2016年12月26日月曜日

北方領土 3

 ”時は金なり”、とマックス・ヴェーバーは歴史的著作の冒頭近くでベンジャミン・フランクリンの言葉を引用している。

 「”時間は貨幣だ”ということを忘れてはいけない。一日の労働で10シリング儲けられるのに、外出したり、室内で怠けていて半日を過ごすとすれば、娯楽や懶惰のためにはたとえ6ペンスしか支払っていないとしても、それを勘定に入れるだけではいけない。ほんとうは、そのほかに5シリングの貨幣を支払っているか、むしろ捨てているのだ。」
(マックス・ヴェーバ著大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)

 時間を守らない、期限を設定しない。これほど資本主義の精神に悖るものはない。
 ソ連邦崩壊をいち早く予言した小室直樹博士はソ連労働者の非効率性について言う。

 「納期のない仕事なんて、日本では考えられまい。どの企業も、納期をよく守ることが、日本経済が世界に冠たる所以である。

 みんなが納期を守ってくれないことには、目的合理的(とくに形式合理的)な仕事なんかできっこないではないか。
 資本主義では、納期を守らない企業は、信用がうすれる。追徴金をとられる。日本だと、追徴金くらいではすまずに、取引停止を覚悟しておかなければなるまい。資本主義においては、納期厳守は、これほどまで大切。
 ところが、ソ連労働者には、納期という考え方がない。納期という考え方がなければ、流通機構は動きようがない。
 だってそうでしょう。品物を注文して、相手が、たしかにご注文うかがいましたと言ったところで、その品物がいつとどくのか。まるっきり分からない。
 これでは、商売のしようがありませんか。工場なら動かない。原料や資材を注文して、相手は、たしかにうけたまわりました、と。  でも、いつとどくか分からない。てんでバラバラに、ポツリポツリ来たって、これでは操業できない。操業できないから、こちらも納期が守れない。
 このストーリーからお分かりのとおり、どこか一ヶ所でも納期が守らない企業があると、その企業よりも物流の川下にある企業はみんな、納期が守れなくなってしまうのである。物流が乱されるのである。」
(小室直樹著光文社『ロシアの悲劇』)

 ロシア人労働者の行動様式は、マックス・ヴェーバーの”資本主義の精神”の神髄、ベンジャミン・フランクリンが喝破した”時間は貨幣である”からほど遠い。
 訪日時のプーチン大統領の時間に対するルーズさにもその一端を窺い知ることができる。
 ロシア経済を疲弊させているものには既述の三重苦のほかに厖大な軍事費支出と日常的な汚職がある。
 2015年度のIMF発表によるとロシアのGDPに占める軍事費は5.4%でアメリカの3.3%、その他主要国の約2%と比べて多い。
 汚職はロシア社会に深く根付いている。「汚職ははびこり、毎年GDPの3分の1に相当する額が汚職に回っているという。」
(2016年1月16日EL mundo紙電子版)
 下表は1人あたりGDPと汚職ランキングである。GDPが低いほど汚職も多いが、ロシアは例外的に多い。


