皇位継承の問題が浮上するたびに、皇室典範第一条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」が議論の的となる。
焦点は、「男系の男子」であり、これを維持する派と見直し派に議論が二分される。
それぞれの主張に耳を傾け然る後に検証しよう。まず維持派の主張から。
「藤原正彦氏は衆議院議員の平沼赳夫氏との対談(『この国のかたちを壊すのは誰だ』文藝春秋平成18年4月号)の中でこのように述べる。
『万世一系を保つことが是か否かを平然と議論するということ自体、私には考えつかないことです。
日本人は、古き伝統に対しては、議論など無用、ただそれにひれ伏すべき、という謙虚な精神を失ってしまった』
『しかし、その場合、重要なのは、男系継承の原則を変えるかどうかは議論してはならないということです。
長い伝統を前にしてはただひれ伏すのみであり、議論すべきはどうやって男系継承を維持するかという方法についてのみです。
飛鳥の昔から奈良、平安、鎌倉、室町と連綿と続いてきた伝統を、今平成の御世に変えるというのは、その間生きてきたすべての人々の想いを蹂躙することになる。
そんな権利は現代の人々にはないのです』」
(中島英迪著イグザミナブック『皇位継承を考える』)
同書で藤原氏は、万世一系は世界の奇跡として、アインシュタインが大正11年訪日時に言ったとされる言葉を引用している。
曰く
「近代日本の発展ほど世界を驚かせるものはない。万世一系の天皇を頂いていることが今日の日本をあらしめた。・・・我々は神に感謝する。日本という尊い国を造っておいてくれたことを」
このアインシュタインの言葉は維持派の多くが引用するが、その出典を誰一人明らかにしていないという。
さらに数学者の藤原氏は皇位継承問題をを数学的見方で言う。
「数学は論理だがその出発点を決めるのは直感であり、情緒である」と。
これに共鳴した衆議院議員の稲田朋美氏が、平成17年の皇室典範に関する有識者会議の女性天皇を容認した報告書は出発点が誤っていると批判した。
もはや皇位継承に関する議論というより神学論争である。この出発点論は、議論の対象ではないという意味において、17世紀フランスのパスカルによるデカルト批判を想起させる。
「私はデカルトを許せない。彼はその全哲学のなかで、できることなら神なしですませたいものだと、きっとおもっただろう。
しかし、彼は、世界を動きださせるために神に一つ爪弾きをさせないわけにはいかなかった。
それからさきは、もう神に用がないのだ。無益で不確実なデカルト。」
(パンセ第77~78節)
概して維持論者は藤原氏に代表されるように、万世一系は奇跡であり、これを守り抜く以外の議論を端から寄せ付けず、これが崩れれば皇室の崩壊を招くと主張する人が多い。
同じ維持派でも、万世一系を守り抜くために男系でなければならない理由を理路整然と述べ持論を展開する人もいる。
その理由とは何か、根拠となるものを見てみよう。
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