イギリスは国民投票でEU離脱を選択した。
イギリス国民の判断は、拡大をつづけてきたEUが初めて逆方向にベクトルをかえた歴史的瞬間であるとともに大方の予想外の結果であった。為替・株価の動きがそれを物語っている。
わが国には遠く離れた欧州の政治情勢については拭い難い判断ミスの事例がある。
1939年8月予想だにしない独ソ不可侵条約が締結されて当時の首相 平沼騏一郎は ”欧州の天地は複雑怪奇なり” と今だに語り草となっているセリフを残して内閣総辞職した。
今回 大方の見方が外れたのはイギリス庶民の怒りを過小評価したせいとも言われている。
イギリスのEU離脱についてユンケル欧州委員長は 「友好的な離婚ではないが、そもそも親密な恋愛関係にあったことも決してなかった」と冷静に語っている。
これからEUとイギリス両者にとって、長い複雑な離婚協議となるだろうが、いつはじまるのかを含め未確定なことがあまりにも多い。
投票直後から英下院に対し再投票を求める請願があり署名が既に300万人を超えている。
イギリス国民投票は、理性と感情の戦いといわれた。政治的経済的なメリットを理性にうったえる残留派と移民を制限しEUから主権を取り戻すという感情にうったえる離脱派の戦いである。
感情にうったえる作戦が奏功した結果になったが、勝った離脱派は報道で知るかぎりイギリスの未来について確たる展望を描いているとも思えない。
今回の歴史的判断に関連して、EUの未来についてはさまざまな意見が飛び交っている。
イギリス国民の判断はオランダ、ドイツ、フランスの反EU勢力が勢いを増し、EU崩壊の糸口になるという論調の一方で、EUはこれをキッカケにますます結束がかたくなり磐石となる。イギリスこそスコットランドや北アイルランドはたまた首都ロンドンまでが独立志向し瓦解の危機に瀕するのではと述べ立てている。
様々な文化、宗教、人種の集合体からなりたっているEUの未来を予測するのは至難の業である。
が、風車に突撃するドン・キホーテにならいあえてこれを予測してみよう。
2016年6月27日月曜日
2016年6月20日月曜日
都知事辞任劇
東京都の舛添要一知事が6月21日付けで辞任することになった。
同知事は資金の使途が公私混同による政治資金規正法違反にあたるとして刑事告発されていた。
検察幹部によれば資金の使途は明らかで違法性を問うのは難しいという。
違法性がないにも拘らず辞任に追い込まれた発端は高額な出張旅費や公用車での別荘通いなど庶民感覚からズレた点を週刊誌に指摘されたことであった。
舛添氏はメディアの追及を強弁で切り抜けようとしたが、これがかえって都民の反発をまねき、ひいては都議会をも動かした。
都議会の追及は、都知事としての政策や職務遂行能力とは関係なく、もっぱら週刊誌が指摘した公金の使途などに終始した。
評論家の伊藤敦夫氏によれば、当時の大学受験生が受ける旺文社の全国大学入試模擬テストで彼は常に2~3番の成績であったという。
この手の秀才には落ちいりやすい陥穽がある。自らの地位は自らの努力でかちとったものであり他の誰のお世話にもなっていないという自負である。
どう振舞おうととやかく言われる筋合いはない。自ら勝ちとった権利を自らのために行使して何が悪い。
戦後日本のトップエリートにしばしば見られる自負意識である。
トップエリートの多くはこのような自負を表立ってあらわすことはないが、舛添氏の場合はそのような態度が素直に言動としてあらわれ非常にわかりやすい。ナイーブな人であるのだろう。
エリートも時代とともに変わる。戦前までのエリートはどうであったか。
村落に成績優秀な少年がいれば家族・親族はいうに及ばず篤志家もこれら少年を応援したという。
応援してもらった少年は出世の暁にはこれに報いるべく ”私” をすて ”公” のため粉骨砕身努力した。
現代では望むべくもないトップエリートのあるべき姿である。
この度の辞任劇ではメディアは異常といえるほど報道した。憧れ、嫉妬、憎悪、優越などさまざまな庶民感情をかきたてるわかりやすい事件のせいであったからであろう。
これで石原、猪瀬、舛添と三代つづいて東京都知事が任期中途で辞任した。このうち後二人は不祥事が原因で辞任したが、そのような知事を選出した有権者の選出責任を問う声は殆んど聞こえてこない。
それどころか醜聞がおきれば知事を選出した有権者も一緒になってそれを追いまわす。
このような醜聞を面白がる風潮は今にはじまったことではないようだ。
遠く大正期に芥川龍之介は ”醜聞” と題し皮肉をこめてこう評している。
「公衆は醜聞を愛するものである。
白蓮事件、有島事件、武者小路事件 - 公衆は如何にこれらの事件に無上の満足を見出したであろう。
ではなぜ公衆は醜聞を - 殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであろう?
