前2稿のアメリカへの理解を前提として、エマニュエル・トッドとファリード・ザカリアの著作をもとにアメリカの行く末を考えてみたい。
まずエマニュエル・トッドの著作から
エマニュエル・トッドは真の帝国に値する組織には常に2つの特徴があり、その資質を備えているという。そしてアメリカにはこれらが著しく欠けているという。
その1つは、全世界から搾取するための軍事的・経済的強制力である。
彼によればアメリカの軍事力は海空の制圧力には疑いの余地はないが地上戦については第2次大戦の欧州戦線でのアメリカ軍の戦いぶりを引き合いにだし帝国にふさわしい能力を備えていないという。
アメリカに限らず世界帝国は常にその版図を可能なかぎり拡げてきた。
アメリカも建国以来、版図を西へ西へと拡げていった。
初期はアメリカ大陸の東部から西部へ、さらに太平洋の島々をわたり東アジア、南アジアを経てその手は中東にまでおよびついにイラクまで到達した。
昔日の版図の定義には当て嵌まらないが実質上の版図拡大であった。
エマニュエル・トッドはこれら帝国空間を維持するためには圧倒的な地上軍が不可欠だがアメリカにはその能力がないという。
だが戦争の形態は時代とともに変化する。往年の敵味方分かれての決戦形式の戦争は今やどこにも見ることはできない。
ベトナム戦争以降、戦争の形態は一変した。
無人機・ミサイルによる応酬戦、ゲリラ戦、テロ戦、サイバー戦、情報戦などが主流となった。
かかる時代に強力な地上戦能力を持ちえたとしてもそれだけで帝国空間を維持することなどできない。
地上軍の弱点を指摘しアメリカの帝国としての鼎を問うのは的を得ているとは言い難い。
アメリカの経済的強制力のもとは基軸通貨ドルを利用したシステムである。
エマニュエル・トッドはアメリカが赤字をだしても物を買ってくれれば世界が喜ぶシステムであるという。アメリカはドル札の輪転機をまわすのみ。
蟻がキリギリスに食べ物を受け取ってくれと頼んでいるようなものだ。
アメリカの生産は空洞化し金融によって支えられている。このようなシステムはアメリカを支える国々の指導層の同意なしには継続しない。そしてその日が終わる日は近いと言っている。
1992年レーガン政権の財政委員会のメンバーであったH・フィギー・Jrが『BANKRUPTCY 1995』を上梓した。
日本でクレスト社竹村健一訳で『かくてドルは紙クズとなる』というタイトルで出版された。
この本でフィギーはアメリカは3年後に破産すると言ってのけた。余程自信があったのだろう。
彼が予言して20有余年、ドルは基軸通貨として不動のままだ。
この手の予測は星の数ほどある。何もドルにかぎらず、日本国債にしても然り。
仮に基軸通貨ドルがその地位を明け渡すにしてもかなりの移行期間を要すだろう。
現にポンドからドルへの移行には20世紀初頭から1944年のブレトン・ウッズ体制まで30~40年を要した。
エマニュエル・トッドがいう2050年までと言う予測は辛すぎると見るのが妥当だろう。まして次の基軸通貨となる候補の影さえ見えない現状においてはなおさらそうである。
エマニュエル・トッドが帝国としての資質に挙げる2つ目は普遍主義である。
普遍主義とは人間と諸民族を平等主義的に扱う能力であり、それは征服者、被征服者を問わない。
アメリカは1950年から1955年ごろまでは普遍主義も絶頂で謙虚で寛大であったという。
ところが2000年以降弱体化し非生産的になったアメリカは謙虚でも寛大でもなくなったという。
エマニュエル・トッドが指摘したアメリカの不寛容はイラク戦争以降アメリカの行動に顕著に現れている。
ソヴィエトとの冷戦時代と比較してもそうである。
その根底はエマニュエル・トッドが指摘する経済的・軍事的弱体化にあることに違いないが、ことイスラム社会に対してはそれに加え宗教的な対立も見逃せない。
イスラム社会の根深いアメリカ不信の根底にはキリスト教徒に対する不信があり、聖戦意識を掻き立て敵意は止まることを知らないかのようだ。
プロテスタントを主体とする宗教国家アメリカにローマ帝国と同様の普遍主義を求めることには無理がある。
人口論と家族論を武器に鋭く文明を予測する人類学者エマニュエル・トッドが論じた2050年までというアメリカ衰退論はいくつかの疑問はあるにしても貴重な警世の書であることに変わりはない。
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