企業の英語重視の流れが進んでいる。ユニクロのファーストリテイリングと楽天は2012年から先陣を切って社内の公用語を英語にしている。
この2社が社内の公用語を英語にすると発表した後、ホンダもそうすべきではないのかと問われた当時のホンダの社長は ” 日本人が集まる日本で英語を使うなんて、そんなバカな話はない ” と一笑に付した。
だがその後社長が交代したホンダは昨年6月、2020年を目標に社内の公用語を英語にすると発表した。
このほか英語の公用語化を検討中もしくは公用語化しないまでも、TOEICの点数を昇給や昇格の条件にする等企業が英語を重視する政策の流れは加速している。
今や日本のサラリーマンは英語ができなければ昇進もおぼつかないご時勢となりつつある。
企業の英語重視政策は企業内に止まらずこの勢いが続けばいずれ国民全体へ波及するであろう。
この流れはなにか 『変だ』 と感じる人もいるだろうし、 『時流』 だから乗り遅れるべきではないという人もいよう。
企業の英語重視姿勢の流れをみる限り前者より後者が多数を形成しつつあると推測されるが、ここでは原点にかえってこの問題を考えてみたい。
まず英語公用語化に熱心でかつその想いを積極的に発信している楽天の三木谷社長兼会長の話に耳を傾けてみよう。
産業競争力会議の民間議員でもある三木谷氏は同会議で他の議員から突出して英語に関連する発言が多い。
以下は同会議議事録から三木谷議員の英語関連発言の抜粋である。
「日本は、TOEFL で韓国に比べて 10 ポイント低く、アジアで下から2番目であり、英
語教育が重要。 (第1回 2013/1/23)
日本の産業、企業、そして日本の国民のより一層の国際化、とりわけ英語教育がま
すます重要になってくるのではないかと思っている。
当然、我々も自由貿易で、様々な
新しいオポチュニティも出てくると思うが、一方で、海外企業との競争も激化するのは
間違いないと思われるため、とにかく英語力のアップ、産業力のアップというものがま
すます重要になる。(第 3回 2013/2/26)
英語教育についてだが、最後のところに『TOEFL 等』と、『等』という言葉が
入っている。
『TOEFL 等を使う』と『TOEFL を使う』というのでは全く意味合いが違う。
入試等については TOEFL に統一すべきである。
(第10回 2013/5/29)
できるだけマーケットに任せ、国又は役所の関与は最小限にすべき。一番重要
なことは、いかに日本人を国際化していくか、また、独立自尊の精神を推進していくか
ということであり、英語教育は非常に重要である。
この観点から、大学入試及び国家公
務員試験に TOEFL を採用しようという話をしていたが、今回の最終案の中で『TOEFL 等』などとなってしまったことは大変残念だ。
(第12回 2013/6/12)
英語のところで、日本の大学教育のところに書いてあるが、日本人の意識
を変えるというところにおいて一点突破ということでいうと、大学入試を変えていく、
TOEFL に変えるということは重要。
そこももう少し強調していただきたい。分かりやす
くて外国の受けも良いのではないかと思っている。また、海外の優秀な人材をどうやっ
て入れていくかということにおいて、日本人の本当の英語レベルが上がるということが
長期的にはとても大切。
これはキーの戦略の一つだと思っている。
(第13回 2013/9/2)
世界の知能を集めること。以前申し上げたが、日本のコンピュータ・サイ
エンス専攻者は約2万人。アメリカが 36 万人で、中国が 100 万人という状態である。
世界の知能を集めるということが重要で、資料2-1に外国人高度人材の活用というこ
とがあるが、その中に明確に実用英語教育の抜本的強化ということを入れていただきた
い。
(第15回 2014/1/20)
、英語教育について。文科省の方でかなり積極的に推進をしていただいているが、
教育を実用英語に変えていこうという動きが大きく動き出していると感じている。
ただ、
最後の段階である程度、各大学の裁量の余地を残してしまうと、実質的に進まないとい
うこともよくあるため、ぜひ総理の強い指導力で英語教育改革を目指していただければ
と思う。 (第16回 2014/6/10)
国際化という意味では中国が今アメリカに約 20 万人の留学生を送っ
ている。下村大臣の御尽力によって英語の入試改革は進んでいっているが、日本人、日
本の社会の内なる国際化というものも是非さらに強化していただきたいと思っている。
(第20回 2015/1/29)」
このような三木谷議員の熱心な働きかけが功を奏してか、産業競争力会議の下部組織であるクールジャパンムーブメント推進会議は、2014/8/26 公用語を英語とする「英語特区」創設などを盛り込んだ提言をまとめ、稲田朋美担当相に提出した。
政府は2020年東京五輪・パラリンピックに向け、文化発信に関する施策に反映させる考えだ。
その提言内容はこうだ。
「クールジャパンムーブメント推進会議は、海外と活発に交流できるコミュニケーション能力を獲得することをミッションとし、アクションプランの一つとして 公用語を英語とする英語特区をつくる。
グローバルランゲージとしての英語を活用せざるを得ない環境を体験できるようにすることで、 日本人の英語能力を向上させて、外国人と躊躇なくコミュニケーションできるようにする。
公用語を英語とする特区を創設し、気軽に 『英語漬け』 環境 に親しめる状況をつくる。
例えば、特区内では公共の場での 会話は英語のみに限定する。
また、視聴できるテレビ番組は 副音声放送がある番組とするほか、販売される書籍 ・ 新聞は 英語媒体とする。
特区内で事業活動する企業が、社内共通語 の英語化や社員の英語能力向上に資する活動を積極的に展開 する等の一定条件を満たした場合、税制上の優遇措置を図る。」
(2014/8/26 クールジャパン提言から)
英語を公用語化とする特区創設を提言されるまでに至ったのは、三木谷議員の尽力これありによるといっても過言ではない。
あとは政府の施策に反映されるのを待つばかりとなった。
畏るべし三木谷議員、飛ぶ鳥を落とす勢い、ベンチャーの星。
これほどまでに影響力ありかつ熱心に英語公用語化を進める彼の基本的考え方の背景にあるのは何か。
三木谷氏の著作からそれを探ってみよう。
2016年1月25日月曜日
2016年1月18日月曜日
資本主義と自由について 7
フリードマンは経済学者として、豊かな社会を目標としていることを、R・E・パーカーとのインタビューで述べている。
「パーカー : 資本主義にとって何が一番脅威でしょうか。
フリードマン : 資本主義にとっての一番の脅威は、過大な政府です。それは必ずしも社会主義とは限りません。
単に官僚的、管理的、それに規制を好む政府と平等主義です。
パーカー : ロバート・ソローが言ったように、資本主義は、平等性を損なうことなく経済効率を高めることが可能であると証明し続けなければならないとお考えでしょうか。
フリードマン : 資本主義はそのような証明ができるとは思いません。また、そのような必要もないと思います。
(中略)