グルモンはこれに答えている。
『隠れたる自己の醜聞も当り前のように見せてくれるから。』
グルモンの答えは中っている。が、必ずしもそればかりではない。
醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼らの怯懦を弁解する好個の武器を見出すのである。
同時にまた実際には存しない彼らの優越を樹立する。好個の台石を見出すのである。
『わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。』
『わたしは有馬氏ほど才子ではない。しかし有馬氏よりも世間を知っている』
『わたしは武者小路氏ほど・・・・・』 - 公衆は如何にこういった後、豚のように幸福に熟睡したであろう。」
(芥川龍之介著岩波文庫『侏儒の言葉』から)
今日の大衆もまた、テレビやネットで都知事辞任劇を見たあと 「わたしは舛添さんほど秀才ではない、しかし舛添さんよりも常識をわきまえている。」
といってその夜グッスリと眠りについたのだろうか。
同知事は資金の使途が公私混同による政治資金規正法違反にあたるとして刑事告発されていた。
検察幹部によれば資金の使途は明らかで違法性を問うのは難しいという。
違法性がないにも拘らず辞任に追い込まれた発端は高額な出張旅費や公用車での別荘通いなど庶民感覚からズレた点を週刊誌に指摘されたことであった。
舛添氏はメディアの追及を強弁で切り抜けようとしたが、これがかえって都民の反発をまねき、ひいては都議会をも動かした。
都議会の追及は、都知事としての政策や職務遂行能力とは関係なく、もっぱら週刊誌が指摘した公金の使途などに終始した。
舛添氏はメディアや都議会の追求を小理屈で切り抜けようとしたが、納得させるに至らずそこに彼の限界を垣間見る思いがする。
舛添氏は秀才中の秀才といっていい。評論家の伊藤敦夫氏によれば、当時の大学受験生が受ける旺文社の全国大学入試模擬テストで彼は常に2~3番の成績であったという。
この手の秀才には落ちいりやすい陥穽がある。自らの地位は自らの努力でかちとったものであり他の誰のお世話にもなっていないという自負である。
どう振舞おうととやかく言われる筋合いはない。自ら勝ちとった権利を自らのために行使して何が悪い。
戦後日本のトップエリートにしばしば見られる自負意識である。
トップエリートの多くはこのような自負を表立ってあらわすことはないが、舛添氏の場合はそのような態度が素直に言動としてあらわれ非常にわかりやすい。ナイーブな人であるのだろう。
エリートも時代とともに変わる。戦前までのエリートはどうであったか。
村落に成績優秀な少年がいれば家族・親族はいうに及ばず篤志家もこれら少年を応援したという。
応援してもらった少年は出世の暁にはこれに報いるべく ”私” をすて ”公” のため粉骨砕身努力した。
現代では望むべくもないトップエリートのあるべき姿である。
この度の辞任劇ではメディアは異常といえるほど報道した。憧れ、嫉妬、憎悪、優越などさまざまな庶民感情をかきたてるわかりやすい事件のせいであったからであろう。
これで石原、猪瀬、舛添と三代つづいて東京都知事が任期中途で辞任した。このうち後二人は不祥事が原因で辞任したが、そのような知事を選出した有権者の選出責任を問う声は殆んど聞こえてこない。
それどころか醜聞がおきれば知事を選出した有権者も一緒になってそれを追いまわす。
このような醜聞を面白がる風潮は今にはじまったことではないようだ。
遠く大正期に芥川龍之介は ”醜聞” と題し皮肉をこめてこう評している。
「公衆は醜聞を愛するものである。
白蓮事件、有島事件、武者小路事件 - 公衆は如何にこれらの事件に無上の満足を見出したであろう。
ではなぜ公衆は醜聞を - 殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであろう?
