2014年5月10日土曜日

「目覚めた獅子」中国 2

 中国で29日夜、NHK海外放送の番組が中断された。中国の作家、余華氏を「反骨の作家」として紹介し、中国の格差問題などを取り上げた内容。中国当局が意に沿わないため規制したようだ。
 途中、毛沢東ブームを取り上げた場面はいったん見られるようになったが、大部分は画面が真っ黒で音も聞けなかった。
 中国では人権や少数民族、官僚の腐敗を取り上げたNHK海外放送の番組が見られなくなることがよくある。
   (2014/4/30共同通信)

 中国は共産党一党独裁国家であり、このインターネット社会においてもなお情報が統制されている。
 このため中国の公式の声明だけでは、中国の実態は分かり難い。素顔の中国を知るには勢い中国で解禁されないものから得る他ない。
 中国の反骨作家 余華氏はその著作で日常の些事から、政治、経済、文化にいたるまで現代中国を忠実にスケッチしている。
 天安門事件など中国が触れられたくない部分もあるため解禁されていない。
 余華氏は作家の目で、彼が実体験で得た中国問題の核心を鋭く指摘している。

 「今日の中国は巨大な格差を抱える国である。我々が歩んでいる現実社会は、片側が賑やかな歓楽街、片側が壁の崩れた廃墟のようなものだ。
 奇妙な劇場に身を置いていると言っていい。おなじ舞台の半分では喜劇が、半分では悲劇が演じられている。(中略)
 中国はこの30年で、注目すべき経済の奇跡を作り上げた。30数年間の経済成長率の平均は9パーセントである。2009年の時点で、すでに世界第2の経済大国となった。
 2010年の財政収入は8兆元に達する可能性がある。関係各署は自慢げに、中国はアメリカに次ぐ世界第2の富裕国になるだろうと公言した。
 しかし、この栄光の数字の背後には、人を不安にさせる数字が隠されている。個人の平均年収は、まだ世界100位なのだ。
 この2つは接近し、釣り合いが取れて当然の経済指標だろう。
 ところが今日の中国では、格差がこんなに大きい。この数字は、我々がいまバランスを失った社会で暮らしていることを物語っている。
 巷間でささやかれている言い方を使えば、我々の生活は『国は富み、民は貧しい』状態にある。
(河出書房新社余華著飯塚容訳『ほんとうの中国の話をしよう』)

 民主主義体制でなくとも目覚しい経済成長ができると余華氏はいう。

 「西洋の知識人は古い観念に固執し、政治体制が民主化された社会でなければ経済の高度成長はあり得ないと思っている。
 だから、政治体制の不透明な国家で、なぜ驚くほど急速な経済発展が起こったのか、不思議でならないのだ。
 思うに、彼らは重要な点を見過ごしている。この経済の奇跡の背後には、強力な後押しがあった。その推進力の担い手の名前は、『革命』にほかならない。」
  (前掲書)

 余華氏がいう『革命』とは、民主主義的手法の対極の概念を意味している。
 彼は幼少期に体験した毛沢東時代の文化大革命について詳しく述べている。
 文化大革命は中国に大きな犠牲を強いた。
 しかし成果として、資本家、地主、役人などが階級闘争により一掃された。一掃された後もなお毛沢東は片時も階級闘争を忘れるなと人民に向かって言った。
 階級社会の一掃は毛沢東による『革命』によって達成された。

 が、改革開放の時代になると、鄧小平は
 『黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ』
 『先に豊かになれる人が豊かになり、豊かになった人は他の人も豊かになれるように助ける』 
と唱えた。
 階級闘争ということを誰も言わなくなった。この鄧小平理論が現在の中国の重要路線となっている。

 当然のごとく階級社会が復活した。中でも共産党書記の権限は絶大で、予算の使い道、土地や建物の破壊と建設など思いのまま。共産党書記が公共の名のもとに立ち退きを命ずれば法的にも人民は従う他ない。
 絶大な権限に腐敗はつきもので、腐敗はまたたくまに中国全土を覆い尽くした。
 中国には、かって科挙の制度がありこの試験に合格した高級官僚は、どんな清貧な人であっても親子三代にわたり裕福に暮らせるほどの財をなしたという。
 賄賂があたりまえ、給料の一部という中国の家産官僚の伝統が、現代にも脈々と生きているようだ。
 皮肉なことに、中国の急成長は、共産党員をはじめとした急拵えの階級社会の『革命』によって成し遂げられた。
 煩わしい民主主義の手続きなど不要で、共産党員の号令のもとスピーディに経済成長が達成された。

 文化大革命という『革命』によって一掃された階級社会は、改革解放という『革命』によって巨大な格差を伴ない見事に復活した。
 この矛盾する『革命』にこそ今日の中国の混迷がある。

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