文法の問題が取り沙汰されるようになったのは戦後になってからである。その原因は英文法を学校文法に取り入れたからである。
1942年6月三上章が発表した主語抹殺論の処女試論「語法研究への一提試」が黙殺されたことはすでに述べた。
日本語はヨーロッパ語とくに英語とは対極にある。語順もさることながら際立った違いは「主語」である。
言語学者の角田太作によれば世界の言語の中で英語ほど強力な主語はない、英語における主語はいわば絶対君主のような存在であるという。
英語で主語が省略されることはない。主題や動作の主体が不在であれば代わりに It を主語にもってくるほどである。主語を省略した英語は意味をなさない。
日本語では文脈でそれとわかれば主語が省略される、むしろ省略することがあたりまえになっている。省略するのが当たりまえの語を「主語」というには違和感がある。
日本語の主語は述語を修飾する話題あるいは動作主程度の役割で形容詞、副詞などと同列で述語にくらべれば言葉の比重は軽い。修飾語は省略しても意味は通じる。
このように異なる英語と日本語を同じ文法で教える学校文法に異論があるのは当然であろう。
日本語は英語のアルファベット一種ではなく漢字、カタカナ、ひらがながあり漢字には音読みと訓読みがある。
さらに外国人にとってだけでなく日本人にとっても難解な尊敬語と謙譲語がある。
外国人にとっては話すだけでなく読み書きまでマスターするのは容易ではないだろう。が、日本語が難解であることと日本語が不便であることは別のことである。
言語は文明の重要な構成要素である。文明が異なれば異なるほどその国の言語をマスターするのも難しくなる。
日本語は特殊なのだろうか。言語研究者によれば世界の言語との比較で日本語は決して特殊ではないという。
「日本語は『ア、イ、ウ、エ、オ』の五つの母音を持っている。世界の言語の中で、母音の数は五つである言語が最も多い。
日本語では、主語、目的語、動詞の語順はSOVが普通である。世界の言語の中でSOVが普通であるものが最も多い。
どの言語でも、母音はその音韻の中で最も重要な項目の一つであり、語順はその文法の中で最も重要な項目の一つである。
更に、音韻と文法は語彙と共に、その構造の中核を成すものである。
即ち、母音と語順という、言語の構造の最も中心的な面で、日本語は世界で最も普通の型の言語なのである。」
(角田太作著くろしお出版『世界の言語と日本語』)
因みに角田太作は文法分析を主語、主格、主題、動作者の四つのレベルに分け、主語を主格と区別している。角田文法も三上文法と同じく学校文法には採用されていない。
日本語はことばの体系としては論理性を欠いていると主張する人もいる。
英語などヨーロッパ語は強力な主語と構文の順序が厳格に規定されている。これに比し日本語は述語という大きな土台のうえに構築された柔構造の言語である。
述語以外は「を・に・へ・と・より・で」など格助詞により変幻自在に構文の順序を入れ替えることができる。このため日本語は一見論理的ではないように見える。
だが構文に柔軟性があることと言語が論理的であるかどうかは別である。
強力な主語の英語に対し弱い日本語、述語が主語の次にくる英語と文の最後にくる日本語の違いに論理・非論理の違いはない。
「コンピューターによる機械翻訳の研究によれば、日本語の体系が論理的な性格のものであることが示されている。
また、日本語では、話しことば、また書きことばの両者についた、結論が末尾に来るから、どんなふうに論がすすむかわからないという指摘もあるが、これは、ことば(言語)の体系に、非論理性が含まれていることを示すものではない。ただ単に、表現上の問題にしかすぎないのである。」
(桜井邦明著祥伝社『日本語は本当に【非論理的】か』
日本語は特殊な言語でなく普通の言語である。柔軟ではあるがそれがため論理性を損なわれているわけではない。
どの点から見ても日本語が不便で不確実という確たる根拠はない。それにもかかわらず日本語を廃止して英語やフランス語にしようとか漢字を廃止してローマ字化しようなどと繰り返されてきた。
今後もそのような主張する人が現われるかもしれない。ことは文明の中核を担う言語にかかわる。是非の行方によってはその与える影響ははかり知れない。
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