パーカー: ケインズの目標は資本主義を守ろうとすることにあったとお考えでしょうか。
フリードマン : いいえ、そうではありません。ケインズの目標は正しく、私の目標と同じく、資本主義を守ることではありません。
私もそうですが、彼の目標は豊かな社会を作ることでした。
私はケインズを大変尊敬しています。彼は人間的にも大変立派な、偉大な経済学者であったと思います。
大恐慌について彼が考えたあの仮設には同意しませんが、すべての科学の進歩というものは、後で誤りであると判明する仮説を提示した人から生まれるのです。
私の答えはノーです。ケインズの目標は彼の仲間たち、イギリス国民、さらには世界中の人たちを豊かにすることであったと思います。」
(R・E・パーカー著宮川重義訳中央経済社『大恐慌を見た経済学者11人はどう生きたか』)
だが彼の目標である豊かな社会は歪な形で到来した。豊かさは限られた一部の人に独占されその他大多数の人は置き去りにされた。その結果、格差はより一層拡大した。
自由と平等は両立しないし両立させる必要もないという彼の考えの負の部分が現実のものとなったと言えよう。
政府の干渉のない市場経済メカニズムのもとで安定的に機能するはずであったマネタリズムは必ずしもうまく機能せず、マネーが独り歩きをし市場経済は半ば賭博場と化した。
20世紀最大の経済学者と言われたケインズは ”経済学者や政治哲学者の思想はそれが正しいか間違っているかにかかわらず強力であり、それ以外に世界を支配するものは殆んどない。” と言ったが、この経済学者の思想はフリードマンのそれについても同じことが言える。
フリードマンは、ケインズ以降、最も有力な経済学者の一人であるからである。
小さな政府、緊縮財政、マネタリズムなどフリードマンの思想は、アメリカ、欧州、日本はじめ今や世界中に浸透している。
日本を含め各国の金融・財政政策はあたかもフリードマンの教えを忠実に守っているかのようだ。
彼流に言えば ” 後で誤りと判明された仮説 ” であるにも拘らず。
経済は生きている。細部を捨象すれば、インフレ期にはインフレ対策、デフレ期にはデフレ対策が正しい政策であるのは論を俟たない。
世界の現状はグローバリズム化した結果、需要不足・供給過剰のデフレ現象を来たしている。少なくとも世界のGDPの過半を占める日米欧の先進諸国の実情はそうである。
それ故供給が需要をつくりだすという発想にもとづいた政策は機能しなくなっている。
小さな政府、緊縮財政、規制緩和は、需要過多、供給不足のインフレ期には有効かもしれないが需要が不足するデフレ期には有効とはいえない。
それでもなお小さな政府、緊縮財政に走る世界の現状は驚嘆の極みであり、まるでフリードマンの呪縛に捉われているかのようだ。
どうしたらこの呪縛から逃れられるだろうか。呪縛であるからには人の心の在りようにこそその解があるのではないか。
人は総じて権威に弱い、経済学者それもノーベル章に輝く有力な経済学者の言説に逆らうことなど自らの価値を貶めるのではないか、自らの無知を晒すことになるのではないかとおそれる。
そういう人は ” 王様は裸だ ” と叫んで人びとの呪縛を解いたアンデルセン童話の無邪気な子供の心を忘れ去ってしまっているのだ。
この子供心を呼び覚しフリードマンの呪縛を解くものは果たして誰ぞ!
「パーカー : 資本主義にとって何が一番脅威でしょうか。
フリードマン : 資本主義にとっての一番の脅威は、過大な政府です。それは必ずしも社会主義とは限りません。
単に官僚的、管理的、それに規制を好む政府と平等主義です。
パーカー : ロバート・ソローが言ったように、資本主義は、平等性を損なうことなく経済効率を高めることが可能であると証明し続けなければならないとお考えでしょうか。
フリードマン : 資本主義はそのような証明ができるとは思いません。また、そのような必要もないと思います。
(中略)
パーカー: ケインズの目標は資本主義を守ろうとすることにあったとお考えでしょうか。
フリードマン : いいえ、そうではありません。ケインズの目標は正しく、私の目標と同じく、資本主義を守ることではありません。
私もそうですが、彼の目標は豊かな社会を作ることでした。
私はケインズを大変尊敬しています。彼は人間的にも大変立派な、偉大な経済学者であったと思います。
大恐慌について彼が考えたあの仮設には同意しませんが、すべての科学の進歩というものは、後で誤りであると判明する仮説を提示した人から生まれるのです。
私の答えはノーです。ケインズの目標は彼の仲間たち、イギリス国民、さらには世界中の人たちを豊かにすることであったと思います。」
(R・E・パーカー著宮川重義訳中央経済社『大恐慌を見た経済学者11人はどう生きたか』)
だが彼の目標である豊かな社会は歪な形で到来した。豊かさは限られた一部の人に独占されその他大多数の人は置き去りにされた。その結果、格差はより一層拡大した。
自由と平等は両立しないし両立させる必要もないという彼の考えの負の部分が現実のものとなったと言えよう。
政府の干渉のない市場経済メカニズムのもとで安定的に機能するはずであったマネタリズムは必ずしもうまく機能せず、マネーが独り歩きをし市場経済は半ば賭博場と化した。
20世紀最大の経済学者と言われたケインズは ”経済学者や政治哲学者の思想はそれが正しいか間違っているかにかかわらず強力であり、それ以外に世界を支配するものは殆んどない。” と言ったが、この経済学者の思想はフリードマンのそれについても同じことが言える。
フリードマンは、ケインズ以降、最も有力な経済学者の一人であるからである。
小さな政府、緊縮財政、マネタリズムなどフリードマンの思想は、アメリカ、欧州、日本はじめ今や世界中に浸透している。
日本を含め各国の金融・財政政策はあたかもフリードマンの教えを忠実に守っているかのようだ。
彼流に言えば ” 後で誤りと判明された仮説 ” であるにも拘らず。
経済は生きている。細部を捨象すれば、インフレ期にはインフレ対策、デフレ期にはデフレ対策が正しい政策であるのは論を俟たない。
世界の現状はグローバリズム化した結果、需要不足・供給過剰のデフレ現象を来たしている。少なくとも世界のGDPの過半を占める日米欧の先進諸国の実情はそうである。
それ故供給が需要をつくりだすという発想にもとづいた政策は機能しなくなっている。
小さな政府、緊縮財政、規制緩和は、需要過多、供給不足のインフレ期には有効かもしれないが需要が不足するデフレ期には有効とはいえない。
それでもなお小さな政府、緊縮財政に走る世界の現状は驚嘆の極みであり、まるでフリードマンの呪縛に捉われているかのようだ。
どうしたらこの呪縛から逃れられるだろうか。呪縛であるからには人の心の在りようにこそその解があるのではないか。
人は総じて権威に弱い、経済学者それもノーベル章に輝く有力な経済学者の言説に逆らうことなど自らの価値を貶めるのではないか、自らの無知を晒すことになるのではないかとおそれる。
そういう人は ” 王様は裸だ ” と叫んで人びとの呪縛を解いたアンデルセン童話の無邪気な子供の心を忘れ去ってしまっているのだ。
この子供心を呼び覚しフリードマンの呪縛を解くものは果たして誰ぞ!
