年代はアメリカが世界で唯一の超大国に向けて成長していく最中にあったが、同時に凋落の種もまかれていた。
「同化は歴史的にアメリカがなしとげた大きな成功であり、なかでも文化面での同化がいちじるしく、それはおそらく最大の成功と言えるだろう。
同化によってアメリカの人口は増大し、大陸全体を支配するようになり、活力と野心にあふれ、献身的で有能な何百万人もの人びとが加わったことにより経済を発展させることにもなった。
これらの人びとは全面的にアメリカのアングロ・プロテスタント文化とアメリカの信条の価値観を信奉するようになり、アメリカを世界のなかの主たる勢力に押し上げた。
この功績は過去のいかなる社会にも類を見ないようなものだが、その根底には暗黙のうちに交わされた契約があり、ピーター・サランはそれを『アメリカ式の同化』と名づけた。 この暗黙の了解によると、移民がアメリカ社会に受け入れられるのは、英語を国語として受容し、アメリカ人としてのアイデンティティに誇りをもち、アメリカの信条の原則を信じ、『プロテスタントの倫理(自力本願で、勤勉、かつ道徳的に正しいこと)』にしたがって生きていればこそだった、とサランは主張する。
この『契約』の具体的な表現については、人は意見を異にするかもしれないが、その原則は1960年代にいたるまで何百万人もの移民をアメリカ化するなかで現実化したものの核心を突いている。」
(サミュエル・ハンチントン著鈴木主税訳集英社『分断されるアメリカ』)
アメリカは移民と同化の国である。同化とはアメリカ化を意味し、ほとんどアメリカの文化と似ているヨーロッパからの移民の同化である。
「比喩として適切なのはメルティング・ポッドではなく、ジョージ・スチュアートの言葉を借りれば、卑金属を貴金属に変える『トランスミューティング・ポッド』なのだ。」(前掲書)
ヨーロッパからの移民がいかにアメリカの発展に貢献したか、この比喩はそれを端的に表わしている。
だがこの移民の同化は1965年の移民改正法(ハート・セラー法)を境に様子が一変する。
1965年の同改正法は、出身国割り当て制限を撤廃し、西半球出身者と東半球出身者という大まかな枠で移民数を決定し、特別な技能を持つ人材を積極的に受け入れるようになった。
この改正法で極めて優秀な人や優先順位の高い労働者ほか望ましいスキルを持つ人にもビザが割り当てられた。
この改正法は米当局の目論見を大きく外れた。
自らも幼少期にキューバからの移民でおよそ三十年間経済学の世界で移民の研究に携わってきたハーバード大ケネディスクールのジョージ・ボージャス教授は言う。
「移民政策の変更がもたらす影響について専門家が予測するとき、その内容については懐疑的になるべきだ。
専門家がいかに予測を間違うのか、1965年の法改正はその典型的な例となった。
例えばロバート・ケネディ司法長官は、1964年の下院小委員会でアジア人移民の推移を尋ねられたとき、『最初の年は五千人の移民が見込まれるが、それ以降は大規模な移民の流入を予想していない』と自信ありげに述べた。
またその一年後、ニコラス・カッツェンバック司法長官は同委員会で次のように述べている。
『現在の西半球の国々(南北アメリカ)からの移民の数を見れば、こうした国々から米国へ移住しようとする勢いはそれほど強くはない。相対的に言えば、移住を希望する人々はそれほど多くはない』
結局、これらの予測は大きく外れた。彼らは、1965年以降の移民を特徴づける大きな二つの人口動態の変化を完全に見落としていた。
出身国としてアジアの存在感の増大とラテンアメリカからの移民の急増だ。」
(ジョージ・ボージャス著岩本正明訳白水社『移民の政治経済学』)
1965年の改正法は移民人口動態の分水嶺となった。地域別移住者数のグラフでもそのことがはっきりと分かる。
この移民人口動態の激変は当然のごとくアメリカ社会の労働市場や経済的利益に影響した。
その影響の度合いは時を経るごとに資本主義や民主主義の根幹を揺るがしかなないほど大きくなっていった。
1960年代はアメリカが世界で唯一の超大国に向けて成長していく最中にあったが、同時に凋落の種もまかれていた。
2019年5月13日月曜日
揺らぐアメリカ 3
