2014年5月19日月曜日

「目覚めた獅子」中国 3

 ここ30年の中国の高度経済成長は改革開放を推進した共産党主導による成果であろう。
 中央集権体制の下、権力の共産党一党集中により利権、汚職、腐敗が必然的に発生した。
 これらは急成長に伴う副作用で中国の運命でもあった。
最近になって、習近平体制は大衆路線を打ち出し、官僚の腐敗をやり玉にあげている。
 この路線は、かっての指導者 毛沢東に自らを重ねあわせているかのようだ。

 が、余華氏の見方は手厳しい。

 「国民は、習近平さんのやっていることに興味などありませんよ。いくら役人が自己批判文を書いたところで、国民に対する姿勢は絶対に変わらない、ということを知っているからです。
 そんな国民の視線をよそに、私の知り合いの役人は、大衆路線のためのレポート作りに忙しいと、こぼしています。
 しかも、その自己批判文にはノルマがあって、文章全体の4割以上を自分の欠点で埋めなければならないのです。
 役人たちは自己批判をするのではなく、自己批判文の作成を早く片づけてしまいたいだけです。
 つまり、大衆路線というのは、そうですね…吹き抜けていく風のようなものですよ。
 通り過ぎれば、はい、おしまいというものです。」
(2013年11月20日NHKクローズアップ現代『シリーズ模索する中国①民衆の不満はどこへ』)


 いつか民衆の不満が爆発する時が来るのでは? と聞かれ余華氏は次のように答えた。

 「爆発は、いつも絶えず起きていますよ。デモや陳情といった、さまざまな形で爆発しています。
 ただ、共産党のコントロール能力は、とても強力です。そして、コントロールするために、多くのお金を使うこともできます。ですので、そのような民衆の爆発を分散させている。
 集中して大爆発させないようにすることに、今のところ、成功しているのです。」(同上)

 余華氏の発言を裏付けるものとして中国の治安維持を担う公共安全予算がある。
 13年度の中国の公共安全予算7690億元は国防費予算7406億元を上回っている。
 これに比し国民の関心が高い環境対策予算は3286億元と公共安全予算の半分以下である。(なぜか14年度から公共安全予算の公開は中央政府分のみとし、従来、中央政府分より多い地方政府分は非公開となった)

 が、余華氏は中国政府のコントロール能力にも限界があるという。

 「現在、政府はインターネットへの監視を強めています。
ソーシャルネットワークのウェイボーなどで、10万以上のアカウントを閉鎖し、デマを流したとして、多くの人々を拘束しました。
 しかし、民衆の多様な声を、こんなことで抑え込めるわけはありません。
 1つの例を挙げましょう。
 習近平主席や、李克強首相は、去年(2012年)の共産党大会のあと、ぜいたくや公費での食事を禁止しました。
 この方針に、多くの役人は恐れをなしました。
 ただ、恐れたのは、中央政府ではなく、豪華な施設の前で民衆に公用車のナンバープレートを撮影され、告発されることでした。 ですから、腐敗を撲滅するには、国民による監視がいちばんなのす。国民が監視して、政治の透明性を高めることが必要なのです。」(同上)

 中国政府は大衆路線を強く打ち出し、腐敗撲滅を旗印に掲げ、ある程度の成果を得た。が、共産党幹部の既得権に係る”新公民運動”には逆に規制を強めている。

 余華氏は中国の行く末について次のように述べている。

 「中国社会のこれまでの歩みを考えると、もう後戻りはできません。私は前進あるのみだ、と信じています。
 私の考えでは、中国が、これからたどる道は2つしかないと思います。
 現状を見ると、政府が行う政策。そして、意思決定では、中国社会の抱える大きな問題を解決することができないのは明らかです。
 ですから、中国の道筋は2つに限られます。
その1つは、革命が起こるということですが、それは中国社会に大きな混乱をもたらします。
 私は、そんな中国を望みません。ただ、政府が民主化を拒めば、起こりうる事態だと思っています。
 私が望むのは、もう1つの道筋です。それは、一歩ずつ、確実に民主的な社会に進むことです。
 その過程では、民衆だけでなく、共産党の中の改革派の人を巻き込んでいく必要があります。一歩一歩、民主社会へ。
 その方向に進んでいく中国に、私は希望を持ちたいと思っています。」(同上)

 余華氏は中国を愛し、その未来に希望を託している。彼の著作や言動からそのことが読み取れる。
 彼が示した2つの道のうち、中国はどちらの道を辿るのであろうか。
 彼は大きな混乱をもたらす革命への道は避けたいと言う。が、残念ながら彼が希望する道を辿る可能性は少ないように思える。
 独裁体制がその強大な権力をスムーズに民主体制へ委譲することは望むべくもないと思えるからである。
 少なくともそのような事例を寡聞にして知らない。

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