人工的に造られた国家であるアメリカは、自然発生的に造られた国家とくらべ何のしがらみもない。社会の仕組みがすべてゼロから造られたから。
近代社会は、人が目的、意思をもって行動する。行動の結果には当然責任が伴う。
よい結果にはよい責任が悪い結果には悪い責任が、それぞれ報酬とか罰のかたちであたえられる。
ところがこのあたりまえと思えることが前近代社会にはなかった。
「『大名、公卿、さむらいなどとて、馬に乗りたり、大小を挿したり形は立派に見えても、そのはらのなかはあき樽のやうにがら空にて・・・ぽかりぽかりと日を送るものは大そう世間におほし。
なんとこんな人をみて貴き人だの身分の重き人だのいふはずはあるまじ。
ただこの人たちは先祖代々から持ち伝えたお金やお米があるゆえ、あのやうに立派にしているばかりにて、その正味はいやしき人なり』
---これは福沢諭吉が維新のころ幼児のために書き与えた『日々のおしへ』の一節であります。
ここには、家柄や資産などの『である』価値から『する』価値へという、価値基準の歴史的な変革の意味が、このような素朴な表現のはしにもあざやかに浮彫りにされております。
近代日本のダイナミックな『躍進』の背景には、たしかにこうした『する』価値への転換が作用していたことはうたがいないことです。
けれども同時に、日本の近代の『宿命的』な混乱は、一方で『する』価値が猛烈な勢いで浸透しながら、他方では強じんに『である』価値が根をはり、そのうえ、『する』原理をたてまえとする組織が、しばしば『である』社会のモラルによってセメント化されて来たところに発しているわけなのです。」
(丸山真男著岩波新書『日本の思想』)
前近代社会では先祖から受け継いだものでほぼその人の価値が決まった。
今でこそ、先祖代々の地位とか遺産だけに頼る人をそれだけでは尊敬しなくなった。だがこれが完全に払拭されたかというとかならずしもそうとはいえない。
先進国の中でも日本に限らずヨーロッパでもこれら社会の『しがらみ』はいまなお社会に根をはっているからだ。
ところが人造国家アメリカはこれらの『しがらみ』は一切ない。『しがらみ』フリーだ。
社会は人間の力によって動かし難いなどという考えは最初からなかった。
前近代社会が産みの苦しみを味わい、ルソーやロックによって唱えられた社会契約説がアメリカではこともなげに実現された。
自由に移民によって造られた国に王権神授説などの考えが入り込む余地などなかった。
アメリカには、丸山教授がいう『である』社会が最初からなかったので『する』社会を考えさえすればよかった。
そこでは社会は人間が作ったものであるから人間によって変えることができるという『作為の契機』が機能する。
作為の契機が機能しない社会とはどんな社会か。上述の福沢諭吉が指摘した維新前の日本社会であり、その残滓は現代日本にも散見される。
典型的なものとして日本人の憲法への接し方がある。
大日本帝国憲法は不磨の大典として一度も改正されることはなかった。
そしてGHQの強い影響のもと戦後急ごしらえの日本国憲法もまた発布から70年にもなろうというのに一度も改正されることなく現在に至っている。
アメリカの憲法改正6回、フランスの27回、ドイツの58回などとくらべても際立っている。
社会の実情にそぐわないものは、すべて融通無碍な解釈や慣習によってやり過ごしてきた。
日本社会の前近代的な一面である。
作為の契機がフル機能するアメリカ社会は、契約を重視する。アメリカ社会の厳格な契約概念が高度な資本主義の発達を可能にした。
小室直樹博士は契約社会アメリカの秩序形成力について述べている。
「近代資本主義社会では、金銀財宝ではなく、信用こそが一般的な交換手段、また流通手段となり、それが軸となって全経済がフルスピードで回転する。
しかも、この信用を個人が創造しうるところに、現代資本主義が躍進しうる秘訣がある。
だから、この信用が熱信的なまでに規範化されていなければ、トランスミッションが腐った自動車のように、たちまち分解四散していまうだろう。
この信用の熱信的な規範化が市民社会の根本規範となっているところに、アメリカ社会の秩序形成力の根幹が存する。(中略)
アメリカの犯罪産業は、どれほど巨大であろうとも、正規の産業と関係ない。
善良な市民と犯罪者は峻別され、犯罪者はどれほど富みかつ有力であっても、善良な市民の仲間入りを許されることはない。 夜の大統領カポネは、絶対に昼の大統領にはなれない。
社会の根本規範に秩序形成力があり、犯罪者のルールをよせつけないからである。
このような社会には、いかに犯罪者や落伍者や反体制派の人間が多くても、”急性アノミー”発生の余地はない。
アノミーの制御因子は社会構造の中核にすえられ、その作動によって、社会的、経済的矛盾から発生するアノミーはついにコントロールされてしまう。
この制御因子としてもっとも有力なものの一つが、先に述べたファンダメンタリストだ。
アメリカのファンダメンタリストの秩序形成力には日本人の想像を絶するものがある。
このような予定調和的構成をもっていればこそ現在のアメリカは、多くの矛盾の噴出と、指導者の無能によって、満身創痍の姿も無残に、苦悩にのたうちまわっていながら、底しれぬ力を秘めていることができるのである。」
(小室直樹著光文社『アメリカの逆襲』)
ファンダメンタリストはアメリカ社会に深く根を張っている。覇権国アメリカの命運をも左右する存在と言っても過言ではない。
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