アメリカ人がいかに信心深いか。このことはアメリカを知るうえで欠かせない。次に移民について正しく認識することが重要である。
アメリカについての多くの誤解は「アメリカは移民の国」であり人種も民族も文化も多種多様なものから構成されていると信じられていることだ。
これは一面の真実を語っているがアメリカのすべてを物語っているわけではない。
アメリカが移民の国であることに違いはないがそれがすべてではなくアメリカには別の顔がある。
「入植者と移民は根本的に異なっている。入植者は、一般に集団で既存の社会を離れ、たいていは遠くの新しい土地に、新しい共同体を、『山の上の町』をつくりだす。彼らは集団としての目的意識を吹きこまれているのだ。
入植者は、彼らが築く共同体の基礎と、母国にたいする集団としての関係を規定する契約または特許状に事実上もしくは正式に署名する。
一方、移民は新しい社会を築くわけではない。彼らは一つの社会から別の社会に移動するのだ。
移住は一般に個人や家族にかかわる個人的な行為であり、彼らは祖国と新しい国との関係を個人的に定義づけている。 17世紀および18世紀の入植者がアメリカにやってきたのは、そこが白紙の状態だったからだ。先住民の諸部族はいたが、絶滅させられるか西部へ追いやられ、彼ら以外はその地にどんな社会も存在しなかった。
そして入植者たちがやってきたのは、祖国からたずさえてきた文化と価値観を具体化し、それらを促進できる社会をつくるためだった。
のちに移民がやってきたのは、入植者が築いた社会に加わりたかったからだ。
入植者とは異なり、移民とその子孫は、自分たちがもちこんだ文化とはおおむね相容れない文化を吸収しようと試みるなかで『カルチャー・ショック』を味わった。」
(サミュエル・ハンチントン著鈴木主税訳集英社『分断されるアメリカ』)
入植者および2世、3世のアメリカ人と新たに移民となったアメリカ人との間には同化の程度によって明らかに違いがある。
この違いにお構いなく「アメリカは移民の国である」と片づけるのは乱暴すぎる。外国人だけでなくアメリカ人にもそういう人がいる。
次表は米国への地域別移住者数の推移である。
縦軸は外国人で永住権を取得した移民人数 (領土獲得に伴う住民およびプエルトリコからの460万人の居住者は含まず)
出典:アメリカ合衆国国土安全保障省その他データからMr Masaqui作成
第二次世界大戦まではアメリカへの移住者は殆どがイギリス出身者であった。
第二次大戦後から1960年ごろまではイギリス以外の西欧諸国出身者が主な移住者であった。
1960年主要5か国の移民
イタリア 1,257千人
ドイツ 990
カナダ 953
イギリス 833
ポーランド 748
ところが1970以降は主に中南米出身者が占めるようになった。
2000年主要5か国の移民
メキシコ 7,481千人
中国 1,391
フィリピン 1,222
インド 1,007
キューバ 952
(前掲書から)
アメリカについての多くの誤解は「アメリカは移民の国」であり人種も民族も文化も多種多様なものから構成されていると信じられていることだ。
これは一面の真実を語っているがアメリカのすべてを物語っているわけではない。
アメリカが移民の国であることに違いはないがそれがすべてではなくアメリカには別の顔がある。
「入植者と移民は根本的に異なっている。入植者は、一般に集団で既存の社会を離れ、たいていは遠くの新しい土地に、新しい共同体を、『山の上の町』をつくりだす。彼らは集団としての目的意識を吹きこまれているのだ。
入植者は、彼らが築く共同体の基礎と、母国にたいする集団としての関係を規定する契約または特許状に事実上もしくは正式に署名する。
一方、移民は新しい社会を築くわけではない。彼らは一つの社会から別の社会に移動するのだ。
移住は一般に個人や家族にかかわる個人的な行為であり、彼らは祖国と新しい国との関係を個人的に定義づけている。 17世紀および18世紀の入植者がアメリカにやってきたのは、そこが白紙の状態だったからだ。先住民の諸部族はいたが、絶滅させられるか西部へ追いやられ、彼ら以外はその地にどんな社会も存在しなかった。