 これでは欧米の基準に照らせばロシアは汚職国家、泥棒国家である。
 西側の一部メディアによればプーチン大統領はロシアでも賄賂と盗みがもっともうまい人であるという。
 プーチン大統領の周囲には常に汚職や陰謀の影がつきまとう。彼のサンクトペトルブルグ時代からそうである。政敵に対する追放や粛清の噂も絶えない。
 だがプーチン大統領になって、天然資源と兵器輸出に支えられているロシア経済も、それ以前よりは安定している。
 高度な科学技術者を擁し、女性の大学進学率も男子100人に対し女子130人とスウェーデンの140人に次いで高い。(2013年OECD)。
 クリミア併合もありロシア国民のプーチン大統領に対する支持率は高い。
 ロシア国民だけでなく、ブッシュ前アメリカ大統領をはじめ彼に傾倒している西欧の指導者も多いという。安倍首相もその一人かもしれない。
 プーチン氏を盲信するあまり、仮に北方4島の潜在主権について譲歩・放棄するようなことがあればその影響は尖閣諸島、竹島におよび取り返しのつかない失政として歴史に残るであろう。
 権謀術数により権力を掌握したプーチン大統領、片や三世議員の安倍首相、この違いは領土交渉とは無関係と思いたい。だが、過去には手練手管を弄した政治家が相手を振り回した例には事欠かない。
 独裁者の約束ほどあてにならないものはない。1938年第二次世界大戦の要因の一つとなったミュンヘン会談におけるヒットラーの約束、1945年スターリンによる日ソ中立条約の一方的破棄など。
 プーチン大統領をこれら独裁者と同列には扱えないが、武力によりクリミアを併合するなど、法による支配と民主主義の価値観を共有している相手でないことは確かだ。
 上を鑑みれば、北方領土が無条件で返還されると考えるのは夢物語にすぎない。
 70年近くにわたる領土交渉で北方4島が最も近づいた時期があった。
 元駐日ロシア大使アレクサンドル・パノフ氏の証言がある。
 「ソ連邦崩壊直後の1992年3月日露外相会談時、水面下で平和条約を締結し、まず歯舞・色丹を返還、その後国後・択捉を協議したいと提案したが、日本側は4島一括でなければと拒否した。」 
 当時のロシアはハイパーインフレに苦しみ、日本はバブル経済の余韻にあった。その後ロシアは復活し、日本の国際社会での地位は相対的に低下した。
 北方4島ははるかかなたにいってしまった。ロシアとの領土交渉は日暮れて道遠し。次世代またはそれ以降の世代に俟つほかない。

2016年12月19日月曜日

北方領土 2

 今回の安倍、プーチンの日ロ首脳会談は北方4島の帰属の問題を解決し平和条約を締結するという日本側の目標にどれだけ近づくことができるかが焦点であった。

 決まったことは、北方4島で共同経済活動を行う協議を開始すること、これに尽きる。
 4島の帰属問題については何ら進展はなかった。むしろ後退したと言える。
 プーチン大統領は、4島が日本に返還されれば日米安保条約のもと日米がどう対処するか自分にはわからないが、と断りながらも、4島が事実上米軍の支配下に入るのではないかと懸念していたからである。
 領土問題について進展がなかったから交渉は失敗であったと断定するのは事実に即していない。この問題については下の理由でもともと今回の交渉で期待できなかったからである。

 北方領土については、プーチン大統領は一貫して領土問題は存在しないという厳しい見方であった。
 ところがわが国では比較的楽観的な論調が目立った。それはメディアの責任が大きいと袴田茂樹氏はインタビューに答えている。
 「朝日新聞は2012年、海外主要紙幹部とともにプーチン氏と会見した際、領土問題を『引き分け』で解決しようという発言を引き出した。
 だがロシア政府の発表では、プーチン氏は1956年の日ソ共同宣言について『歯舞、色丹の引き渡し後、この2島がどちらの国の主権下になるかは書かれていない』とも述べている。
 『引き分け』発言だけが報じられたため、日本国内で領土交渉の進展に対する期待が高まってしまった」

 「今年5月の日ロ首脳会談後も、安倍首相とプーチン氏の間で領土交渉が進むのではないかというメディアの過熱報道が続き、楽天主義的な期待につながっている」

(聞き手・小林豪 2016年12月11日朝日新聞デジタル)

 北方領土問題では、メディアの偏向した報道が世論を間違って誘導していたことは交渉結果からも明らかとなった。


 一方、共同経済活動は、これが進展すれば島が帰ってくことにはならないが、平和条約締結への小さな一歩とはいえる。
 これが意味するところは、単に経済的、領土的問題だけでなく中国を見据えた安全保障上の問題である。
 ロシアが少なくとも敵対的勢力でなくなればわが国の安全保障上有利に働く。

