2017年1月9日月曜日

皇位継承について 1

 平成28年8月天皇陛下は譲位の意向をにじませた「お気持ち」を表明された。
 これを受け安倍首相は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設置した。
 報道によると、同有識者会議は今月下旬にも「論点整理」の公表を目指すという。
 天皇陛下の譲位に関連しては、平成16年当時の小泉首相は、「皇室典範に関する有識者会議」を設置した。
 設置の意図は皇室に男の子が当分生まれなければ現皇室典範では国民の知らない皇室の子孫を天皇にしなければならない。それよりは愛子内親王がいらっしゃるのだから女性天皇でいいじゃないかというものであった。
 ところが平成18年秋篠宮家に悠仁親王ご誕生によりこの議論は頓挫した。皇位継承問題はさしあたって回避されたからである。
 ところが昨夏の天皇陛下の「お気持ち」表明以来、ふたたび皇室典範について議論されることが多くなった。
 小泉元首相は、平成28年9月日本外国特派員協会で天皇陛下の譲位だけを議論すべきで、女性天皇や女系天皇にまで広げて議論するべきではないといった。悠仁親王のご誕生をその理由に挙げている。
 それも一見識ではあるが皇位継承資格者の減少の問題が解決されたわけではない。
 皇室の存続は日本および日本人の根幹にかかわる問題である。
 皇位が安定的に継承される道を探る。このことは先送りせずあらゆる場合を想定して事前に検討しておくべき事案である。
 皇室の問題は日本人の心の琴線に触れる問題でありともすると避けられがちだ。
 小泉元首相がいうように譲位に限定して検討すべしというのも混乱を避ける意味では一理あるも、皇位継承資格者の減少問題をいつまでも先延ばしでいいということではないはずだ。
 皇族方だけでなく皇位の安定的継承を願っているであろう国民のことも考慮すればなおさらそうである。

 日本人にとって天皇とは何か。日頃意識することもないが、改めて考えればその存在が国民の意識に深く浸透していることが分かる。
 岩倉使節団は明治4年から2ヶ年にわたる欧米の視察で、キリスト教が欧米人の心の支え、社会に定着していることを学んだ。
 日本には仏教などの宗教はあるが、キリスト教のように国民を統合するまでのものはない。
 たしかに日本には儒教、仏教やキリスト教が入ったがそれら宗教が本来のすがたで根付くことはなく、日本流に置き換わり、もともとの宗教とは似ても似つかぬものとなった。
 かかる理由で、使節団は日本人の統合として天皇を脳裏に描いていたであろうことは容易に推測できる。
 その後制定された大日本帝国憲法の「告文」で天皇を「現人神」と位置づけたからである。

 はじめて日本を訪れる外国人がしばしばもらす感想がある。
丁寧な応対、相手を傷つけまいとするやさしい心根、治安のよさ、秩序立った行動など。
 これらは日本人として日常のあたりまえのことであるが外国人からみれば新鮮に映る。
 なぜ日本人の行動様式はこうなのか。生来の洗練された民族のなせる技か。とんでもない、それは自惚れでありそれ以外のなにものでもない。
 それでは日本人がこのような行動様式をとるのは何故か。長い間にわたる社会の安定の積み重ねがその要因の一つであることには違いない。これなくして秩序も礼節も育まれないからである。
 しからばその社会の安定は何によってもたらされたのか。四囲を海に囲まれた自然の要塞、同一民族、同一言語などさまざまな要因があるにせよ天皇の存在を抜きにしては考えられない。
 この論証は後に譲るとして、まずは安定的な皇位継承について有識者などの甲論乙駁を跋渉し原点にかえって考えてみたい。

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