そして入植者たちがやってきたのは、祖国からたずさえてきた文化と価値観を具体化し、それらを促進できる社会をつくるためだった。
のちに移民がやってきたのは、入植者が築いた社会に加わりたかったからだ。
入植者とは異なり、移民とその子孫は、自分たちがもちこんだ文化とはおおむね相容れない文化を吸収しようと試みるなかで『カルチャー・ショック』を味わった。」
(サミュエル・ハンチントン著鈴木主税訳集英社『分断されるアメリカ』)
入植者および2世、3世のアメリカ人と新たに移民となったアメリカ人との間には同化の程度によって明らかに違いがある。
この違いにお構いなく「アメリカは移民の国である」と片づけるのは乱暴すぎる。外国人だけでなくアメリカ人にもそういう人がいる。
次表は米国への地域別移住者数の推移である。
縦軸は外国人で永住権を取得した移民人数 (領土獲得に伴う住民およびプエルトリコからの460万人の居住者は含まず)
出典:アメリカ合衆国国土安全保障省その他データからMr Masaqui作成
第二次世界大戦まではアメリカへの移住者は殆どがイギリス出身者であった。
第二次大戦後から1960年ごろまではイギリス以外の西欧諸国出身者が主な移住者であった。
1960年主要5か国の移民
イタリア 1,257千人
ドイツ 990
カナダ 953
イギリス 833
ポーランド 748
ところが1970以降は主に中南米出身者が占めるようになった。
2000年主要5か国の移民
メキシコ 7,481千人
中国 1,391
フィリピン 1,222
インド 1,007
キューバ 952
(前掲書から)
米シンクタンクのピュー・リサーチセンターによる最近の調査ではアジア出身者が中南米を上回っている。
2016年主要4か国の移民
インド 126千人
メキシコ 124
中国 121
キューバ 41
同シンクタンクの予測によると2055年までにアジアが最大となり2065年の移民人口構成はつぎの通り。
アジア系 38%
ヒスパニック系 31%
白人系 20%
黒人系 9%
アメリカへの移住者は第二次世界大戦以降明らかにその出身地域が従来とは全く異なっている。
アメリカは第二次世界大戦後ソ連との冷戦に勝利し揺るぎない覇権国となった。それに至る過程で移民の存在は無視できない。
アメリカは第二次世界大戦後ソ連との冷戦に勝利し揺るぎない覇権国となった。それに至る過程で移民の存在は無視できない。
2019年5月5日日曜日
揺らぐアメリカ 2
アメリカ人がいかに信心深い国民であるか、米シンクタンク PEW RESEARCH CENTERの宗教心に関する調査でそのことが分かる。
下図は同シンクタンクが各国の一人当たりGDPと日々の生活で宗教が占める役割の比率を図表化した国際比較である。
(縦軸:2011~2013年宗教が日々の生活に占める役割比率 横軸:2013年一人当たりGDPーIMFdataから)
裕福になるほど信仰心が薄く貧しくなるほど信仰心が
篤くなる傾向にある。
日本を筆頭に先進諸国が比較的宗教に関心がない中でアメリカ人の宗教心の高さが際立っている。
なぜアメリカ人はこうも信仰に篤いのか。アメリカの歴史が短いからという見方もある。プロテスタントの比率が高いからという見方もある。そのいずれも的が外れている。
同じく歴史が短いオーストラリア、カナダはアメリカほど宗教に熱心でないしプロテスタントの比率が高いイギリス、ドイツでも同じことが言えるからである。
アメリカ人がなぜかくまでも信心深いか、その答えはアメリカという国家の誕生に由来している。
ここでもジークムント・フロイドの幼児体験がその後の行動を律するという法則が生きている。
自ら17世紀入植者の子孫であるアメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンは言う。
「17世紀の入植者がアメリカに共同体を築いたのは、これまで見てきたように、主に宗教的な理由からだった。
18世紀のアメリカ人とその指導者たちは、アメリカ独立革命について聖書にもとづく宗教的な見地から見ていた。
アメリカでは『聖書が文化を形成するうえで、ヨーロッパには例をみない役割を果たした・・・アメリカのプロテスタントはソラ・スクリプトゥラ(聖書のみ)の原則のもとに団結していた』。