 それにしても今回の訪日でプーチン大統領の2時間を超える遅刻には日本中が唖然とした。遅刻の常習者らしいがそれにしてもひどい。

 さらにプーチン大統領は平和条約交渉に期限を設定するのは有害であるとさえ言った。これまた期限のない目標は目標たりえないというわれわれの常識と相容れない。

 時間は守らない、期限を設けない。これはプーチン大統領の作戦に違いないとの論評も目立つが果たしてそうか。

 過去15回も会っている相手にいまさらそんな作戦をあえてする必要があるだろうか。

 プーチン大統領の遅刻常習は相手に対する作戦的な一面もあるかもしれないが、本来の自然な振舞いではないか。

 ロシア人の行動様式を大統領自らが体現しているように見える。ロシア人の行動様式とはどんなものか。それは日本とどう違うのか。日ロ交渉に絡めて考えてみよう。

2016年12月12日月曜日

北方領土 1

 領土問題は一筋縄では行かない。今も昔も。それが平時であればなおさらそうだ。
 ロシアのプーチン大統領と安倍首相は今月15日に首相の郷里山口県の長門で会談する。
 なんと両首脳同士の会談は16回目になるという。お互いファーストネームで呼び合うほどの間柄でさぞかし経済協力と抱き合わせの北方4島の領土交渉も進展するのではと期待されたが、その日が近づくにつれトーンダウンしている。

 北方4島関連のいままでの経緯はこうだ。

 ・1956年の日ソ共同宣言で歯舞群島・色丹島を日本に引渡す。
 ・1993年の東京宣言で4島の帰属の問題を解決し、平和条約を早期に締結する。

 これらの宣言にかかわらず、最近になってプーチン大統領は日ソ共同宣言の歯舞・色丹の2島引渡しには主権が含まれているとはどこにも書いていないと言い出した。
 歯舞・色丹は当然主権を含めて返還されるものと思っていた日本側はプーチン大統領の話に吃驚仰天した。
 西欧諸国からの経済制裁、原油下落、通貨ルーブルの暴落と三重苦にあえぐロシア経済、それに2018年に大統領選挙を控えていることもあり、プーチン大統領にとって領土問題の譲歩は考え難い。
 それはクリミア併合でロシア国民の圧倒的支持をえているプーチン政権の人気離散を意味する。
 一方、領土問題で後退するようなことになれば期待が大きかっただけに安倍政権にはダメージとなる。
 首脳同士の波長が合えばうまくいくと考えがちだが国家間の付き合いはそれほど甘くはない。
 現にプーチン大統領とアメリカのブッシュ元大統領はウマが合ったといわれたが中東紛争ではことごとく対立した。
 かって田中角栄は首相就任直後、国交正常化のため北京に飛んでいった。
 毛沢東や周恩来は、苦労して主席や首相になった。
 中国と正式な国交がない状態を解決するには、自分と同じように苦労した彼らが権力の座にいる今をおいて他にない。
 率直に話をすれば必ずわかってくれる筈だ。”蛇の道は蛇”、角栄首相の想いは通じみごと日中共同声明を発表して、中国と国交を結んだ。
 プーチン大統領と安倍首相、ともに返り咲きの長期政権、既に15回も会談している。
 政権の長さや会談の多さだけでは、”蛇の道は蛇”、とはいえない。この両首脳には”同床異夢”という言葉がふさわしいようだ。

2016年12月6日火曜日

トランプ次期米大統領誕生 4

 トランプ氏は11月21日に大統領就任後の百日行動計画を表明した。
 就任初日に実行するものと100日以内に実行するものとに分けている。

・ 就任初日に実行するもの。
汚職の一掃、米国労働者の保護および安全と法の支配の回復の3項目からなり、このうちの米国労働者の保護にはTPPからの脱退と中国を為替操作国に指定が含まれている。

・ 就任100日以内に実行するもの。
法制化を目指す措置として10点を挙げ、このうち注目すべき経済、軍事関連には次の4点がある。
① 年4%の経済成長に向け、法人税を35%から15%に引き下げる。
② 企業の海外移転を阻止するため関税率を設定。
③ 10年かけて1兆ドルのインフラ投資を促進
④ 国防予算の強制削減措置を廃止し、サイバー攻撃からインフラを守る計画を策定。

 いまトランプ氏の一挙手一投足に米国のみならず世界が注目している。
 この100日行動計画にある企業への大型減税は1980年代の第40代ロナルド・レーガン大統領の”レーガノミクス”と重ねあわせてトランプ氏は偉大な大統領に大化けするかもしれないという見方が浮上している。
 一方政権移行チームを身内、親族で固めるなど4年後の2期目の選挙のことしか考えない利己的、狭量な大統領にすぎないという見方もある。