2016年1月11日月曜日
資本主義と自由について 6
アメリカン・ドリームとは努力次第で誰でも成功するチャンスがあることの代名詞であるが、現実のアメリカは行き過ぎた自由により強者の論理にはかなうかもしれないが弱者の論理とは合致せずこの言葉の本来の意味を失いつつある。
フリードマンの政策を積極的に採用したレーガン大統領時代からこのことが少しずつ現れはじめ貧富の差が拡大しアメリカは格差社会へと突入していった。
格差拡大につれ機会均等も損なわれる。
フリードマンの思想が顕著に政策として具現された例は、金融市場であろう。
フリードマンは政府の介入を必要最小限に止める小さな政府を主張したが、中央銀行については例外扱いとした。
マネタリストである彼は、特にマネーサプライを重視した。
マネーサプライを常に一定の割合で増やしていけば経済は安定的に成長すると説いた。必要とあらばそれはコンピュータに任せてもいいとも。
フリードマンは独特の実証経済学理論にもとづき金融市場から規制をなくし為替も固定相場制から変動相場制にすれば金融市場はより一層活性化し経済に好循環をもたらすであろうという仮説をたてた。
この仮説はやがて現実に実施されその結果、規制を解除された金融市場は、水をえた魚のごとく自由に取引ができる市場となった。
金融市場にはサブプライムローンなど複雑な金融商品が続々と生まれた。これらの金融商品を人びとは格付け会社の格付けを参考に競って購入した。高格付けを付与されたサブプライムローンはその典型であろう。その帰結は述べるまでもない。
これが一つのキッカケになってリーマンブラザーズが破綻に追い込まれた。
フリードマンの安定的な経済成長という意図とは裏腹にアメリカの金融市場は賭博場と化していった。
市場の規制をなくし”おカネ”と”企業”を大事にした結果、強きを助け弱きを挫く経済の大量虐殺を招いた。
これはフリードマンの意図とは異なる。
フリードマンの意図は、マネーサプライを一定の割合で増やし、かつ企業に対しても課税強化などせず (課税強化などすれば企業は税金逃れなどに力をそそぎ本来の企業活動がおろそかになる) 企業の利益が増えるよう手助けすれば、その利益が貧しい人びとにも滴り落ち安定的な経済成長が得られる筈であった。
マネーの暴走は安定的な成長というフリードマンの意図をはるかに超えグローバル化し制御不能となった。
わが国もこの影響をモロに受け格差が拡大し、一億総中流はもはや昔話になってしまった。
近年とくにフリードマンよりの政策をかかげる政府や金融・財政当局に対して、顔色をうかがう政府主催審議会の御用学者や民間議員の活躍が目立つ。
経済学者の影響はたとえまちがっていても思いのほか強力である。
ケインズは有名な『雇用、利子、貨幣の一般理論』の最後でこのことについて述べている。
「経済学者や政治哲学者たちの発想というのは、それが正しい場合にもまちがっている場合にも、一般に思われているよりずっと強力なものです。というか、それ以外に世界を支配するものはほとんどありません。
知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどこかのトンデモ経済学者の奴隷です。
虚空からお告げを聞き取るような、権力の座にいるキチガイたちは、数年前の駄文書き殴り学者からその狂信的な発想を得ているのです。
こうした発想がだんだん浸透するのに比べれば、既存利害の力はかなり誇張されていると思います。
もちろんすぐには影響しませんが、しばらく時間をおいて効いてきます。
というのも経済と政治哲学の分野においては、二十五歳から三十歳を過ぎてから新しい発想に影響される人はあまりいません。
ですから公僕や政治家や扇動家ですら、現在のできごとに適用したがる発想というのは、たぶん最新のものではないのです。
でも遅かれ早かれ、善悪双方にとって危険なのは、発想なのであり、既存利害ではないのです。」
(ジョン・メイナード・ケインズ著山形浩生訳講談社学術文庫『雇用、利子、お金の一般理論』)
リーマン・ショック直後の2008年11月イギリスのエリザベス女王がロンドン大経済政治学院の開所式で、その場に居合わせた経済学者たちに 『どうして、危機が起きることを誰も分からなかったのですか?』 と質問したがだれも答えられなかったという。
この話には後日談がある。
4年後の2012年12月イングランド銀行を訪れた同女王に対し、銀行幹部は4年前の女王の質問に回答を用意していた。
『金融が複雑になって危機を予測できなかった』 と。
フリードマンの政策を積極的に採用したレーガン大統領時代からこのことが少しずつ現れはじめ貧富の差が拡大しアメリカは格差社会へと突入していった。
格差拡大につれ機会均等も損なわれる。
フリードマンの思想が顕著に政策として具現された例は、金融市場であろう。
フリードマンは政府の介入を必要最小限に止める小さな政府を主張したが、中央銀行については例外扱いとした。
マネタリストである彼は、特にマネーサプライを重視した。
マネーサプライを常に一定の割合で増やしていけば経済は安定的に成長すると説いた。必要とあらばそれはコンピュータに任せてもいいとも。
フリードマンは独特の実証経済学理論にもとづき金融市場から規制をなくし為替も固定相場制から変動相場制にすれば金融市場はより一層活性化し経済に好循環をもたらすであろうという仮説をたてた。
この仮説はやがて現実に実施されその結果、規制を解除された金融市場は、水をえた魚のごとく自由に取引ができる市場となった。
金融市場にはサブプライムローンなど複雑な金融商品が続々と生まれた。これらの金融商品を人びとは格付け会社の格付けを参考に競って購入した。高格付けを付与されたサブプライムローンはその典型であろう。その帰結は述べるまでもない。
これが一つのキッカケになってリーマンブラザーズが破綻に追い込まれた。
フリードマンの安定的な経済成長という意図とは裏腹にアメリカの金融市場は賭博場と化していった。
リーマン・ショックは全世界に影響をあたえた。行き過ぎた自由、市場万能主義の結果は ”悲惨” の一語につきる。
フリードマンが与えた影響について、中山智香子氏は簡潔ににまとめている。
「市場の自由を唯一の原則とするフリードマンの経済学が、市場にとってむしろ例外と考えられていた 『企業』 と 『貨幣』 にかかわる利害関係者たちに利用され、また当時のアメリカの政治とメディアによって担ぎ出されて、さらには1973年9月11日のピノチェトのクーデター以降のチリの経済政策となって実施されたことで、ほんの数年のうちに、つまり1975,76年頃までにはほぼ 『主義』 として定着したことをみた。
またそれが不況にあえぐイギリスでも処方され、また覇権国アメリカの心臓部ニューヨークの財政危機にも適用されるうちに、普通に働く人びとに 『所有者社会』 の夢を語りながら、『新自由主義』 としてグローバル世界に普及していく基盤を形成したことを考察した。
ただし、そうした夢に誘うためにさまざまな金融商品が生み出された貨幣市場ではやがて、国家権力による統治の力も、これを土台とした国際経済社会の統治の力も及ばないような、いわばおカネの独り歩きという事態が生じることになった。
2008年秋のいわゆるリーマン・ショック以降、世界を襲った金融危機は、このようなおカネの独り歩き状態が、やはりそれ自体として持続不可能な不安定なものであったことを示した。」
フリードマンが与えた影響について、中山智香子氏は簡潔ににまとめている。
