2017年2月27日月曜日

皇位継承について 8

 男系男子による皇位継承が絶対視されるようになったのは遠い昔のことではない。
 それは帝国憲法が制定された明治22年からそれが終了する昭和22年までの60年間である。長い日本の歴史からすればほんのひと時にすぎない。
 岩倉使節団は2年に及ぶ欧米視察後、欧米に伍していくため皇室を機軸として近代国家を建設することを目指した。
 伊藤博文は枢密院において明治天皇隣席のもと憲法草案の大意をこう説明している。

 「歐洲に於ては憲法政治の萌芽せる事千餘年、獨り人民の此制度に習熟せるのみならず、また宗教なる者ありて之が機軸を爲し、深く人心に滲潤して人心之に歸一せり。
 然るに我國に在ては宗教なる者其力微弱にして、一つも國家の機軸たるべきものなし。
 佛教は一たび隆盛の勢いを張り上下の人心を繋ぎたるも,今日に至ては已に衰替に傾きたり。神道は祖宗の遺訓に基き之を祖述すとは雖,宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し。
 我国に在て機軸とすべきは独り皇室にあるのみ。是を以て此憲法草案に於ては専ら意を此点に用い,君権を尊重して成る可く之を束縛せざらんことを勉めたり。」
(『枢密院会議筆録』「憲法草案枢密院会議筆記 第一審会議第一読会における伊藤博文枢密院議長の演説」明治21年6月18日,京都での憲法演説)

 注目すべきは皇室を単に道徳的機軸とするのではなく君権として統治原理に結び付けている点である。
 帝国憲法とともに旧皇室典範も制定された。旧皇室典範の位置づけは帝国憲法の下位法ではなく並ぶものである。
 制定、改正に帝国議会の関与を受けず、皇室に関する諸法の根本法である。
 旧皇室典範第1条で皇位継承資格を男系男子に限るとした主な理由の中に今日からみれば明らかに時代錯誤のものがある。
 「・男性尊重の国民感情・慣習が存在する中で、女性天皇に配偶者が在る場合、女性天皇の尊厳を傷つける。
・歴史上の女性天皇は、その在任中配偶者はなかったが、今日、女性が皇位を継承する場合、独身を強いる制度は、道理や国民感情に合わない。
・配偶者が女性天皇を通し政治に干渉するおそれがある。
・女性が参政権を有しないのにもかかわらず、政権の最高の地位に女性が就くことは矛盾である。」
(皇室典範に関する有識者会議報告書参考資料 参考11 女性天皇に関する明治典範制定時の議論(1)皇位継承資格を男系男子に限定した理由から)

 旧皇室典範制定過程で女帝の可否が検討されたが、最終的には井上毅が女性は皇位を継承できないとする趣旨の「謹具意見」を伊藤博文に提出し、伊藤がこれを受け容れたことで問題が決着した。
 帝国憲法・旧皇室典範制定以降、天皇陛下は軍服を着、サーベルを吊って白馬にまたがり三軍を指揮するイメージがある。それは新興国日本が国民を統合し欧米列強に伍してゆくために期待される天皇陛下の勇姿と重なる。
 天皇は歴史的には、”軍人”というより”天子さま”と呼ぶにふさわしい期間が圧倒的に長い。
 明治22年から昭和22年までの60年間は例外的でありほんの歴史の一こまにすぎない。
 だがこの期間は天皇の国民に与えた影響力があまりにも強くそれが終わって70年間も経った今日においてもなお日本人の心を呪縛している。熱狂的な男系男子の皇位継承論がその証左である。
 この男系男子皇位継承論の背景は、帝国憲法と旧皇室典範の起草者である伊藤博文と井上毅との関係にまで遡らなければ十分とは言えない。
 またこれに関連して今上陛下がお気持ちを表明されたことで議論の俎上に上った”ご譲位”にも言及しなければならない。
 皇室の問題は想像を超えて深く日本国民の運命にかかわっている。

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