AI が全人類の知能を超え シンギュラリティ(技術的特異点)に到達すれば、人類は AI にとって邪魔者になり AI によって滅ぼされるいう見方とそういうことにはならないという見方がある。
今の時点では一見荒唐無稽に思われるかもしれないがこれは科学者の間でも真剣に議論されている問題である。
まず前者 AI によって人類が滅ぼされるという見方について
英国の高名な理論物理学者スティーヴン・ウイリアム・ホーキングはいう。
「今後100年のどこかの時点で AI は人間の能力を超えていきます。そしてこの人工知能の目的は我々人間を”余所者”にすることだと気づく必要があるのです。」
「コンピュータは我々の知性と違い、18ヶ月ごとに能力を2倍にする。そのため、コンピュータが知能を発達させて世界を乗っ取るという危険はすでに現実のものだ。」
(マルチョ名言集他)
進化の度合いが高いものが低いものを駆逐するという論理からすれば必然的にこうなる。
米国のジャーナリストで AI による脅威についてさまざまな識者にインタービューしたジェイムス・バッラットは自著でこう述べている。
「すでに知能マシンはつくられているが、それでも人類は絶滅していないのだから、もしかしたら AI を擬人的にとらえても結構なのかもしれない。
しかし、AGI(汎用人工知能)誕生の瀬戸際にあるいまや、それは危険な考え方である。オックスフォード大学の倫理学者ニック・ボストロムは、つぎのように言っている。
『超知能に関して意味のある議論をするうえで前提条件となるのが、超知能は単なるテクノロジーの一種でもなければ、人間の能力を徐々に高める一種の道具でもないという点を認識することである。
超知能は根本的に別物だ。超知能を擬人化することがもっとも多くの誤解を生んでいるので、この点はとくに強調しておきたい。』
ボストロムいわく、超知能が技術的な面で根本的に別物であるのは、超知能が実現すると進歩のルールが変わってしまうからだ。
つまり、超知能自体が発明を生み出して、技術進歩のペースを決めることになる。
もはや人類が変化を推し進めることはなくなり、後戻りすることもできなくなる。
さらに、高度な機械知能も根本的に別物だ。人間によって発明された身でありながら、自己決定権と人間からの自由を欲する。
そして人間のような魂がないため、人間に似た動機も持たないだろう。
したがって、機械を擬人的にとらえると誤った考えにつながり、危険な機械をどのようにして安全に作るかを見誤ると大惨事につながる。」
「いまやAGI の懐疑的な危険性は、尊敬を集める熟達した多くの研究者が認めるところだ。
カーツワイルがシンギュラリティの恩恵と考えている、血液のナノ浄化、より優れた高速な脳、不死などと比べても、その危険性はより十分に立証されている。
シンギュラリティに関して唯一確実なのは、LORAのパワーによって我々の生活や身体のあらゆる側面に高速で賢いコンピュータが、組み込まれるということだけだ。
そうなったら、異質な機械知能は我々の自然の知能に挑んでくるかもしれない。
我々がそれを望むかどうかは関係ないだろう。」
「著名なIT起業家で科学者、アップル社のスティーヴ・ジョブズの同僚であるスティーヴ・ジャーヴェソンは、”設計された”システムと”進化した”システムをどのように統合するかを考えた。そして、その計り知れないパラドックスをうまく表現する方法を思いついた。
『もし複雑なシステムを進化させたら、それはインターフェースによって特徴づけられるブラックボックスとなる。
その内部のしくみを改良するうえで、我々の設計上の直感を当てはめることは容易ではない。・・・ もし賢い AI を人工的に進化させたら、それは感覚インターフェースによって特徴づけられる異質な知能となり、その内部のしくみを理解するには、人間の脳を説明するために現在費やされているのと同程度の努力が必要かもしれない。
コンピュータコードが生物の増殖率よりもずっと速く進化できると仮定したうえで、我々が知識でできることはあまりにも少ないのだから。
その中間段階をリバースエンジニアリングする時間が取れるとは思えない。進化のプロセスは、そのまま続いていくことになるだろう。』
注目すべきことに、”進化したシステムやそのサブシステムはどの程度複雑になるか”という疑問に対して、ジャーヴェソンは次のように答えている。
『そのしくみを事細かく因果的に理解するには、人間の脳のリバースエンジニアリングに匹敵する技術的偉業が必要になる、その程度にだ』
ということは、進化したシステムやサブシステムが知能を持ったら、人間に似た超知能、すなわち ASI(超人工知能) が実現するのではなく、我々の脳と同程度に理解困難な"脳”を持った異質な知能が生まれるのだ。
そしてその異質な脳は、生物的でなくコンピュータ的なスピードで進化して自己成長していくだろう、」
(以上 ジェイムス・バッラット著水谷淳訳ダイヤモンド社『人工知能 人類最悪にして最後の発明』 から)
一言でいえば、ジェイムス・バラッドは、識者へのインタビューを通じシンギュラリティに到達すれば AI が強力になりすぎ人間がコントロールできなくなることを懸念している。
このように AI によって人類が滅ぼされるかもしれないという懸念は西欧社会にのみ見られることである。日本ではこのようなことを心配する声は聞かれない。
日本の識者は AI をどうみているのだろうか?
