2019年4月15日月曜日

日本語考 10

 従来の価値観や考え方では対処できない激動期になると人は物事を根本に立ち返って考える習性がある。
 近代日本においてそのようなことが3度あり言語もその対象の一つであった。
 最初は明治維新のとき、2度目は太平洋戦争敗戦直後、3度目は今世紀初頭である。それぞれの時期を簡単にスケッチしてみよう。

 まず明治維新、初代文部大臣の森有礼は日本語を廃止し時制や活用を撤廃したシンプルな英語を公用語化とするよう主張した。
 植民地化を防ぐために強国の言語である英語を公用語化して一気に学術レベルを欧米の水準に引き上げようとした。
 当時日本語の語彙は遠く欧米のレベルに及ばず地理、歴史、数学、動植物その他すべての学科は外国語で学ぶほかなかった。
 森から言語改革について意見を求められた米国人言語学者ホイットニーは英語を公用語とすることに反対した。

 「母語を棄て、外国語による近代化を図った国で成功したものなど、ほとんどない。
 しかも、簡易化された英語を用いるというのでは、英語国の政治や社会、あるいは文学などの文明の成果を獲得する手段として覚束ない。
 そもそも、英語を日本の『国語』として採用すれば、まず新しい言葉を覚え、それから学問をすることになってしまい、時間に余裕のない大多数の人々が、実質的に学問することが難しくなってしまう。
 その結果、英語学習に割く時間のふんだんにある少数の特権階級だけがすべての文化を独占することになり、一般大衆との間に大きな格差と断絶が生じてしまうであろう。」
(施光恒著集英社新書『英語化は愚民化』)

 危機感を抱いた当時の知識人は諸外国の文献を懸命に翻訳し語彙を欧米並みのレベルまで引き上げた。その結果すべての科目が日本語で学べるようになった。
 郵便制度の創設者として知られる前島密は教育の普及のために漢字撤廃を主張した。
 漢字は時代遅れで表音文字で書かないと欧米人のように賢くなれないとまで言った。
 前島の提案は採用されなかったがその後国字問題提起の先駆けとして評価されている。

 2度目は太平洋戦争の敗戦直後、社会がアノミーに陥っていたせいか奇抜な案がとびだした。
 小説の神様といわれた大作家の志賀直哉が日本語を廃止して世界一美しい言語であるフランス語を採用したらどうかと提案した。因みに志賀直哉はフランス語を全く知らなかったという。
 GHQ(連合国総司令部)の要請によりアメリカ教育使節団は国語改革について報告書を提出した。
 内容は漢字は難しすぎるので日本語の漢字、カナを全廃しローマ字採用を提案するものだった。
 これを受け15歳から64歳まで1万7千人の国民の識字率を調査したところ漢字の読み書きができない人はわずか2.1%でありその利点なしとして実現しなかった。

 3度目は今世紀初頭、グローバル化時代に対応するためとして小渕内閣の諮問機関「21世紀の日本構想」懇談会が提案した英語公用語論である。
 同懇談会の報告書はコンピュータやインターネットの情報技術および国際共通語としての英語を使いこなせることをグローバル・リテラシーと定義した。
 英語については社会人になるまで日本人全員が実用英語を使いこなせるようにするといった具体的な到達目標を設定する必要があること、学年にとらわれない修得レベル別のクラス編成、英語教員の力量の客観的評価や研修の充実、外国語教員の思い切った拡充、英語授業の外国語学校への委託などを考えるべきであることなどを提案した。
 長期的には英語を第二公用語とすることも視野に入ってくるが、国民的議論を必要とする。
 まずは、英語を国民の実用語とするために全力を尽くさなければならないと結んでいる。
 グローバル企業を目指す楽天とファーストリテイリングはすでに社内英語公用語化し、その他多くの企業が英語を公用語化に準じた扱いをしている。
 2020年から小学校低学年からの英語教育が始まる。官民あげての英語教育花盛りといったところか。

 こう見てくると総じて時代が下るにしたがって国語見直し、英語重視の大義が次第に実利優先主義に走り矮小化されてきたことが分かる。
 その裏で政策は着実に実行に移されつつある。外国語を翻訳したかのような小説がもてはやされる一方夏目漱石などの小説を読む人は限られる。
 英語を話せないと肩身の狭い思いをしなければならないどこかの植民地にいるかのような錯覚に陥る。グローバル化の病が蔓延している。

0 件のコメント:

コメントを投稿