「市場の自由を唯一の原則とするフリードマンの経済学が、市場にとってむしろ例外と考えられていた 『企業』 と 『貨幣』 にかかわる利害関係者たちに利用され、また当時のアメリカの政治とメディアによって担ぎ出されて、さらには1973年9月11日のピノチェトのクーデター以降のチリの経済政策となって実施されたことで、ほんの数年のうちに、つまり1975,76年頃までにはほぼ 『主義』 として定着したことをみた。
またそれが不況にあえぐイギリスでも処方され、また覇権国アメリカの心臓部ニューヨークの財政危機にも適用されるうちに、普通に働く人びとに 『所有者社会』 の夢を語りながら、『新自由主義』 としてグローバル世界に普及していく基盤を形成したことを考察した。
ただし、そうした夢に誘うためにさまざまな金融商品が生み出された貨幣市場ではやがて、国家権力による統治の力も、これを土台とした国際経済社会の統治の力も及ばないような、いわばおカネの独り歩きという事態が生じることになった。
2008年秋のいわゆるリーマン・ショック以降、世界を襲った金融危機は、このようなおカネの独り歩き状態が、やはりそれ自体として持続不可能な不安定なものであったことを示した。」
(中山智香子著平凡社『経済ジェノサイド』)
これはフリードマンの意図とは異なる。
フリードマンの意図は、マネーサプライを一定の割合で増やし、かつ企業に対しても課税強化などせず (課税強化などすれば企業は税金逃れなどに力をそそぎ本来の企業活動がおろそかになる) 企業の利益が増えるよう手助けすれば、その利益が貧しい人びとにも滴り落ち安定的な経済成長が得られる筈であった。
マネーの暴走は安定的な成長というフリードマンの意図をはるかに超えグローバル化し制御不能となった。
わが国もこの影響をモロに受け格差が拡大し、一億総中流はもはや昔話になってしまった。
近年とくにフリードマンよりの政策をかかげる政府や金融・財政当局に対して、顔色をうかがう政府主催審議会の御用学者や民間議員の活躍が目立つ。
経済学者の影響はたとえまちがっていても思いのほか強力である。
ケインズは有名な『雇用、利子、貨幣の一般理論』の最後でこのことについて述べている。
知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどこかのトンデモ経済学者の奴隷です。
虚空からお告げを聞き取るような、権力の座にいるキチガイたちは、数年前の駄文書き殴り学者からその狂信的な発想を得ているのです。
こうした発想がだんだん浸透するのに比べれば、既存利害の力はかなり誇張されていると思います。
もちろんすぐには影響しませんが、しばらく時間をおいて効いてきます。
というのも経済と政治哲学の分野においては、二十五歳から三十歳を過ぎてから新しい発想に影響される人はあまりいません。
ですから公僕や政治家や扇動家ですら、現在のできごとに適用したがる発想というのは、たぶん最新のものではないのです。
でも遅かれ早かれ、善悪双方にとって危険なのは、発想なのであり、既存利害ではないのです。」
(ジョン・メイナード・ケインズ著山形浩生訳講談社学術文庫『雇用、利子、お金の一般理論』)
経済学者の真贋の見極めは、既存利害などよりはるかに重要であるということだろう。
リーマン・ショック直後の2008年11月イギリスのエリザベス女王がロンドン大経済政治学院の開所式で、その場に居合わせた経済学者たちに 『どうして、危機が起きることを誰も分からなかったのですか?』 と質問したがだれも答えられなかったという。
この話には後日談がある。
4年後の2012年12月イングランド銀行を訪れた同女王に対し、銀行幹部は4年前の女王の質問に回答を用意していた。
『金融が複雑になって危機を予測できなかった』 と。
これに対し女王はこう応えたという。
『人びとが少しだらしなくなってきたのでしょう』
『人びとが少しだらしなくなってきたのでしょう』
2015年12月28日月曜日
資本主義と自由について 5
まずフリードマンの魅力として挙げられるのが、彼の学説は自由を求める精神が基盤となっていることである。
アメリカはイングランドから信仰の弾圧を逃れてきたピューリタンによって誕生した。
圧制・弾圧はアメリカ人にとって消し去ることのできない幼児体験となっている。彼の学説がアメリカ人の心の琴線に触れるであろうことは容易に頷ける。
つぎにフリードマンの主張が具体的に分かり易くかつ時代に適合していたことが挙げられる。
1970年代アメリカはベトナム戦争で疲弊し財政も悪化していた。
この時フリードマンはニクソン政権に徴兵制廃止と為替の自由化を進言した。彼はまた弱者にも配慮し、負の所得税を提起している。
折りしも冷戦下で社会主義よりも自由主義が優るという彼の主張は多くのアメリカ人に受け入れられたであろうこともまた容易に頷ける。
最後に挙げられるのが経済学者としてフリードマン独特の実証的な経済理論の方法であろう。
彼は、若い時、一時自分の進路について数学者になるか経済学者になるか迷ったと言っている。このためか社会科学である経済学とその他の科学の違いをはっきりと認識し、独自の実証的経済理論を展開した。
経済学の方法論についてフリードマンはつぎのようにのべている
「実証的な科学としての経済学は、条件の変化がもたらす結果を予測するのにも用いられるような、経済現象に関する、試論的に容認される、一般化の体系である。
この一般化の体系の拡大、それらの妥当性に対するわれわれの信頼の強化、ならびに、それらが産み出す予測の精度の改善における進歩は、あらゆる知識の探求を阻む人間能力の限界によって妨げられるだけでなく、社会科学一般、とりわけ経済学にとって --- けっして固有のものとはいわないまでも --- とくに重要な障害によっても妨げられるのである。
経済学の主題に慣れてしまうと、それに対する特殊な知識を侮るようになる。
その主題が日常生活や公共政策の主要な問題にとって、重要であるために、客観性が阻害されたり、科学的分析と規範的判断の混同が助長されたりする。
管理実験よりむしろ管理されない経験に頼らざるをえないため、試論的な仮説の容認を正当化するのに非常に効果的で、明確な証拠を産み出すことがむずかしい。
管理されない経験に頼るからといって、仮説はその仮説の含意もしくは予測と観察可能な現象との一致によってのみテストされることができるという方法論上の基本的原理が影響を受けるわけではない。
しかし、そのために仮説をテストするという仕事はいっそうむずかしくなり、それにかかわる方法論上の諸原理に関する混同が入り込む余地はいっそう大きくなる。
社会科学者は、その他の科学者たち以上に、かれらの方法論について気を配る必要がある。」
(ミルトン・フリードマン著佐藤隆三・長谷川啓之訳富士書房『実証的経済学の方法と展開』)
一言でいえば、社会科学である経済学の ”経済理論は、 『仮説』 をたてても、これを 『テスト』 して実証することは困難である。” ということであろう。
それならばどうしたらいいのか? フリードマンの処方箋はこうだ
「そのような理論は、その”仮定”を”現実”と直接に比べてテストするということはできない。
事実、それがなされうるような有意味な方法はない。完全な”現実主義”を達成することは明らかにできないから、したがって、ある理論が、”じゅうぶんに”現実的かどうかという問題は、当面の目的にとってじゅうぶんに良好な予測をその理論がもたらすかどうか、あるいは択一的な理論による予測以上にすぐれた予測をそれがもたらすかどうかを確かめて、はじめて解決されるのである。