 前者の見方の根拠はこうだ。
 トランプ氏は向う10年間で財政出動により1兆ドルものインフラ投資をするので”小さな政府”を掲げたレーガン政権とはことなるが景気浮揚という点では似通っている。
 為替と通商面での強硬路線は両者ともに共通している。レーガン政権は、日本をターゲットにしてプラザ合意によるドル高是正と報復貿易を実施した。トランプ氏の場合、日本のかわりに中国をターゲットにしている点であとは同じだ。
 大統領当選後のトランプ氏はそれまでの言動から一転、落ち着いた次期大統領らしい振るまいをしている。

 後者の根拠を挙げてみよう。
 春名幹男氏は”韓国化の危険”と題してトランプ政権の公私混同の危うさを次のように指摘している。

 トランプ氏は公私の利益相反を免れるために、保有資産を長男、次男、長女に引き渡すという。
 近年のアメリカ大統領は、個人資産を売却するか、あるいは公的立場にあるものが職権濫用を防ぐため第三者の委託機関に資産管理をブラインド・トラストに委託するかしている。
 ところがトランプ氏はこのいずれもとらず事実上厖大な資産を抱えたまま大統領に就任しようとしている。
 トランプ氏の中核会社トランプ・オーガニゼーションの傘下には、インド16、アラブ首長国連邦13、カナダ12、中国9、インドネシア、パナマ、サウジアラビア各8など合計18カ国111もの企業を擁している。
 仮にこれらの資産がテロ組織に攻撃され米軍が派遣されたらそれは国益のためなのか大統領の私的資産保護のためなのかといった議論が生じるという。

 個人資産を売却も委託もせず事実上保持したままでいては公的立場にある人、まして大統領としてあるまじき振るまい、利己的である。

 どちらの見方がよりトランプ氏の実像に近いのだろうか。
そのヒントは”トランプ自伝”に求めることができる。
 政治家は一般的に権力を手に入れる前に自らの考え、主張あるいは構想を述べる。
 たまにそれらを著作の形で残す政治家もいる。わかり易い例ではヒットラーの”わが闘争”、田中角栄の”日本列島改造論”などがある。
 政権奪取後、両者ともにそれを実行に移した。特にヒットラーの”わが闘争”はその過激さゆえに、現実に政権の座につけばそこまでやらないだろうと、多くの人びとは高をくくっていたが、あにはからんや、ヒットラーは政権奪取後”わが闘争”で述べた自らの偏狂な世界観を無慈悲に実行に移した。
 田中角栄も首相就任後矢継ぎ早に自ら掲げた構想の具現化に努めた。
 一実業家にすぎなかったトランプ氏をこれらの政治家と比較するのは適当ではないかもしれないが、”トランプ自伝”は自分の考え、将来展望を率直に述べている点ではこれら政治家の著作と同じだ。

 同著から再び引用しよう。
 「これまでの人生で、私は得意なことが二つあることがわかった。 困難を克服することと、優秀な人材が最高の仕事をするよう動機づけることだ。 これまではこの特技を自分のために使ってきた。これを人のためにいかにうまく使うかが、今後の課題である。」(前掲書)



