1972年にローマクラブが発表した「成長の限界」で人口は等比級数的に増加するが、食料は等差級数的にしか増加しない。
このため地球の成長は人口増加と環境汚染で100年以内に成長の限界に達すると警鐘を鳴らした。
1970年日本の人口は約1億500万人であった。当時でさえ人口密度は高すぎると言われた。わずか42年前である。
そして今、先進各国は人口減少は成長の妨げとばかりに少子化対策や移民政策に熱心である。
変わり身の速さといえば聞こえはいいが、まるで健忘症ではないか。
なぜこのようなことになったか。経済は永遠に成長し続けなければならないという脅迫観念にでもとりつかれたのかもしれない。
現実の問題として労働力人口の減少と社会保障費負担の増大が目の前に迫り懸念されている。
まず労働力人口の減少から
労働人口の減少で現在の経済活動が維持できなくなるといわれている。
が、人口変動を専門に研究している古田隆彦氏は、江戸中期の人口は1732年の3230万人をピークに、集約農業文明の限界と連続した大飢饉が重なり、子供を作るより自分を守るという本能的な人口抑制装置が作動し以後60年に渡って減り続けた。
人口は減ったが生産性を上げることによって米の生産量は変わらなかったと言う。
「江戸中期だけでなく、14世紀のヨーロッパでも同じことが起きています。このときの原因はペストです。
1340年頃に約7400万人に達したヨーロッパは、ペストが大流行し、たった10年間で約5100万人に激減するのです。
この後も減り、人口が回復するまでに150年かかっています。
これだけ働き手が減っても農業生産量は保たれていたのです。江戸と同じように工夫によって労働生産性を上げたのです。
イギリスでは人口の4割が減ったため、農業労働者の雇用賃金は高騰して、2倍になり、15世紀には農業労働者の黄金時代を迎えます。
ペストによって結果的には個人所得と生産性が両方共に上がったわけです。
この時代に比べればいまや工場は自動化、ロボット化され、労働生産性をさらに上げることは可能でしょう。
仮にGDP(国内総生産)がゼロ成長になっても、生産性を上げていけば、人口が減る分だけ個人所得は増えて、生活水準は高くなるのです。」(NIKKEIBP NET人口減少影響解説インタビュー2005.9.5)
次に社会保障費負担増大について
社会保障費負担増と少子化については、社会保障費とくに年金制度との関係で検討されるべき問題である。
日本の公的年金制度は戦後積み立て方式からスタートした。積み立て方式の年金制度は人口の増減との関連性はない。
少子化との関連性が言われるようになったのは年金積み立て方式の破綻がきっかけであろう。
花澤元厚生省年金課長が自身の厚生年金制度回顧録で臆面もなく「集めた年金保険料はどんどん使って、後で年金支払いのときに困るようなことになれば、賦課方式にすれば良い」と言った。
AIJ投資顧問の200億円以上の年金の損失は社会問題になったが、厚生省の年金積み立て欠損は90兆以上ともいわれ、「巨悪は眠る」を地でいくストーリだ。
年金問題の実態は未だ全貌が明らかにされたとは言えず、社会保険庁が悪かったとか管理が杜撰であったとか問題が矮小化されたままである。
このような場合、真の原因は他にある。花澤元厚生省年金課長の上述の言などは、その一つである。
最近になって少子化で人口減少がクローズアップされると、外国人労働者を受入れて、労働力人口を増やし年金制度を維持すべしとの論調が目立つ。
が、外国人労働者は年金制度維持に役立つどころか破綻に拍車をかける。
少なくともドイツの例では、
「社会保障費を補填してくれるはずだった外国人労働者たちは、多くのケースで、それを食い潰す存在になった。」(川口マーン恵美著講談社+α新書『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』)
ヒトはモノのようには扱えないのだから自然の帰結といえる。
この点でもドイツは反面教師となる。
労働力人口の減少や社会保障費負担増から派生する問題は、少子化問題を解決すればすべて解消するなどといった短絡的な考えでは通用しそうにない。
急がば回れ。さすれば解決の糸口も見出せよう。
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