2015年11月23日月曜日

日本型資本主義 4

 社会の格差をデータで指摘したトマ・ピケティの『21世紀の資本』が西欧世界で脚光を浴び、それが日本にも波及している。
 格差が著しいアメリカでの反響が特に大きいという。
 格差の問題はいかなる社会体制でもまた時代を問わず常に存在してきた。
 わが国も例外ではないが、アメリカの格差と比較すればまだ穏やかであろう。
 資本主義体制の日本にとっては格差も大きな問題ではあるがそれ以前に解決すべき課題がある。
 資本主義に不可欠な自由な社会基盤が真に担保されているのかという疑問である。
 社会科学者も指摘したように最も成功した社会主義国と言われるようなお国柄である。

 それでは資本主義国 日本の実状はどうか。
 日本は民主主義と市場主義経済の国であることに異論はない。だがそれは建前であり、実態は管理された民主主義と市場主義経済の色が濃い。
 真の民主主義と市場主義経済社会にはみられない日本特有のジャーナリズムと官の関与があるからである。
 分かり易い例を一つ。
 日本社会には、”記者クラブ” なるものが存在する。情報は管理され真に国民が知りたいことは知り得ず建前の情報しか流れてこない。
 新聞、テレビなど現時点でメジャーなメディアの情報はこの手のものばかりである。
 記者クラブは政府機関に限らずひろく民間の隅々まで浸透している。この意味において情報管理はわが国全体に行き渡っている。
 国民が真の情報を知るには、雑誌やインターネットなどの真偽織り交ぜた厖大な情報のなかから推測する他なく、国民の多数は管理された情報を知らされるだけである。  
 この傾向は強くなるばかりで、国境なき記者団が発表した、2015年度の『世界報道自由度ランキング』では日本は過去最低の61位にまで成り下がっている。

 また日本社会には官による ”行政指導” なるものがある。
 行政指導は法律に定められているわけではない。まして国会で議決されたものなどでもない。
 所掌の官僚が裁量により判断し当該業界に指示するやり方である。
 業界もまた阿吽の呼吸でこれを受け止める。この暗黙のルールは無言の圧力となって業界を締め付けこれに逆らうことはできない。逆らえばその結果どうなるかが見えているからである。
 何のことはない、日本は官民が一体となった管理社会ではないか。共産党一党独裁の中国を非難してばかりはいられない。
 真の意味で自由と民主主義を母体とする市場主義経済などとは言えない。

 政府の方針にもまして強い影響力をおよぼしかねない行政指導であるが、この指導は官僚に特有な伝統主義で粛々と実行される。
 伝統主義とは伝統を大切にするという意味ではなく、以前に行われたこと、そのこと自体が正しいとするエートスである。
 社会科学者の大塚久雄博士は伝統主義について説明している。

 「先祖や父母たちがやってきた、そして、自分たちも今までずっとやってきた、そういうことがらを、過去にやった、あるいは過去に行われたという、ただそのことだけで、将来における自分たちの行動の基準にしようとする倫理、あるいはエートスです。」
(大塚久雄著岩波新書『社会科学における人間』)

 役人の世界では、あらゆる不正のもまして許されないものがあるという。それは前例を覆すことである。
 前例に逆らえばその役人の前途は途絶えかねない。
それでは一体、役人はいかなる心構えで仕事するのだろうか。
 『仕事せず』 がその答えである。

 「 『仕事せず』 とは一見仕事しているように見せかけながらも、本当の仕事はするな、具体的に言えば、行政官として新規の事業を自分から旗を振ることは避けろ、ということなんですよ。・・・・・・
 たとえば、ある政策が国民のために役立つとわかっていても、ひとりで動きだせば反対者も必ず出てくる。
 押し切って政策を実現させれば、失敗したら当然、責任を取らされる。
 役所は減点主義で勤務評定にはプラスの面はあまり評価の対象にはならないのです。
 いかにマイナスを出さないようにするか。これが役人の真髄なんですよ。」
(宮本政於著 講談社 『お役所の掟』 )

 革新が命である資本主義にはあり得べからざるエートスである。
 課題を解決するには、何が問題かを正しく認識することが前提である。
 革新が命である資本主義、これとベクトルが180度異なる伝統主義。この違いを認識すること。
 この違いが認識できなければ、瑞穂型資本主義といっても所詮それは空虚に響く。

0 件のコメント:

コメントを投稿