2015年11月9日月曜日

日本型資本主義 2

 2013年4月安倍首相の肝いりで 『目指すべき市場経済システムに関する専門委員会』 という日本型資本主義を議論する専門調査会を設置した。
 目指すところは、企業の利益配分を株主偏重から家計に払う賃金を増やしやすくする環境整備である。
 そして2015年の春闘を前に安倍首相は自ら率先して主要な経済団体に対し賃上げを要請し、経営者側も首相の要請にそれなりに応えた。
 会社はだれのものかとの問い対し,日本の経営者が答える決まり文句がある。

 「法的には会社は株主のものかもしれないが、株主は儲からないとなればすぐ株を売り払ってしまう。
 会社はそこで汗水流して働く経営者と従業員によって成り立つ。実質上会社は経営者と社員のものだ。」

 わが国には戦前、機能集団である会社とは別に村落共同体があった。
 戦後この村落共同体が機能集団である会社に紛れ込み、会社が機能集団と村落集団を併せ持つ集団と化した。
 本来機能集団である会社にはあるまじき会社主催の運動会、文化祭など村落集団が受け持つべき役割をも果たすようになった。
 終身雇用制度と企業内組合による労使協調によって経営者は短期の業績に振り回されることなく腰を据えて長期計画を建てることができた。
 従業員は会社の発展のためとあれば粉骨砕身、場合によっては無報酬で残業を引き受けた。
 会社、経営者、従業員は運命共同体であり、会社のためとあれば極端な場合、違法行為をも辞さない集団と化した。
 会社の内と外の規範が異なることが、この種の集団の特徴であることは、社会学者が指摘するところである。
 また日本経済の際立った特徴として政治家と官僚の深いかかわりがある。
 彼らは利権や利益配分などで財界と癒着し、政官財トライアングル癒着の ”日本株式会社” と揶揄された。
 この現象は高度経済成長期に頂点に達し、日本型資本主義の成果と内外で喧伝された。

 日本型資本主義の大雑把なスケッチはおおよそこんなものであろうか。
 社会学者によれば、資本主義社会になるには、それに叶う条件が充たされなければならないと言う。
 明日から資本主義になりますと宣言しただけでなれるものではない、と。
 その条件とは、行動的禁欲と目的合理的精神を併せ持つ社会であり、労働は救済であるという社会にのみ資本主義は芽生えると言う。

 日本型資本主義は、果たしてこの定義にあてはまるだろうか。
 日本にはもともと資本主義が芽生える素地があったという学者もいる。
 日本の主神 天照大神ははみずから繭を育て機を織った。天皇陛下は毎年決まって田植えをされ、稲を刈り取られるではないか。
 薪を背負って勉学に勤しんだ二宮金次郎の銅像が日本中の小学校校庭にあったではないか。
 これぞ日本人が資本主義精神を生得持ち合わせている証左ではないのか。

 たしかに日本では勤勉が尊ばれ日本人が資本主義の素養を備えていたことは間違いない。
 資本主義社会においては形式的には会社は株主のものである。
 形式的にというが、契約がすべての資本主義社会ではこの形式が全てであり、これ以外の解釈はない。
 また日本人が資本主義精神を充たしているかと言うと必ずしもそうではない。
 特に目的合理的精神の欠如はいかんともし難い。先の大戦でのこの精神の欠如は眼に余る。
 日本は軍国主義と非難されたが、日本が軍国主義であったのは精神論のみであり、戦争に勝利するという目的に対する合理的精神が欠如していたと戦争史家は指摘している。
 このような観点に立てば日本型資本主義が、資本主義でないこと思い半ばに過ぎよう。
 このことを十分腑に落とし込にでおかないとその後の展開が読めなくなってしまう。
 次にアングロサクソン型資本主義とは如何なるものだろう。

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