 トランプ氏は2012年の大統領選挙で共和党のミット・ロムニー候補を応援したがロムニー氏は惨敗した。
 トランプ氏はこのときから2016年の大統領選挙を目指したという。そして掲げた政策が”アメリカファースト”のMake America Great Againである。
 トランプ氏の選挙期間中と選挙後の政策は首尾一貫しているとはいえないがこの”アメリカファースト”だけは首尾一貫している。
 これでトランプ氏がどのような大統領になるかおぼろげながら浮かび上がってくるものがある。
 なりふりかまわず詐欺的手法で財をなしたが、より大きな世界を目指して”人のため”になるべく大統領となった。
 彼がいう”人のため”は選挙に勝つべく彼自身が掲げた”アメリカファースト”にほかならない。
 トランプ氏にはこの政策のためには他のすべてを犠牲にしかねない危うさがある。
 また自分の個人資産を親族に引き渡し公私混同の疑いを完全に晴らすことができなければ将来の火種になり政治家として致命傷になりかねない。
 政策が似通っているとはいえトランプ氏がどう贔屓目にみてもレーガンのような偉大な大統領になるとは想像できない。
 彼の不動産業界での詐欺的手法が国内外の政治の世界で通用するとは思えないからである。
 一方4年後の2期目の選挙だけを目指す狭量、利己的な政治家とは言いすぎかもしれない。
 トランプ氏の”アメリカファースト”の政策は言動の端々からひしひしと伝わるものがある。
 だが”アメリカファースト”はトランプ氏の場合前のめりすぎているため”アメリカファースト”の目的達成が危ぶまれる。
 相手を軽視しかねない”アメリカファースト”は挫折の憂き目を見るかもしれない。
 トランプ氏の選挙後の落ち着いた言動で人びとは胸をなでおろしている。
 だがそれは一時的なものに過ぎない。トランプ氏の真の姿は選挙中にあると考える。
 政権奪取後おとなしくなったヒットラーを見てドイツ人だけでなくヨーロッパ中が安堵した。だがそれは束の間のことであった。
 時代背景、民主主義と議会の歴史などから比較などできないが、唯一危うい人物にみられる選挙前と選挙直後の言動の違いには共通したものがある。
 願わくはトランプ氏がアメリカ史上最低の大統領にならないことを祈る。そうなれば困惑するのは米国民に止まらない。

2016年11月28日月曜日

トランプ次期米大統領誕生 3

 次に、グローバル化の結果アメリカの雇用が失われ産業が疲弊したと声高に主張して次期米大統領の座を射止めたドナルド・トランプ氏、彼がこの先米国をどう導びきまた国際社会との関係をどうするのだろうか。
 トランプ氏とはどんな人か。彼の選挙中の暴言に大統領としての資質を懸念した人も当選後の言動を見ていくぶん安堵したという声も聞かれる。
 トランプ氏とはいったいどんな人なのだろう。彼を知るうえで格好のものがある。
 トランプ氏が1987年に上梓したTHE ART OF THE DEAL(邦訳 トランプ自伝)である。
 29年前のこの本でトランプ氏は自分の生い立ち、家族、ビジネスのやり方などを述べるとともに自分の信念、信条をアメリカ人らしい率直さで語っている。
 注目すべきものとしていくつか挙げてみよう。

 ① ビジネスにあたっての基本的な姿勢として彼は理論や理屈などより自分自身のカンを優先させカンに頼って判断するという。

 「複雑な計算をするアナリストはあまり雇わない。最新技術によるマーケット・リサーチも信用しない。私は自分で調査し、自分で結論を出す。
 何かを決める前には、必ずいろいろな人の意見をきくことにしている。
 私にとってこれはいわば反射的な反応のようなものだ。土地を買おうと思う時には、その近くに住んでいる人びとに学校、治安、商店のことなどをきく。
 知らない町へ行ってタクシーに乗ると、必ず運転手に町のことを尋ねる。根ほり葉ほりきいているうちに、何かがつかめてくる。
 その時に決断を下すのだ。」
(ドナルド・トランプ&トニー・シュウォーツ著相原真理子訳ちくま文庫『トランプ自伝』)

 これがトランプ氏の基本的なビジネススタイルだ。このためトランプ氏はコンサルタントや評論家などに本気でとりあわなかったという。
 コンサルティング会社は料金も高く、調査にひどく時間がかかるので、有利な取引を逃してしまう。
 大衆が何を望んでいるかがわかる評論家はほとんどいない。もし彼らが不動産開発を手がけたら、惨憺たる結果になるだろう、と切り捨てている。
 ② 不動産の取引では書面に記載されない限り何も信用できないのが常識となっているとトランプ氏は言う。
 彼はこれを逆手にとって最初にはじめたシンシナティ・キッドの不動産取引で取引相手のプルーデントをうまく騙して取引を成立させた。それは違法ではないが信義に悖るものであった。
 驚くことにトランプ氏はこの取引を自著で誇らしげに語っている。
 ③ トランプ氏は選挙中の発言から女性蔑視の差別主義者と非難されたが、それは事実でなく誤解にすぎないようだ。
 有名となったトランプ・タワー建設に女性の現場監督を起用するなど積極的に女性を登用している。