けれども、理論は、それがもたらす予測の正確さと独立に、その理論の仮定が現実的であるかどうかによってテストできるのだという信念がはびこっており、しかもそれが経済理論を非現実的であると非難する、多年にわたる多くの批判の源泉ともなっている。
そのような批判は大体において見当ちがいであり、したがって、その批判に刺激されて試みられた経済理論の改良の企ては、ほとんど失敗してきた。
経済理論にたいするきわめて多くの批判が見当ちがいだからといって、現在の経済理論が厚い信頼を受けるに値するということにはならないのはいうまでもない。
それらの批判は的を外しているかもしれないが、批判に値する的はあるかもしれない。もちろん、取るにたらない意味でなら、的は明らかにある。
いかなる理論も試論的であることは避けがたく、しかも知識の進歩とともに変化を受けやすい。
このようなありきたりの文句を超えて進むためには、”現在の経済理論”の内容をもっと明確に把握し、そして、その異なった部分を区別する必要がある。
経済理論のある部分は他の部分より明らかにいっそうの信頼に値するのである。
実証的な経済学の現状の包括的評価、実証的経済学の妥当性に関連する証拠の要約およびそれぞれの部分が受けるに値する相対的な信頼の評価を行なうことは、いやしくもそれが可能だとしても、明らかに一冊の専門書もしくは一連の専門書によって始めてなしうる仕事であり、方法論に関する一編の短い論文でなしうることではない。」(前掲書)
少しく敷衍してみよう。
仮説を完全に実証することなどできない以上、それを求めつづけても仕方がないしそんなことをしても無意味だ。
仮説が当面の目的にとって現実的であるかどうかが問われなければならない。
いいかえればその仮説の予測がその他の仮説の予測より優れているかどうかが問われるべきである。
いかなる経済理論も所詮は仮説の域を脱することはできないし、しかも知識の進歩とともに変化を受けやすい。 だがこの仮説の評価はそう簡単にはできない。一編の短い論文などでできない。腰をすえて専門的に研究して始めてできるような仕事だ。
フリードマンの説に従えば、われわれは経済学の仮説は、専門的に研究しなければ評価不可ということになる。
この突き放したような方法論はケインジアンはじめ当時の経済学者から批判されたといわれている。
だが当時経済学会で圧倒的権威であったケインズ経済理論に翳りがみえはじめた時期でもあり、フリードマンの説は新鮮な驚きをもって迎えられたという。
このような魅力によりフリードマンは学問的にも政策的にもまずアメリカでその後世界中に大きな影響を与えた。
その影響とは具体的にどんなものか。またわが国にどんな影響をあたえたか。
フリードマンが述べているように経済理論は試論的であり専門的な研究を経ずして評価できないかもしれない。だが、時を経れば試論が完全に実証されなくともその帰趨は次第に明らかになり、評価もまた可能となろう。
アメリカはイングランドから信仰の弾圧を逃れてきたピューリタンによって誕生した。
圧制・弾圧はアメリカ人にとって消し去ることのできない幼児体験となっている。彼の学説がアメリカ人の心の琴線に触れるであろうことは容易に頷ける。
つぎにフリードマンの主張が具体的に分かり易くかつ時代に適合していたことが挙げられる。
1970年代アメリカはベトナム戦争で疲弊し財政も悪化していた。
この時フリードマンはニクソン政権に徴兵制廃止と為替の自由化を進言した。彼はまた弱者にも配慮し、負の所得税を提起している。
折りしも冷戦下で社会主義よりも自由主義が優るという彼の主張は多くのアメリカ人に受け入れられたであろうこともまた容易に頷ける。
最後に挙げられるのが経済学者としてフリードマン独特の実証的な経済理論の方法であろう。
彼は、若い時、一時自分の進路について数学者になるか経済学者になるか迷ったと言っている。このためか社会科学である経済学とその他の科学の違いをはっきりと認識し、独自の実証的経済理論を展開した。
経済学の方法論についてフリードマンはつぎのようにのべている
「実証的な科学としての経済学は、条件の変化がもたらす結果を予測するのにも用いられるような、経済現象に関する、試論的に容認される、一般化の体系である。
この一般化の体系の拡大、それらの妥当性に対するわれわれの信頼の強化、ならびに、それらが産み出す予測の精度の改善における進歩は、あらゆる知識の探求を阻む人間能力の限界によって妨げられるだけでなく、社会科学一般、とりわけ経済学にとって --- けっして固有のものとはいわないまでも --- とくに重要な障害によっても妨げられるのである。
経済学の主題に慣れてしまうと、それに対する特殊な知識を侮るようになる。
その主題が日常生活や公共政策の主要な問題にとって、重要であるために、客観性が阻害されたり、科学的分析と規範的判断の混同が助長されたりする。
管理実験よりむしろ管理されない経験に頼らざるをえないため、試論的な仮説の容認を正当化するのに非常に効果的で、明確な証拠を産み出すことがむずかしい。
管理されない経験に頼るからといって、仮説はその仮説の含意もしくは予測と観察可能な現象との一致によってのみテストされることができるという方法論上の基本的原理が影響を受けるわけではない。
しかし、そのために仮説をテストするという仕事はいっそうむずかしくなり、それにかかわる方法論上の諸原理に関する混同が入り込む余地はいっそう大きくなる。
社会科学者は、その他の科学者たち以上に、かれらの方法論について気を配る必要がある。」
(ミルトン・フリードマン著佐藤隆三・長谷川啓之訳富士書房『実証的経済学の方法と展開』)
一言でいえば、社会科学である経済学の ”経済理論は、 『仮説』 をたてても、これを 『テスト』 して実証することは困難である。” ということであろう。
それならばどうしたらいいのか? フリードマンの処方箋はこうだ
「そのような理論は、その”仮定”を”現実”と直接に比べてテストするということはできない。
事実、それがなされうるような有意味な方法はない。完全な”現実主義”を達成することは明らかにできないから、したがって、ある理論が、”じゅうぶんに”現実的かどうかという問題は、当面の目的にとってじゅうぶんに良好な予測をその理論がもたらすかどうか、あるいは択一的な理論による予測以上にすぐれた予測をそれがもたらすかどうかを確かめて、はじめて解決されるのである。
けれども、理論は、それがもたらす予測の正確さと独立に、その理論の仮定が現実的であるかどうかによってテストできるのだという信念がはびこっており、しかもそれが経済理論を非現実的であると非難する、多年にわたる多くの批判の源泉ともなっている。
そのような批判は大体において見当ちがいであり、したがって、その批判に刺激されて試みられた経済理論の改良の企ては、ほとんど失敗してきた。
経済理論にたいするきわめて多くの批判が見当ちがいだからといって、現在の経済理論が厚い信頼を受けるに値するということにはならないのはいうまでもない。
それらの批判は的を外しているかもしれないが、批判に値する的はあるかもしれない。もちろん、取るにたらない意味でなら、的は明らかにある。
いかなる理論も試論的であることは避けがたく、しかも知識の進歩とともに変化を受けやすい。
このようなありきたりの文句を超えて進むためには、”現在の経済理論”の内容をもっと明確に把握し、そして、その異なった部分を区別する必要がある。
経済理論のある部分は他の部分より明らかにいっそうの信頼に値するのである。
