ときおり匿名条件の対談で本音が語られる程度である。(1996年7月飛鳥新社テリー伊藤著『お笑い大蔵省極秘情報』など)
その点、元財務官の榊原英資氏の財務省寄りの財務省論は貴重な資料である。
彼は長年(34年間)の財務省勤務で自ら「親財務省」のバイアスがあると認め財務省論を展開している。
彼の財務官僚を中心とする公務員論についての骨子はおおよそつぎの4つに分類される。
1 日本の公務員は諸外国と比し少数精鋭である。
2 エリートは必要であり、これなくして国の発展はない。
3 立法・行政・司法の三権のうち実質上テクノクラートである官僚が立法と行政を担っており三権分立は名ばかりとなっている。
4 天下りは必要であり、民の子会社出向と同じく、これなくして人事はまわらない。
順次敷衍しよう
1 日本の公務員は極端に少ないと言う。
「日本の公務員は人口1000人あたりで先進国最少の42.2人です。アメリカは73.9人、フランスは95.8人ですから、他の先進国のほぼ半分です。しかも、国家公務員の数はさらに少なく、イギリス、フランスの四分の一前後なのです。(中略)
下図はOECD諸国の財政と公務員数の規模を図示したものです。
日本は財政規模も小さいのですが、公務員数ではOECD諸国中、最も少なくなっています。財政規模が日本より小さい、スイス・韓国・メキシコなども公務員数の規模では日本より大きいのです。」(PHP研究所 榊原英資著『公務員が日本を救う』)
2 榊原氏はエリートである官僚達、特に財務官僚が政治家を補佐し誘導しなければ、日本の政治・行政はおかしくなってしまうという。
「国家にとってエリートは必要です。そしてエリートであることを隠す必要はありません。常に努力をし、自らの知識と能力を磨き続けることは、エリートの条件です。(中略)
今の日本はそうしたエリートを必要としています。そしてその条件を備えているグループの最たるものは官僚、特に財務官僚たちでしょう。
ヨーロッパ、特にフランスでは日本のキャリア官僚にあたる官僚たちは日本以上にエリートとして扱われています。筆者は日本の財務官僚達もフランスのようにエリートとしての誇りを持ち、エリートとしての責任を果たすべきだと思っています。」(新潮新書 榊原英資著『財務省』)
3 一年に成立する法律のうち8~9割は政府提出のもの、つまり各官庁の官僚たちがつくったもの。国会は立法府であり、立法は国会議員に付託されているが実情は官僚に簒奪され、こと立法に関し政治家はロビイストにすぎないという。
「三権分立とはいうまでもなく、立法・行政・司法がそれぞれ独立しながら、その機能を果たし、全体として国を支えて行くシステムです。しかし、前述したように、立法と行政については事実上、国家公務員たちがその双方を担っているというのが日本の実際のシステムです。(中略)
それでは、立法府の国会議員は何をしているかということになります。じつは、国会議員の役割は、立法そのものよりも、立法に注文つけることなのです。
国家公務員たちと違って、彼らは選挙区を持ち、選挙民の意向を踏まえていますし、また、業界団体との結びつきもより強いケースが少なくありません。
そうしたネットワークを背景に、政務調査会や部会で、役人が中心となって作成する法律にさまざまな注文をつけるのです。」
(朝日新聞出版 榊原英資著『なぜ日本の政治はここまで堕落したのか』)
4 終身雇用、年功序列を原則とする日本の雇用システムのもとでは、天下りや再就職は必要なメカニズムであり、これを根絶することなど不可能であると榊原氏は言う。
「民間の場合は『天下り』などといって非難されることがないのに、どうして官庁の場合だけ、『天下り根絶』などと批判されるのか私には理解できません。(中略)
独立行政法人や公益法人には、今でも多くの官僚が再就職しています。
しかし、例外はあるにせよ、それは民間大企業の再就職と同様で、それなりに意味があり、当該法人にとってもプラスになる場合がほとんどです。
官庁だけは再就職はだめだといったら、役人は60歳、65歳まで役所に残るしかありません。そんな極端なことをいう政治家もいないではありませんが、それでは組織が機能しなくなることは明白です。
関連会社への再就職がスムーズにいってこそ、人事がうまく回っていくのです。」(前掲『公務員が日本を救う』)
そして榊原氏は中小企業を次のように切り捨てている。
「子会社や関連会社を持たない中小企業から見れば腹立たしいことかも知れませんが、だからこそ大学生は卒業時に大企業や官庁を目指すわけですし、いい大学に入ろうとするわけです。」
(前掲『財務省』)
官僚出身で、これほど率直に自説を述べる人は少ない。貴重な存在である。早速彼の説について検証しよう。