独立革命は『神との契約』を反映していたのであり、それは『神の選民』とイギリスの『キリスト反対者』との戦いだった。
ジェファーソンやトマス・ペインをはじめとする理神論者や無信仰の人びとは、革命を正当化するには宗教の助けを借りる必要があると考えた。」
(サミュエル・ハンチントン著鈴木主税訳集英社『分断されるアメリカ』)
アメリカ人には伝統的に自らを古代イスラエルになぞらえる選民意識がある。
つぎの比喩はアメリカ人にとっても見当はずれではないだろう。
ワシントン将軍は旧約聖書の中の「預言者モーゼ」である。モーゼは人びとをエジプトから約束の地カナンに導いた。ワシントン将軍はイギリス軍を破り独立を勝ち取って約束の地アメリカに建国した。
使途パウロにあたるのが独立宣言と合衆国憲法を起草したジェファーソンである。
イエス・キリストは人びとの罪のために十字架で贖いの死を遂げた。エイバラハム・リンカーンは南北戦争という血によって国家の罪を贖い、自らは凶弾に倒れ犠牲の血でアメリカ再生への途を開いた。
アメリカは宗教の助けを借りて誕生した国である。宗教を否定することは国を否定するに等しい。
下図は同シンクタンクが各国の一人当たりGDPと日々の生活で宗教が占める役割の比率を図表化した国際比較である。
(縦軸:2011~2013年宗教が日々の生活に占める役割比率 横軸:2013年一人当たりGDPーIMFdataから)
裕福になるほど信仰心が薄く貧しくなるほど信仰心が
篤くなる傾向にある。
日本を筆頭に先進諸国が比較的宗教に関心がない中でアメリカ人の宗教心の高さが際立っている。
なぜアメリカ人はこうも信仰に篤いのか。アメリカの歴史が短いからという見方もある。プロテスタントの比率が高いからという見方もある。そのいずれも的が外れている。
同じく歴史が短いオーストラリア、カナダはアメリカほど宗教に熱心でないしプロテスタントの比率が高いイギリス、ドイツでも同じことが言えるからである。
アメリカ人がなぜかくまでも信心深いか、その答えはアメリカという国家の誕生に由来している。
ここでもジークムント・フロイドの幼児体験がその後の行動を律するという法則が生きている。
自ら17世紀入植者の子孫であるアメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンは言う。
「17世紀の入植者がアメリカに共同体を築いたのは、これまで見てきたように、主に宗教的な理由からだった。
18世紀のアメリカ人とその指導者たちは、アメリカ独立革命について聖書にもとづく宗教的な見地から見ていた。
アメリカでは『聖書が文化を形成するうえで、ヨーロッパには例をみない役割を果たした・・・アメリカのプロテスタントはソラ・スクリプトゥラ(聖書のみ)の原則のもとに団結していた』。
独立革命は『神との契約』を反映していたのであり、それは『神の選民』とイギリスの『キリスト反対者』との戦いだった。
ジェファーソンやトマス・ペインをはじめとする理神論者や無信仰の人びとは、革命を正当化するには宗教の助けを借りる必要があると考えた。」
(サミュエル・ハンチントン著鈴木主税訳集英社『分断されるアメリカ』)
アメリカ人には伝統的に自らを古代イスラエルになぞらえる選民意識がある。
つぎの比喩はアメリカ人にとっても見当はずれではないだろう。
ワシントン将軍は旧約聖書の中の「預言者モーゼ」である。モーゼは人びとをエジプトから約束の地カナンに導いた。ワシントン将軍はイギリス軍を破り独立を勝ち取って約束の地アメリカに建国した。
使途パウロにあたるのが独立宣言と合衆国憲法を起草したジェファーソンである。
イエス・キリストは人びとの罪のために十字架で贖いの死を遂げた。エイバラハム・リンカーンは南北戦争という血によって国家の罪を贖い、自らは凶弾に倒れ犠牲の血でアメリカ再生への途を開いた。
アメリカは宗教の助けを借りて誕生した国である。宗教を否定することは国を否定するに等しい。
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