2019年4月1日月曜日

日本語考 8

 アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンはよく知られた彼の著書「文明の衝突」の第2章で文明について述べている。

 「文明の輪郭を定めているのは、言語、歴史、宗教、生活習慣、社会制度のような共通した客観的な要素と、人びとの主観的な自己認識の両方である。
 人びとはさまざまなレベルのアイデンティティをもっている。
 ローマの住人が自分のアイデンティティを定義する場合、ローマ市民、イタリア人、カトリック教徒、キリスト教徒、ヨーロッパ人、西洋人など、さまざまなレベルで定義するだろう。
 人が属する文明は最も広いレベルの帰属領域で、人はそこに強い一体感をもつ。
 文明は『われわれ』と呼べる最大の分類であって、そのなかでは文化的にくつろいでいられる点が、その文明の外においる『彼ら』すべてと異なるところである。」
(サミュエル・ハンチントン著鈴木主税訳集英社『文明の衝突』)

 サミュエル・ハンチントンは文明の客観的要素をこう定義してその中で最も重要なものは宗教であるという。
 人類の歴史における主要な文明は主要な宗教とかなり密接に結びついている。それが証に民族性や言葉が同じでも宗教が違えば互いに殺し合う場合があるからだという。
 
 ところが日本においては宗教と文明の結びつきが密接とは言い難い。
 かって明治政府は、仏教は隆盛を極め人心を繋ぎとめたときもあったがその勢いは衰えた神道は宗教として人心を一つにする力に乏しいとの見方をした。
 人びとの帰属意識を高めるために宗教に換えて皇室にその機軸を求めた。皇室の中心である天皇を現人神とし国家神道を強力に推進した。

 が、敗戦を機にその体制も崩壊した。戦後の混乱と経済成長を経て今改めて日本人のアイデンティティとは何かを問う時期にきている。
 さまざまなアイデンティティの中で言霊信仰のある日本において言語には特別なものがある。それが生活習慣や行動様式に影響するからである。
 最も顕著なものは自己主張であろう。自己を前面に出す欧米人にたいし控えめで自己抑制する日本人。
 人は考える場合には言葉で考える。主語が絶対君主として君臨する英語にたいしこれを省略するのがあたりまえの日本語。
 この言葉の違いが主観的な自己認識に影響を及ぼさないはずはない。
 言葉と人の思考形式や行動様式とは切っても切り離せない関係にある。日本語が日本文明を育んできたと言っても過言ではない。

 このことを念頭に置き他国の事例も参考としつつ日本語のあり方を考えてみよう。 

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