グルモンはこれに答えている。
『隠れたる自己の醜聞も当り前のように見せてくれるから。』
グルモンの答えは中っている。が、必ずしもそればかりではない。
醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼らの怯懦を弁解する好個の武器を見出すのである。
同時にまた実際には存しない彼らの優越を樹立する。好個の台石を見出すのである。
『わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。』
『わたしは有馬氏ほど才子ではない。しかし有馬氏よりも世間を知っている』
『わたしは武者小路氏ほど・・・・・』 - 公衆は如何にこういった後、豚のように幸福に熟睡したであろう。」
(芥川龍之介著岩波文庫『侏儒の言葉』から)
今日の大衆もまた、テレビやネットで都知事辞任劇を見たあと 「わたしは舛添さんほど秀才ではない、しかし舛添さんよりも常識をわきまえている。」
といってその夜グッスリと眠りについたのだろうか。
2016年6月13日月曜日
米大統領選挙予測
米大統領選挙はヒラリー・クリントンとドナルド・トランプの対決となり5ヶ月後には次期大統領が決定する。
1992年から2012年まで過去6回の米大統領選挙では、民主党4勝に対し共和党2勝であった。
選挙結果の内容をみると興味深い数字が浮かび上ってくる。米大統領選挙は州別の勝者総取り方式で選挙人総数538人である。
過半数の270人を集めれば大統領になれるが、過去6回に限っては民主党候補が取った州が選挙人242人、共和党は102人と州ごとに固定されていて圧倒的に民主党に有利である。
勝敗を決したのは選挙ごとにぶれるスイング州といわれる残りの19州の選挙人194人である。
スイング州の中でも大票田であるフロリダ29人とオハイオ18人は選挙の行方を左右した。
共和党不利のハンデを跳ね返し1999年の選挙で共和党候補から大統領に当選したジョージ・W・ブッシュはフロリダとオハイオのスイング2州で勝利している。
この選挙においてフロリダ州の選挙集計をめぐるトラブルは記憶に新しい。
因みにこの選挙はジョージ・W・ブッシュがアル・ゴアに一般投票で負けて選挙人投票で勝つという異例の結果でもあった。
さて今回はどうか。現時点で各種世論調査はクリントン候補有利と報じている。
英国の大手ブックメーカの一つウイリア・ムヒルの最新の賭け率はクリントン1.33 トランプ3.50 と圧倒的にクリントン勝利に賭けている。
過去6回の選挙で民主党の固定票ともいえる州の多さを考慮すれば当然の結果ともいえる。
過去の例から6ヶ月前の予測が大きく変わることがないともいう。
このことからもクリントン候補が勝つというのが妥当な予測であろう。
だが今回の選挙には意外性が潜んでいることも無視できない。
その一つが過去の民主党と共和党の対立構図がトランプ候補にはそのまま当て嵌まらないことである。
トランプ候補の主張は従来の共和党の政策と相容れずむしろ民主党の政策寄りである。
曰く、医療、年金の民営化拒否、公共事業推進、TPP反対、保護貿易、富裕層の増税など、どれをとっても民主党の政策そのものだ。このため共和党は事実上分裂の危機に瀕している。
トランプ候補の主張は民主党のクリントン候補以上に左派のサンダース候補の主張にちかい。このことは本選挙でトランプ候補がサンダース候補の支持票を奪いかねないことを意味している。
次にトランプ候補の属人的意外性である。
彼は意味のない演説を延々と、とてもアメリカ大統領候補にふさわしくない下品で野卑な言葉を使うが、票になるとおもえばそれまでの主張を変えるポピュリストである。
目的のためには手段を選ばないこの危うさは諸刃の剣で、票の獲得にどう左右するか蓋をあけてみなければわからないところがある。
格差に起因するアメリカ国民の不満の鬱積をどこまで吸収できるか。稀有なポピュリストの手腕の見せどころがそこにある。
今回の米大統領選挙は不毛の選択といわれる。嫌われもの同士の戦いとも。
