2016年6月20日月曜日

都知事辞任劇

 東京都の舛添要一知事が6月21日付けで辞任することになった。
 同知事は資金の使途が公私混同による政治資金規正法違反にあたるとして刑事告発されていた。
 検察幹部によれば資金の使途は明らかで違法性を問うのは難しいという。
 違法性がないにも拘らず辞任に追い込まれた発端は高額な出張旅費や公用車での別荘通いなど庶民感覚からズレた点を週刊誌に指摘されたことであった。
 舛添氏はメディアの追及を強弁で切り抜けようとしたが、これがかえって都民の反発をまねき、ひいては都議会をも動かした。
 都議会の追及は、都知事としての政策や職務遂行能力とは関係なく、もっぱら週刊誌が指摘した公金の使途などに終始した。
 舛添氏はメディアや都議会の追求を小理屈で切り抜けようとしたが、納得させるに至らずそこに彼の限界を垣間見る思いがする。

 舛添氏は秀才中の秀才といっていい。
 評論家の伊藤敦夫氏によれば、当時の大学受験生が受ける旺文社の全国大学入試模擬テストで彼は常に2~3番の成績であったという。
 この手の秀才には落ちいりやすい陥穽がある。自らの地位は自らの努力でかちとったものであり他の誰のお世話にもなっていないという自負である。
 どう振舞おうととやかく言われる筋合いはない。自ら勝ちとった権利を自らのために行使して何が悪い。
 戦後日本のトップエリートにしばしば見られる自負意識である。
 トップエリートの多くはこのような自負を表立ってあらわすことはないが、舛添氏の場合はそのような態度が素直に言動としてあらわれ非常にわかりやすい。ナイーブな人であるのだろう。
 エリートも時代とともに変わる。戦前までのエリートはどうであったか。
 村落に成績優秀な少年がいれば家族・親族はいうに及ばず篤志家もこれら少年を応援したという。
 応援してもらった少年は出世の暁にはこれに報いるべく ”私” をすて ”公” のため粉骨砕身努力した。
 現代では望むべくもないトップエリートのあるべき姿である。

 この度の辞任劇ではメディアは異常といえるほど報道した。憧れ、嫉妬、憎悪、優越などさまざまな庶民感情をかきたてるわかりやすい事件のせいであったからであろう。

 これで石原、猪瀬、舛添と三代つづいて東京都知事が任期中途で辞任した。このうち後二人は不祥事が原因で辞任したが、そのような知事を選出した有権者の選出責任を問う声は殆んど聞こえてこない。
 それどころか醜聞がおきれば知事を選出した有権者も一緒になってそれを追いまわす。
 このような醜聞を面白がる風潮は今にはじまったことではないようだ。

 遠く大正期に芥川龍之介は ”醜聞” と題し皮肉をこめてこう評している。

 「公衆は醜聞を愛するものである。
 白蓮事件、有島事件、武者小路事件 - 公衆は如何にこれらの事件に無上の満足を見出したであろう。
 ではなぜ公衆は醜聞を - 殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであろう? 
 グルモンはこれに答えている。
 『隠れたる自己の醜聞も当り前のように見せてくれるから。』 
 グルモンの答えは中っている。が、必ずしもそればかりではない。
 醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼らの怯懦を弁解する好個の武器を見出すのである。
 同時にまた実際には存しない彼らの優越を樹立する。好個の台石を見出すのである。
 『わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。』 
 『わたしは有馬氏ほど才子ではない。しかし有馬氏よりも世間を知っている』 
 『わたしは武者小路氏ほど・・・・・』 - 公衆は如何にこういった後、豚のように幸福に熟睡したであろう。」
(芥川龍之介著岩波文庫『侏儒の言葉』から)

 今日の大衆もまた、テレビやネットで都知事辞任劇を見たあと  「わたしは舛添さんほど秀才ではない、しかし舛添さんよりも常識をわきまえている。」 
 といってその夜グッスリと眠りについたのだろうか。

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