 「私の代理として工事をとりしきる現場監督には、バーバラ・レスを起用した。ニューヨークで超高層ビルの建設をまかされた女性は、彼女が初めてだった。
 当時三十三歳で、HRHに勤めていた。私が初めてレスと会ったのは、彼女がコモドアの事業で機械関係の工事の監督をつとめていた時だ。
 現場で作業員と話し合っているレスを見たことがある。彼女がどんな相手にも屈せず、堂々とわたりあっていた。
 私が気に入ったのはその点だ。体の大きさはそうした屈強な男たちの半分しかなかったが、必要とあればためらうことなく彼らを叱り付けたし、仕事の進め方も心得ていた。
 おかしなことに、私自身の母は生涯平凡な主婦だったにもかかわらず、私は多くの重要な仕事に女性を起用してきた。
 それらの女性は、私のスタッフの中でも特に有能な人たちだ。実際、その働きぶりはまわりの男性をはるかにしのぐことも多い」(前掲書)

 仕事で積極的に女性を活用しているトランプ氏に対し女性差別主義者という非難はあたらない。

 ④ 1982年のトランプ・タワー完成時は日本の好景気と重なりトランプ・タワーの日本人の買手についての記述がある。

 「日本人が自国の経済をあれだけ成長させたことは尊敬に値するが、個人的には、彼らは非常に商売のやりにくい相手だ。
 まず第一に、六人や八人、多い時は十二人ものグループでやってくる。
 話をまとめるためには全員を説得しなければならない。二、三人ならともかく、十二人全員を納得させるのは至難のわざだ。
 その上、日本人はめったに笑顔を見せないし、まじめ一点張りなので取引をしていても楽しくない。
 幸い、金はたくさん持っているし、不動産にも興味があるようだ。 ただ残念なのは、日本が何十年もの間、主として利己的な貿易政策でアメリカを圧迫することによって、富を蓄えてきた点だ。
 アメリカの政治指導者は日本のこのやり方を十分に理解することも、それにうまく対処することもできずにいる。」(前掲書)

 この記述は今後日本がトランプ政権と折衝するに当たって決して見過ごすことができない重大なことである。

 ⑤ 自伝は最後にこう締めくくっている。

 「社会に出てから二十年間、私は、とうていできないと人が言うようなものを建設し、蓄積し、達成してきた。
 これからの二十年間の最大の課題は、これまで手に入れたものの一部を社会に還元する、独創的な方法を考えることだ。
 金もその中に含まれるが、それだけではない。金を持つ者が気前よくするのはたやすいし、金がある者はそうすべきだ。
 しかし私が尊敬するのは、直接自分で何かをしようとする人たちだ。人がなぜ与えようとするのかについてはあまり関心がない。  その動機にはたいてい裏があり、純粋な愛他精神によることはほとんどないからだ。
 私にとって重要なのは、何をするかである。金を与えるよりも時間を与えるほうが、はるかに尊いと思う。
 これまでの人生で、私は得意なことが二つあることがわかった。 困難を克服することと、優秀な人材が最高の仕事をするよう動機づけることだ。
 これまではこの特技を自分のために使ってきた。これを人のためにいかにうまく使うかが、今後の課題である。
 といっても、誤解しないでほしい。取引はもちろんこれからもするつもりだ。それも大きな取引を着々とまとめていくだろう。」(前掲書)

 自伝のため誇張や糊塗はあるにせよこの本でトランプ氏のおおよその基本的な考え方と行動パターンが分かる。
 最後にこのようなトランプ氏が大統領就任後どう行動するかについて考えをめぐらしてみよう。

2016年11月21日月曜日

トランプ次期米大統領誕生 2

 その資質に欠けるのではないかと政敵から厳しく指摘されたトランプ氏がまさかの次期米大統領の選挙に当選した。
 米国民のみならず世界中が驚きそして懸念した。この先世界はどうなるのか、と。
 ノーベル経済学賞受賞者のクルーグマンは選挙の結果をうけてニューヨーク・タイムズ紙にこう寄稿した。