クリントン候補が勝てば彼女の選挙資金の豊富さから政策のフリーハンドは望めずアメリカ社会の格差是正は掛け声だけに終わるだろう。
トランプ候補が勝てば国際社会は彼の品位のない言動を支持したとしてアメリカ国民のレベルを疑うだろうし、危うい人物が ”核のボタン” を握ったと懸念もするだろう。
それでもアメリカ国民はどちらかに投票しなければならない。
いまあえて選挙結果を予測すれば、よほどのことがない限りクリントン候補の勝利に揺るぎはないという見方に賛成する。
1992年から2012年まで過去6回の米大統領選挙では、民主党4勝に対し共和党2勝であった。
選挙結果の内容をみると興味深い数字が浮かび上ってくる。米大統領選挙は州別の勝者総取り方式で選挙人総数538人である。
過半数の270人を集めれば大統領になれるが、過去6回に限っては民主党候補が取った州が選挙人242人、共和党は102人と州ごとに固定されていて圧倒的に民主党に有利である。
勝敗を決したのは選挙ごとにぶれるスイング州といわれる残りの19州の選挙人194人である。
スイング州の中でも大票田であるフロリダ29人とオハイオ18人は選挙の行方を左右した。
共和党不利のハンデを跳ね返し1999年の選挙で共和党候補から大統領に当選したジョージ・W・ブッシュはフロリダとオハイオのスイング2州で勝利している。
この選挙においてフロリダ州の選挙集計をめぐるトラブルは記憶に新しい。
因みにこの選挙はジョージ・W・ブッシュがアル・ゴアに一般投票で負けて選挙人投票で勝つという異例の結果でもあった。
さて今回はどうか。現時点で各種世論調査はクリントン候補有利と報じている。
英国の大手ブックメーカの一つウイリア・ムヒルの最新の賭け率はクリントン1.33 トランプ3.50 と圧倒的にクリントン勝利に賭けている。
過去6回の選挙で民主党の固定票ともいえる州の多さを考慮すれば当然の結果ともいえる。
過去の例から6ヶ月前の予測が大きく変わることがないともいう。
このことからもクリントン候補が勝つというのが妥当な予測であろう。
だが今回の選挙には意外性が潜んでいることも無視できない。
その一つが過去の民主党と共和党の対立構図がトランプ候補にはそのまま当て嵌まらないことである。
トランプ候補の主張は従来の共和党の政策と相容れずむしろ民主党の政策寄りである。
曰く、医療、年金の民営化拒否、公共事業推進、TPP反対、保護貿易、富裕層の増税など、どれをとっても民主党の政策そのものだ。このため共和党は事実上分裂の危機に瀕している。
トランプ候補の主張は民主党のクリントン候補以上に左派のサンダース候補の主張にちかい。このことは本選挙でトランプ候補がサンダース候補の支持票を奪いかねないことを意味している。
次にトランプ候補の属人的意外性である。
彼は意味のない演説を延々と、とてもアメリカ大統領候補にふさわしくない下品で野卑な言葉を使うが、票になるとおもえばそれまでの主張を変えるポピュリストである。
目的のためには手段を選ばないこの危うさは諸刃の剣で、票の獲得にどう左右するか蓋をあけてみなければわからないところがある。
格差に起因するアメリカ国民の不満の鬱積をどこまで吸収できるか。稀有なポピュリストの手腕の見せどころがそこにある。
今回の米大統領選挙は不毛の選択といわれる。嫌われもの同士の戦いとも。
クリントン候補が勝てば彼女の選挙資金の豊富さから政策のフリーハンドは望めずアメリカ社会の格差是正は掛け声だけに終わるだろう。
トランプ候補が勝てば国際社会は彼の品位のない言動を支持したとしてアメリカ国民のレベルを疑うだろうし、危うい人物が ”核のボタン” を握ったと懸念もするだろう。
それでもアメリカ国民はどちらかに投票しなければならない。
いまあえて選挙結果を予測すれば、よほどのことがない限りクリントン候補の勝利に揺るぎはないという見方に賛成する。
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