実証的な経済学の現状の包括的評価、実証的経済学の妥当性に関連する証拠の要約およびそれぞれの部分が受けるに値する相対的な信頼の評価を行なうことは、いやしくもそれが可能だとしても、明らかに一冊の専門書もしくは一連の専門書によって始めてなしうる仕事であり、方法論に関する一編の短い論文でなしうることではない。」(前掲書)
少しく敷衍してみよう。
仮説を完全に実証することなどできない以上、それを求めつづけても仕方がないしそんなことをしても無意味だ。
仮説が当面の目的にとって現実的であるかどうかが問われなければならない。
いいかえればその仮説の予測がその他の仮説の予測より優れているかどうかが問われるべきである。
いかなる経済理論も所詮は仮説の域を脱することはできないし、しかも知識の進歩とともに変化を受けやすい。 だがこの仮説の評価はそう簡単にはできない。一編の短い論文などでできない。腰をすえて専門的に研究して始めてできるような仕事だ。
フリードマンの説に従えば、われわれは経済学の仮説は、専門的に研究しなければ評価不可ということになる。
この突き放したような方法論はケインジアンはじめ当時の経済学者から批判されたといわれている。
だが当時経済学会で圧倒的権威であったケインズ経済理論に翳りがみえはじめた時期でもあり、フリードマンの説は新鮮な驚きをもって迎えられたという。
このような魅力によりフリードマンは学問的にも政策的にもまずアメリカでその後世界中に大きな影響を与えた。
その影響とは具体的にどんなものか。またわが国にどんな影響をあたえたか。
フリードマンが述べているように経済理論は試論的であり専門的な研究を経ずして評価できないかもしれない。だが、時を経れば試論が完全に実証されなくともその帰趨は次第に明らかになり、評価もまた可能となろう。
2015年12月21日月曜日
資本主義と自由について 4
2007年のサブプライムローン問題から連鎖的に発生した2008年のリーマンショックを含む金融危機は、またたくまに世界を駆け巡った。
資本移動の自由なくしてあり得ない事件である。
フリードマンは規制緩和、金融自由化および資本移動の自由化の促進を主張した。
彼の主張が直接的に2008年の金融危機を引き起こしたわけではない。
だが彼の主張は市場主義あるいは市場原理主義の精神的バックボーンとなっている。
フリードマンは自著で ”投機は一般的に不安定化をもたら すものであると主張する人びとは,その主張が投機業者は損をするものだという 主張とほぼ等しいことをほとんど認識していない” と投機を擁護している。
投機活動には価格安定化作用があるとさえ言っている。
アメリカでは、市場万能主義が跳梁し、その影響は金融工学にもおよび、2人のノーベル経済学受賞者を巻き込んだロングターム・キャピタル・マネジメント事件を引き起こした。
2人のノーベル章受賞者とは、スタンフォード大学教授のマイロン・ショールズとハーバード大学教授のロバート・マートンであり、受賞理由が 『デリバティブの価格付け理論』 であった。
当時ノーベル経済学受賞者もかかわった投機事件として騒がれた。
今なおウォール街発信の金融デリバティブを駆使した市場経済はアメリカのみならず世界に蔓延している。
欧州では、ドイツ主導による緊縮財政が域内の諸国を拘束している。
フリードマンの影響はわが国にも及んだ。
橋本内閣は、イギリスのサッチャー政権による金融ビッグバンを見習ってか金融機関の大幅な規制緩和と組織改組を実施した。
小泉内閣は郵政民営化を実施し、 ”貯蓄から投資へ” の旗印のもと銀行と証券の垣根がとり払った。
安倍内閣は、民間議員をフル活用し構造改革と規制緩和に励んでいる。
まるでフリードマンの亡霊が世界を駆け巡り彼の教義が人々を呪縛しているかのような不思議な現象である。
かってマルクスは、”商品は貨幣に恋をする。だがその道のりは平坦ではない” と言った。
だは現下の世界情勢はこれを ”商品は貨幣に恋をし、その恋は必ず成就するであろう” と言い直す必要がある。
前者を、有効需要の原理になぞらえれば後者はセイの法則となる。
経済学の永遠のテーマ 『有効需要の原理』 と 『セイの法則』 は振り子のように時代によって変わった。
その時々に相応しい政策となったときもあれば必ずしもそうでないときもある。
現代は後者に該当するといえよう。世界の各地でかって経験したことがない長期のデフレ現象に苦しめられているにも拘らず需要喚起の政策が等閑に付されているのだから。
なぜかかる事態になったか。ひとりミルトン・フリードマンにせいにするのは無謀である。
だが彼の教義には人々をひきつけ離さないものがあるのも事実だ。
知日家のロナルド・ドーアが自著で 「米国のビジネス・スクールや経済学大学院で教育された日本の『洗脳世代』 」 と命名した人たちは少なからずフリードマンに代表されるシカゴ学派の影響をうけた人たちといわれる。
フリードマンはなぜこのように強い影響を与えることができたのだろうか。
資本移動の自由なくしてあり得ない事件である。
フリードマンは規制緩和、金融自由化および資本移動の自由化の促進を主張した。
彼の主張が直接的に2008年の金融危機を引き起こしたわけではない。
だが彼の主張は市場主義あるいは市場原理主義の精神的バックボーンとなっている。
フリードマンは自著で ”投機は一般的に不安定化をもたら すものであると主張する人びとは,その主張が投機業者は損をするものだという 主張とほぼ等しいことをほとんど認識していない” と投機を擁護している。
投機活動には価格安定化作用があるとさえ言っている。
アメリカでは、市場万能主義が跳梁し、その影響は金融工学にもおよび、2人のノーベル経済学受賞者を巻き込んだロングターム・キャピタル・マネジメント事件を引き起こした。
2人のノーベル章受賞者とは、スタンフォード大学教授のマイロン・ショールズとハーバード大学教授のロバート・マートンであり、受賞理由が 『デリバティブの価格付け理論』 であった。
当時ノーベル経済学受賞者もかかわった投機事件として騒がれた。
今なおウォール街発信の金融デリバティブを駆使した市場経済はアメリカのみならず世界に蔓延している。
欧州では、ドイツ主導による緊縮財政が域内の諸国を拘束している。
フリードマンの影響はわが国にも及んだ。
橋本内閣は、イギリスのサッチャー政権による金融ビッグバンを見習ってか金融機関の大幅な規制緩和と組織改組を実施した。
小泉内閣は郵政民営化を実施し、 ”貯蓄から投資へ” の旗印のもと銀行と証券の垣根がとり払った。
安倍内閣は、民間議員をフル活用し構造改革と規制緩和に励んでいる。
まるでフリードマンの亡霊が世界を駆け巡り彼の教義が人々を呪縛しているかのような不思議な現象である。
かってマルクスは、”商品は貨幣に恋をする。だがその道のりは平坦ではない” と言った。
だは現下の世界情勢はこれを ”商品は貨幣に恋をし、その恋は必ず成就するであろう” と言い直す必要がある。
前者を、有効需要の原理になぞらえれば後者はセイの法則となる。
経済学の永遠のテーマ 『有効需要の原理』 と 『セイの法則』 は振り子のように時代によって変わった。
その時々に相応しい政策となったときもあれば必ずしもそうでないときもある。
現代は後者に該当するといえよう。世界の各地でかって経験したことがない長期のデフレ現象に苦しめられているにも拘らず需要喚起の政策が等閑に付されているのだから。
なぜかかる事態になったか。ひとりミルトン・フリードマンにせいにするのは無謀である。