 「世界は地獄へ向かっているが自分にできることは何一つない、ならば自分の庭の手入れだけしていればいい、と。
 私は『その日』以降の大半はニュースを避け、個人的なことに時間を費やし、基本的に頭の中をからっぽにして過ごした。(中略)
 おそらく、米国は特別な国ではなく、一時代は築いたものの、いまや強権者に支配される堕落した国へと転がり落ちている途上にあるのかもしれない。」(NYタイムズ、11月11日付 抄訳から)

 トランプ大統領になって米国はどうなるのか、国際社会はどうなるのか。時代の流れとトランプ氏個人の問題を区別して考えてみよう。

 まず、時代の流れから。
 アメリカを覇権国の地位にのぼらせた要因の一つにグローバリズムがある。
 国際企業家がアメリカを経済的・軍事的に強力な国に仕立てあげたのだ。
 そして今やアメリカの覇権国としての地位を脅かしているのもグローバリズムである。
 グローバリズムの負の遺産である格差拡大がアメリカ社会を蝕み始めている。
 このことは4年に一度米国国家情報会議が大統領選挙にあわせて提出する報告書に経済的不安要素の一つに挙げられている。2012年12月の報告書には次の3つを挙げて
いる。
   1 非効率で高額な医療保険
   2 中等教育の水準低下
   3 所得格差


 上記の3はグローバリズムがもたらした負の遺産である。
グローバリズムの負の遺産とは何か。富の一極集中と製造業の疲弊である。製造業の疲弊は主にグローバルな自由貿易に起因している。

 2国間の貿易は、双方が比較優位を持つ財に特化し、他の財の生産を貿易相手国にまかせるという国際的分業をおこなう。この分業により貿易当事国は貿易を行わなかった場合よりも利益を得ることができる。

 これがデヴィッド・リカードの比較生産費説(比較優位)である。
 だが、リカードの学説は特定の諸条件のもとにおいてのみ成立し、その条件が成立しなければ正しくないことが明らかになった。

 「その特定の条件とは何か。それにはいくつかのものがあるが、とくに重要なものを挙げると、

 (1) 静学的であること。つまり、ダイナミックな経済変動を考慮に入れると、比較生産費説は成立するとはかぎらない。

 (2) 収穫逓増ではないこと。つまり、大規模生産の利点(多く作れば作るほど生産性が向上すること)がある場合には、比較生産費説は成立するとはかぎらない。

 (3) 外部経済、外部不経済が存在しないこと。つまり、公害や産業の地域開発効果、あるいはデモンストレーション効果(後進国の国民が先進国の国民のまねをすること)などが意味を有する場合には、比較生産費説は成立するとはかぎらない。

 この三点である。このような理論経済学の進歩によって、比較生産費説のジレンマは、じつはジレンマでも何でもなく、特定の諸条件のもとにおいてのみ成立する比較生産費説を、あたかも無条件で成立するかのごとく錯覚したものであるのにすぎないことが明らかになった。
 このことから得られる結論は明白であり、かつ重大である。
 すなわち、自由貿易は、いついかなる場合でも最良の経済システムとはかぎらない。
 ある国が、自由貿易をおこなうことによって、かならず、よりよくなるともかぎらない。」
(小室直樹著光文社『アメリカの逆襲』)

 アメリカの前の覇権国である英国も帝国主義全盛のころその国力を武器に他国に対し自由貿易を推し進め自らの地位の安定をはかった。
 現在のアメリカはグローバル化が極度にすすみ富が一部国際企業家に集中して格差が拡大し、製造業が疲弊した。
 自由貿易は善だ、グローバル化は善だとばかりに突き進んだ結果がこれだ。
 リカードの比較生産費説の成立条件などそんなめんどくさいことなどてんで考えないで突き進んだ結果がこれだ。
 此度の大統領選挙でもこれらが争点となった。そして内向きアメリカファーストを掲げたトランプ候補が勝利した。
 この内向き不干渉主義はアメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンが宣言したものである。いわばアメリカ誕生時の国是への先祖返りである。
 この意味において驚きでも何でもないが覇権国から脱落する速度を早める結果になることは間違いないだろう。他国へ干渉しない覇権国などありえないからである。潮目がはっきりと変わった。

