生まれや育った環境、文化、宗教が異なる外国人は、日本人とは違った視点で日本を客観的に見ることができる。その見方は、正しいか否かは別にしてわれわれの考えるヒントにはなる。
この観点から二人の外国人の相反する日本感の根拠について検証してみよう。
・ジャック・アタリ
日本は並はずれた技術力で80年代に世界の中心都市になるチャンスがあったにもかかわらずそれを逃した。
それは官僚が特権維持にこだわり外国人を受け入れて中心都市になるにふさわしい普遍化の使命を担わず内にひきこもったからである。
これがジャック・アタリの日本に対する見方の核心部分である。
80年代当時日本が世界の中心都市になろうという野望をもっていたかは疑問であるが、経済的に日の出の勢いにあり、外国からもそのように評価されていた。
外国人受け入れは、歴史的にみても世界の中心都市になるためには必要条件かもしれない。
だがその意思がなければあえてすることもないだろう。『ジャパンアズナンバーワン』でも指摘されているように日本の成功は日本的なやり方にあり、と日本自身が自負していたのだから。
ジャック・アタリはグローバリズムや緊縮財政について利点は述べてもそれがもたらす弊害については過小評価している。
欧州は行き過ぎたグローバリズムと緊縮財政のために現状は彼の思惑通りにはなっていない。
アジアについては日本と異なり韓国は中国との関係が良好として過大評価しているが現状は説明するまでもない。
日本のグローバルな人材の受け入れは先進国では最も遅れているかもしれないが、この分野で進んでいる欧州の混乱を見るかぎり、行き過ぎた人材のグローバル化には疑問が残る。
このようにいくつか疑問点があるにしても、ジャック・アタリの自由についての歴史的見識は高く評価されているようだ。
この点、日本に対しては否定的であるが、それは個性とか自由について日本と欧米との間には抜き難い認識の差があるからであろう。
・イェスパー・コール
知的財産
研究開発費のGDPに占める割合が米独より多いので、日本は将来にわたり楽観していいという。が、問題はその内容である。
80年代に日本企業の強みは長期的視野に立った経営にあるといわれた。
ところが昨今の知的財産の活用については、それは当て嵌まらないようだ。
かってソニーの知財部門のトップを務めた中村嘉秀氏はいう。
「経営者は長期的事業戦略や競争には気が回らない。開発、事業、知財の三位一体こそ競争力の源泉である。・・・ 世界を見渡せばApple,Google,Amazon,Microsoft,Qualcomm,Intelなど知財戦略がそっくり事業戦略になっている。
日本でもかっては、ソニーのプレイステーションやCD事業、任天堂のファミコン、日本ビクターのVHS事業なども同じだった。」(馬場練成『発明通信社【潮流No73】』)
研究開発費の多さだけで手放しで楽観的にはなれない。
人口問題
生産年齢人口の減少→労働力不足→供給不足、はこれを否定的に捉えるのではなくむしろ一人ひとりの価値および生産性を引き上げるチャンスと見るべきであると主張している。 この見解は現在の供給過剰・需要不足に起因するデフレ時代には言い得て妙である。
労働力不足を安易に移民により補うことの危うさは欧州の混迷をみれば明らかだ。
日本に楽観的なイェスパー・コール氏であるが、彼は2008年当時、日本に悲観的であった。その根拠について自ら述べている。
「私も色々と日本の審議会に参加しました。それはすごい。検討は深いところまでやって、国際的な比較もします。 非常に面白く、勉強になる。勉強で終わらずにプランまでは出す。しかし、決定能力はゼロに近い。(中略)
日本がいずれ二等国に転落するというレポートはすでにいろいろ出ています。その最大の原因は意思決定ができないということです。」
(イェスパー・コール『日本はすでに世界の関心からはずれている』2008年6月言論NPO)
当時と比べ政治の決定力が格段によくなったとも思えないが彼が楽観に転じたのは、資産運用も手がけるエコノミストらしい変わり身の速さなのだろうか。
このように楽観も悲観もその根拠となるものに、外国特に先進国と比べて際立ってニッポンが悲観的にならなければならない理由が見出せない。
双方とも人口問題を主要な根拠の一つに挙げているが、そのこと自体決定的な根拠に欠ける証でもある。
ニッポン人は諸外国に比べ社会システムに不信感をもっておらず、平和だと思っているにもかかわらず、将来に対して最も不安を抱えているのは日本人であるという事実は受け止めなければなりません、と調査会社の社長が言うように、これは事実なのだからそうなった原因がなければならない。
なにもニッポン人は趣味で悲観的になったわけではなかろう。中には悲観好きの人がいるかもしれない。どこにも物好きはいる。
問題は、好事家ではない大多数のニッポン人がなぜ悲観的になったか、真の原因がどこにあるかである。
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