だが彼の教義には人々をひきつけ離さないものがあるのも事実だ。
知日家のロナルド・ドーアが自著で 「米国のビジネス・スクールや経済学大学院で教育された日本の『洗脳世代』 」 と命名した人たちは少なからずフリードマンに代表されるシカゴ学派の影響をうけた人たちといわれる。
フリードマンはなぜこのように強い影響を与えることができたのだろうか。
2015年12月14日月曜日
資本主義と自由について 3
フリードマンは1950年代と1960年代を通じ経済理論の世界で巨星のように聳え立っていたケインズ理論の批判によって俄然注目を浴びた。
1929年の大恐慌の原因は、ケインズは資本主義の欠陥によるといったが、フリードマンは貨幣政策の失敗であるといった。
ケインジアンはインフレと失業がトレードオフの関係にあるフィリップス曲線を根拠に政府が財政と金融に積極的に介入すべきであると説いたが、フリードマンはフィリップス曲線を否定した。
またフリードマンはケインズの貨幣論を否定しマネーサプライと物価に着目し貨幣数量説をとなえ”インフレは貨幣的な現象だ”と主張した。
マネーサプライはルールによって実施されるべきで政府の裁量によるべきではない、とも。
この一連のケインズ批判によりフリードマンの名声は確固たるものになった。
フリードマンは、自由社会における政府の役割を制限すべきであると主張した。そして政府に委ねるべきではない仕事のほんの一部として14項目を挙げている。
彼には、自由を守り自由の範囲を広げることは、自由主義に則った制度であれば、国家の強制に比べてたとえ速度は遅くとも、確実に各自の目標を実現できるという固い信念がある。
彼の提言は、現状を鑑みてもアメリカに止まらずその他の資本主義諸国にも広がった。わが国に対しても例外ではない。
特筆すべき分野は、財政・金融関連であろう。マネタリストといわれる彼は、この分野で世界を席巻するほどの影響を及ぼしした。
サッチャー政権やニクソン・レーガン政権の政策に採用されたのだから。
主だったものは
1 貨幣量調整による所得政策 名目GDPにあわせて貨幣量を調整することによって景気を安定させる
2 変動為替相場制の提案 ドルと金の兌換を止め変動相場制にすることによって国際収支は均衡させる
3 負の所得税政策 一定の所得に達していない人には補助金を与え貧困を軽減する
上記提言の結果はどうか。与えた影響の割に成果は心もとない。
1 名目GDPにあわせて貨幣量を調整する方法はインフレ対策にはなったが必ずしも景気を安定させたとは言えない。
2 変動為替相場によって国際収支を均衡させるのが目的であったが、ニクソン政権によるドルと金との兌換禁止後、貿易赤字は解消されなかった。
3 負の所得税対策は辛うじて所期の目的を達成している。
このように採用された政策は必ずしも目的を達せず、影響も限られる。
フリードマンの影響が最も顕著になるのは、彼が名声の絶頂期で死去した後であろう。
彼の思想と直接的なかかわりはないが、少なくとも影響を受けたと思わせる施策に端を発した諸々の事件が文字通り世界を駆け巡った。
1929年の大恐慌の原因は、ケインズは資本主義の欠陥によるといったが、フリードマンは貨幣政策の失敗であるといった。
ケインジアンはインフレと失業がトレードオフの関係にあるフィリップス曲線を根拠に政府が財政と金融に積極的に介入すべきであると説いたが、フリードマンはフィリップス曲線を否定した。
またフリードマンはケインズの貨幣論を否定しマネーサプライと物価に着目し貨幣数量説をとなえ”インフレは貨幣的な現象だ”と主張した。
マネーサプライはルールによって実施されるべきで政府の裁量によるべきではない、とも。
この一連のケインズ批判によりフリードマンの名声は確固たるものになった。
フリードマンは、自由社会における政府の役割を制限すべきであると主張した。そして政府に委ねるべきではない仕事のほんの一部として14項目を挙げている。
① 農産物の買取保証価格制度政府の役割を抑えた小さな政府の提言である。
② 輸入関税または輸出制限
③ 産出規制
④ 家賃統制、全面的な物価・賃金統制
⑤ 法定の最低賃金や価格上限、法定金利
⑥ 細部にわたる産業規制、銀行に対する詳細な規則
⑦ 連邦通信委員会によるラジオとテレビの規制
⑧ 現行の社会保障制度、とくに老齢・退職年金制度
⑨ 事業・職業免許制度
⑩ 公営住宅および住宅建設を奨励するための補助金制度
⑪ 平時の徴兵制
⑫ 国立公園
⑬ 営利目的での郵便事業の法的禁止
⑭ 公有公営の有料道路
(ミルトン・フリードマン著村井章子訳日経BP社『資本主義と自由』から)
彼には、自由を守り自由の範囲を広げることは、自由主義に則った制度であれば、国家の強制に比べてたとえ速度は遅くとも、確実に各自の目標を実現できるという固い信念がある。
彼の提言は、現状を鑑みてもアメリカに止まらずその他の資本主義諸国にも広がった。わが国に対しても例外ではない。
特筆すべき分野は、財政・金融関連であろう。マネタリストといわれる彼は、この分野で世界を席巻するほどの影響を及ぼしした。
サッチャー政権やニクソン・レーガン政権の政策に採用されたのだから。
主だったものは
1 貨幣量調整による所得政策 名目GDPにあわせて貨幣量を調整することによって景気を安定させる
2 変動為替相場制の提案 ドルと金の兌換を止め変動相場制にすることによって国際収支は均衡させる
3 負の所得税政策 一定の所得に達していない人には補助金を与え貧困を軽減する
上記提言の結果はどうか。与えた影響の割に成果は心もとない。
1 名目GDPにあわせて貨幣量を調整する方法はインフレ対策にはなったが必ずしも景気を安定させたとは言えない。
1982年の金融危機時アメリカはフリードマンの提言によらず、大幅な金融緩和という実践的な対処方法で切り抜けた。
2 変動為替相場によって国際収支を均衡させるのが目的であったが、ニクソン政権によるドルと金との兌換禁止後、貿易赤字は解消されなかった。
3 負の所得税対策は辛うじて所期の目的を達成している。
このように採用された政策は必ずしも目的を達せず、影響も限られる。
フリードマンの影響が最も顕著になるのは、彼が名声の絶頂期で死去した後であろう。
彼の思想と直接的なかかわりはないが、少なくとも影響を受けたと思わせる施策に端を発した諸々の事件が文字通り世界を駆け巡った。
2015年12月7日月曜日
資本主義と自由について 2
ミルトン・フリードマンが現れるまでの経済学の潮流を大雑把にスケッチしてみよう。
”経済はそれ自体の法則で発展する” ということは、経済の発展は国家とは本来関係ないということである。
これが社会契約説を唱えたジョン・ロックの経済思想である。
この思想を経済学として確立したのがアダム・スミスである。
古典派経済学とは、カール・マルクスの命名によるといわれているが、アダム・スミスはこの学派の中心人物の一人である。
古典派経済学の経済理論の本質は、”セイの法則” である。セイの法則とは”作ったものは全て売れる” という理論である。
ところが1929年アメリカの大恐慌は、作ったものはちっとも売れず、見えざる手によって導かれる筈の自由放任の古典派経済学のマーケットメカニズムはいっこうに作動しない。
そこでジョン・メイナード・ケインズは古典派経済学の理論とは逆のことを考えた。
作ったものが売れるのではなく、売れるものが作られる。供給が需要を作るのではなく、需要が供給を作のだ、と。