2016年11月14日月曜日

トランプ次期米大統領誕生 1

 日本人はよく本音と建前を使い分けるといわれる。たとえばかって日本社会には ”ノミ(飲み)ニュケーション” ということばが流行った。
 その意図するところは、かしこまった会議では建前だけが横行しなかなか議論がまとまらないが酒席では本音が飛び出し実のあるコミュニケーションがとれることにあった
 千年以上もの都の歴史ある京都はさすがに人の応対も洗練されているようだ。ある席で京都の人に聞いたことがある。
 京都では人を傷つけまいとする配慮から建前が先行し本音を飲み込みがちである。このため京都の人の言うことは真にうけず真意を測らなければならない。真意を測らず真にうけると田舎者とさげすまれてしまうという。
 人を傷つけまいとする配慮は多とするもさげすまされた側にしてみれば素直に受け取ったのに何だと思うだろう。

 本音と建前は、”Honne and tatemae” とあたりまえのように英語風に表記されるので日本特有のものと思いがちだがどうやらそうでもなさそうだ。  
 今回の米大統領選挙ではほぼすべての人、大げさにいえば全世界中のひとが、米国の有権者のことばを真にうけて真意を測るのを怠った。
 アメリカの選挙予想のプロたちもことごとく予想を外した。前2回の米大統領選挙で州ごとの結果を99%の確率で的中させたFive Thirty Eightのネイト・シルバーも直前まで7対3の割合でクリントンの圧勝と予想していた。
 彼は全米の世論調査を含むビッグデータを駆使し、スポーツおよび選挙予測で目覚しい成果をあげたにもかかわらず、ことトランプ氏に関しては共和党予備選の段階から予想を外した。
 私も5ヶ月前だけでなく直前までクリントンの勝利を疑わなかった。
 なぜこのような結果になったのだろう。大半の要因は世論調査が正確でなくその原因は、トランプ支持の有権者が世論調査に応じないかまたは応じたとしても本音をかくし建前で応じたからとあろうと言われている。
 世論調査の選挙予測がことごとく外れた事実からこのように推論されても一概に否定できない。
 アメリカの有権者がこれほどまでに本音と建前を使い分けたとすれば、従来の米大統領選挙にはなかったことで、どちらかといえば ”率直なアメリカ人” という印象を改めなければならない契機となるかもしれない。

 今回の選挙で、新聞、テレビなどマスコミを含むアメリカのエスタブリッシュメントはこぞって反トランプに与した。
 第2回候補テレビ討論会の直前に、ワシントン・ポストが2005年にバスの車内でトランプ氏のわいせつな内輪話の録音データをウェブサイトに掲載したことなどその典型である。
 トランプ氏が勝った要因はいくつかあるだろうが、そのなかの一つにフェイスブック、ツイッターなどのソーシャルメディアをフルに活用したことが挙げられる。
 トランプ氏は不満や怒っている有権者に直接ソーシャルメディアで働きかけフォロワーの数を増やし、既存のメディアの反トランプ キャンペーンに反撃した。
 トランプ氏に投票したといわれる白人低所得者の経済的苦境は深刻で、それは死亡率にあらわれているという。
 プリンストン大公共政策大学院の研究者は論文でそれを明らかにしている。

 1999年から2013年の間、米国の45~54歳の非ヒスパニック系白人の死亡率は薬物や飲酒による中毒、自殺の増加などの要因で上昇している。一方、同期間の英仏独の同じ人種・年齢層や米国の他の人種は例外なく死亡率は低下している。論文は、経済的不安定が死亡率上昇の原因になっている可能性もあるとの見方を示している。(2016/11/7 ニューヨーク時事)

 トランプ氏は全てのマスコミを敵にまわして有権者に直接ソーシャルメディアで発信した。有権者の本音に直接響くようなことばで発信したため、これが有権者を動かしたといわれている。
 経済的苦境にあえぐ人たちはマスコミの派手な宣伝などには目をそむけトランプ氏の呼びかけに反応したのだ。
 選挙結果をみるかぎりこれを否定する根拠はない。ここにネット社会における既存のマスコミの影響力の限界がみてとれる。

 巧みな戦術で選挙戦を勝ちぬいたトランプ次期大統領、フィナンシャル・タイムズ記者の口調をかりれば、この希有な ”ペテン師” は米国をどう導いていくのだろうか、また国際社会との関係をどうするのだろうか。