国際会議などで通訳を介さないと意思疎通できない心もとない日本代表の姿をテレビニュースなどで見かけることがある。
かかることを心配してか、文部科学省は、今や実質国際語となった英語によるコミュニケーション能力向上を目指すべく立ち上がった。
先月20日中央教育審議会の総会が開かれ、下村博文文部科学相は小・中・高校の学習指導要領の改定について諮問した。
諮問内容の一つに小学校高学年からの英語教科化の議論が進められ、東京五輪が開催される平成32年度からの新指導要領の実施を見据え、早ければ平成28年度に答申されることになった。
注目すべきは、小学校3年生からの英語活動開始と5年生からの英語教科化である。
その目的はグローバル化に対応した人材育成が急務となったためという。
下村文科相が特記として見直しを諮問している内容の一部は下記の通り
「グローバル化する社会の中で,言語や文化が異なる人々と主体的に協働していくことができるよう,外国語で躊躇(ちゅうちょ)せず意見を述べ他者と交流していくために必要な力や,我が国の伝統文化に関する深い理解,他文化への理解等をどのように育んでいくべきか。
特に,国際共通語である英語の能力について,文部科学省が設置した「英語教育の在り方に関する有識者会議」の報告書においてまとめられた提言も踏まえつつ,例えば以下のような点についてどのように考えるべきか。
・小学校から高等学校までを通じて達成を目指すべき教育目標を,「英語を使って何ができるようになるか」という観点から,四技能に係る一貫した具体的な指標の形式で示すこと
・小学校では,中学年から外国語活動を開始し音声に慣れ親しませるとともに,高学年では,学習の系統性を持たせる観点から教科として行い,身近で簡単なことについて互いの考えや気持ちを伝え合う能力を養うこと
・中学校では,授業は英語で行うことを基本とし,身近な話題について互いの考えや気持ちを伝え合う能力を高めること
・高等学校では,幅広い話題について発表・討論・交渉などを行う能力を高めること」
(初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について『諮問』26文科初第852号平成26年11月20日中央教育審議会)
明らかに英語による日本人のコミュニケーション能力不足を意識した諮問内容となっている。
思考の基礎は母国語による。
このことは日本に限らずどの国においてもそうであろう。
未だ母国語である日本語の習熟過程にある小学生段階から外国語である英語を学ばせるには無理がある。
基礎ができていないものにいきなり高度な応用編を学ばせるようなものだ。
思考の基礎を阻害するだけでなく、外国語学習の発展をも阻害する。なぜなら外国語学習といえども母国語という土台あっての学習であるからである。
なぜ文科省は短兵急にこのような諮問をなげかけたのだろうか。
一にも二にもコミュニケーションを重視するあまり大事なものを見失っていないだろうか。
小・中学校段階からかかるコミュニケーション重視の教育に偏重したら肝心の高校でめざす「発表・討論・交渉などをおこなう能力を高めること」に資することにはならない。
なぜなら英語教育の基礎である日本語に裏打ちされた読み・書きを無視し、文法・構文を等閑に付しているからである。
まさかコマーシャルにあるように”英語のシャワーを浴びるだけで英語が話せるようになる”や旅行英会話や立ち話を流暢に話せることが英語教育の目的と考えているわけではあるまい。
日本人で語学の達人といわれ英語を母国語とする人よりも英語がうまいといわれた人たちがいた。
岡倉天心、新渡戸稲造、南方熊楠などがその英語の達人いわれた人たちである。
これらの人に共通する語学習得方法がある。それは名文の素読、暗誦である。南方熊楠はさらに筆写にこだわったといわれている。また英語を学び始めた時期はけして早くからではない。せいぜい現在と同じく中学生からである。
彼らは英語の名文を反復暗誦し英語の基礎を体得した。昔の日本人が漢語を素読したように英語を素読したのである。
あたかもプロ野球の選手が繰り返しノックを受け体で守備を体得するのに似ているといったらいいか。
彼らは、この方法により日本語と構成がまるで異なる英語の基礎を習得しその後ネイティブ以上に英語の達人になった。
文科省はそのような方法はまどろっかしいと思っているのか否か定かでないが、小学生にいきなり会話能力を身に付けさせたいらしい。
読めない、書けないけど、話はできるようにする。
残念ながらこの方法は前述したように小学生にとって最も大切な母国語である日本語学習を阻害するだけでなく、基礎を抜かしいきなり応用を学習させるようなもので英語能力の発展をも阻害する。
いうなれば小学生に対し”角を矯めて牛を殺す” ことになりかねない。
小学生に対しては、なにより母国語である日本語の学習を優先させるべきである。この意味において小学校の英語必修化は時機尚早といえる。
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