このケインズの有効需要の理論がアメリカの政策として現実に採用されるまでには紆余曲折があった。最終的には第二次世界大戦勃発によって途轍もない需要が生まれため大恐慌は収まった。ケインズの有効需要の理論が実証された。
かくて戦後の一時期、特に60年代はケインズ経済学の全盛時代であり、この時期にフリードマンは現れた。
フリードマンはケインズ経済学に反旗を翻した代表的な経済学者の一人である。
ケインズ経済学の本質である公共投資による有効需要政策の効果を否定したのだ。
サミュエルソンを筆頭にアメリカのケインジアンたちは、インフレと失業との関係について、
”失業を低下させるために財政出動などで景気を刺激するとインフレが昂進し、逆にインフレを低下させるために財政出動などを止めて緊縮財政にすれば失業が増える。”
これを 『フィリップス曲線』 で説明し、失業とインフレを同時に解決することはできず、いずれかにしなければならないと主張した。
ところが、1960年代後半からのアメリカはインフレは昂進するは失業は増えるはのダブルパンチを浴び、いわゆるスタグフレーション現象になった。
フリードマンはこのスタグフレーション現象を指摘し、そもそも『フィリップス曲線』 が失業率を財政出動などで下げようとしていることが前提となっているが、この考え自体が間違っていると主張した。
彼は自著 『インフレーションと失業』 で失業率がインフレ率に連動しない自然失業率なるものが存在し、これを財政出動などでさらに下げようとしても下がらずインフレだけが昂進すると言っている。
インフレ政策をとれば、労働者は従来の賃金に甘んずることく、インフレに見合った賃金を要求するだろう。
そうであれば実質賃金が下がらないため、あらたに雇用する余地が生ぜず失業率を低下させる効果もない。
さらにフリードマンは、ケインズ経済学の核心の一つでもある消費性向についても批判している。
国民の消費は、利子率やその他諸々の要因よりも所得の変化に左右される。しかも所得に対する消費性向は変わらない。
仮に所得500万の人の消費性向が30%と仮定し、この人の所得が1割増加したとしよう。この人は消費を15万(50万x30%)増やすだろう。逆に1割所得が減れば15万円消費を節約するだろう。
したがって民間が設備投資を控える不況期においては、景気をよくするためには政府が財政出動して国民の所得を増やし消費を刺激し景気をよくするほかない。これがケインズのいう消費性向である。
これに対しフリードマンは、国民の消費は必ずしも短期的な所得の変化に左右されないことを、実証的研究で発表した。
そして彼は、消費は、短期的な変動に左右されず、長期的な恒常所得に左右されるという仮説をたて、証明を試みた。
恒常所得の仮説とは、人々が将来所得が増える見込みがあれば消費を増やすが、逆に将来所得が増える見込みがなければ消費を控えることをいう。
折りしもフリードマンが、恒常所得仮説を発表したころアメリカはスタグフレーションに苦しみ、ケインズ経済学の理論に疑問符が付され、フリードマンの仮説が注目された。
1970年代から1980年代はじめにかけてフリードマンの仮説は脚光をあびた。フリードマンの光の部分である。
だが1980年代が進むにつれてそれが色あせてきた。フリードマンに影がさしてきた。
”経済はそれ自体の法則で発展する” ということは、経済の発展は国家とは本来関係ないということである。
これが社会契約説を唱えたジョン・ロックの経済思想である。
この思想を経済学として確立したのがアダム・スミスである。
古典派経済学とは、カール・マルクスの命名によるといわれているが、アダム・スミスはこの学派の中心人物の一人である。
古典派経済学の経済理論の本質は、”セイの法則” である。セイの法則とは”作ったものは全て売れる” という理論である。
ところが1929年アメリカの大恐慌は、作ったものはちっとも売れず、見えざる手によって導かれる筈の自由放任の古典派経済学のマーケットメカニズムはいっこうに作動しない。
そこでジョン・メイナード・ケインズは古典派経済学の理論とは逆のことを考えた。
作ったものが売れるのではなく、売れるものが作られる。供給が需要を作るのではなく、需要が供給を作のだ、と。
このケインズの有効需要の理論がアメリカの政策として現実に採用されるまでには紆余曲折があった。最終的には第二次世界大戦勃発によって途轍もない需要が生まれため大恐慌は収まった。ケインズの有効需要の理論が実証された。
かくて戦後の一時期、特に60年代はケインズ経済学の全盛時代であり、この時期にフリードマンは現れた。
フリードマンはケインズ経済学に反旗を翻した代表的な経済学者の一人である。
ケインズ経済学の本質である公共投資による有効需要政策の効果を否定したのだ。
サミュエルソンを筆頭にアメリカのケインジアンたちは、インフレと失業との関係について、
”失業を低下させるために財政出動などで景気を刺激するとインフレが昂進し、逆にインフレを低下させるために財政出動などを止めて緊縮財政にすれば失業が増える。”
これを 『フィリップス曲線』 で説明し、失業とインフレを同時に解決することはできず、いずれかにしなければならないと主張した。
ところが、1960年代後半からのアメリカはインフレは昂進するは失業は増えるはのダブルパンチを浴び、いわゆるスタグフレーション現象になった。
フリードマンはこのスタグフレーション現象を指摘し、そもそも『フィリップス曲線』 が失業率を財政出動などで下げようとしていることが前提となっているが、この考え自体が間違っていると主張した。
彼は自著 『インフレーションと失業』 で失業率がインフレ率に連動しない自然失業率なるものが存在し、これを財政出動などでさらに下げようとしても下がらずインフレだけが昂進すると言っている。
インフレ政策をとれば、労働者は従来の賃金に甘んずることく、インフレに見合った賃金を要求するだろう。
そうであれば実質賃金が下がらないため、あらたに雇用する余地が生ぜず失業率を低下させる効果もない。
さらにフリードマンは、ケインズ経済学の核心の一つでもある消費性向についても批判している。
国民の消費は、利子率やその他諸々の要因よりも所得の変化に左右される。しかも所得に対する消費性向は変わらない。
仮に所得500万の人の消費性向が30%と仮定し、この人の所得が1割増加したとしよう。この人は消費を15万(50万x30%)増やすだろう。逆に1割所得が減れば15万円消費を節約するだろう。
したがって民間が設備投資を控える不況期においては、景気をよくするためには政府が財政出動して国民の所得を増やし消費を刺激し景気をよくするほかない。これがケインズのいう消費性向である。
これに対しフリードマンは、国民の消費は必ずしも短期的な所得の変化に左右されないことを、実証的研究で発表した。
そして彼は、消費は、短期的な変動に左右されず、長期的な恒常所得に左右されるという仮説をたて、証明を試みた。
恒常所得の仮説とは、人々が将来所得が増える見込みがあれば消費を増やすが、逆に将来所得が増える見込みがなければ消費を控えることをいう。
折りしもフリードマンが、恒常所得仮説を発表したころアメリカはスタグフレーションに苦しみ、ケインズ経済学の理論に疑問符が付され、フリードマンの仮説が注目された。
1970年代から1980年代はじめにかけてフリードマンの仮説は脚光をあびた。フリードマンの光の部分である。
だが1980年代が進むにつれてそれが色あせてきた。フリードマンに影がさしてきた。
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