2016年9月26日月曜日
2016年9月12日月曜日
人工知能 3
AI が活用される分野は、画像認識、音声認識、ビッグ・データ、自動運転、創薬、文字認識、自然言語、セキュリティ、ロボットなどがある。
その成果は日常生活、仕事、産業の広範囲に及ぶ。
AI でもアメリカは一歩先んじている。グーグル、フェイスブック、アップル、マイクロソフト、アマゾン、IBMなどその豊富な資金力で目ぼしい国内外のAI ベンチャーを買収して AI の技術開発で先行している。
この顔ぶれには製造業はなく IT 企業のみである。
IT 企業がAI の技術開発に力を入れるのはそこに巨大なビジネスチャンスを見出しているからであろう。
日本はどうか。日本はトヨタ、ホンダ、日立、パナソニックなど主に製造業がベンチャー企業と提携して AI の技術開発に取り組んでいる。
日本における AI の熱心な推進者である東京大学の松尾豊准教授は、一口に AI というが、これは二つに分けて考えた方がいいという。
情報路線(大人の人工知能)と、運動路線(子どもの人工知能)である。
そしてこの二つの路線は AI 産業競技のいわば予選リーグで、予選リーグを勝ち進んだ企業が決勝に進み、最終的には高度に知能・機械がモジュール化し組み込まれた社会において、人工知能が組み込まれた日常生活ロボット・機械を担う企業が勝者となるという。
日本が目指すべきは運動路線である子どもの人工知能をターゲットにすべきであると主張している。
「以前にもお話ししましたが、僕は人工知能を 『大人の人工知能』 と 『子どもの人工知能』 に区別しています。
これまで、コンピュータにやらせるのは子どものできることほど難しいという時期が何十年も続いてきたのですが、今は変わりつつあります。
子どもができるような認識や運動の習熟、言葉の意味理解などができるようになりつつあるということで、こちらを 『子どもの人工知能』 と呼んでいます。
一方でビッグデータ全般や IoT に代表されるように、今までデータが取れなかった領域でデータが取れるようになってきました。
ここに旧来からある人工知能の技術を使うと、いろいろなことができます。
こちらを 『大人の人工知能』 といっています。
今の動きの中で、僕が一つ非常に気を付けるべきだと思っているのは、 『人工知能』 という言葉が独り歩きしていて、いろいろな技術を人工知能と呼んでいる点です。
大人の人工知能の世界は 『データを活用していきましょう』 ということなので、これは当たり前のことです。
昔からデータの重要性はありましたし、活用した方がもちろん良かったのです。
これはもう10年も20年も前からそうです。日本はそこのところの理解がなかなか進んでおらず、むしろ遅れているので、今頃になってようやく 『データを活用した方がいい』 『情報技術を活用した方がいい』 と多くの人が思うようになってきたということです。
ですから、これは当然やった方がいいのですが、既に10~20年も遅れをとっています。
一方で子どもの人工知能、すなわちディープラーニングをベースにする技術は、技術的なブレークスルーの時期に当たり、ここ2~3年で、急激にできるようになってきたのです。
これをどのように産業競争力につなげていくか。そこに日本の戦略的なチャンスがあると思います。
ですから、この二つは分けて考えた方がいいと、僕は思っています。
プレイヤーについても、大人の人工知能をやろうとしている人の方が今は多いのです。
大手の電機メーカーもそうだし、研究者にも大人の人工知能系、つまり情報(データ)を使おうとか、先端の情報技術を使おうという技術を研究している人が多いのです。
ですから、今はこちら(大人の人工知能)の方が声が大きく、『国レベルで 人工知能をやりましょう』 といったときに、大半が 『大人の人工知能』 系の話になってしまうのです。
ここ(大人の人工知能)も大事ですが、今あえて投資する必要があるかといえば、それほどありません。
今、日本が戦略的に投資するべきは 『子どもの人工知能』 で、その技術的なブレークスルーに賭けるべきだと、僕は思っています。
ただ、こちら(子どもの人工知能)はプレイヤーが少ないので、なかなか苦しいのです。
しかし、グローバルな産業競争力につながるのはきっと 『子どもの人工知能』 の方に違いないと、僕は思っています。
(10MTV 日本のAI戦略)
なぜ日本は、情報技術・データの活用が10~20年も遅れをとったのだろうか。
今年7月松尾准教授はフォーリン・プレスセンターの講演で情報路線はあきらめ運動路線にターゲットを絞るべきと述べた。
なぜそうなのか理由を質問した記者にこう答えている。
”日本には1990年代既に検索エンジンがあり、2000年代に入ってすぐソーシャルネットワークもあった。
だがユーザが日本人に限られるため大きくならなかった。
10倍人通りが多いところで店を開くのと10倍少ないところで店を開く違いである。
日本語でやっている限り大きくならない。情報路線にはこの制約があるが運動路線にはこれがない。”
別の講演では運動路線に特化すべき理由を列挙している。
① 少子高齢化でかつ幸いにも移民を受け入れていないため、AI を活用した機械化・ロボット化の効用が大きい。
② 人工知能研究者数に恵まれている。2015年現在人工知能学界 日本人は 3500人、 日本以外では全世界でも 6000人である。
③ 日本は第1~2次ブームからの研究者を擁していて、指導者層にAI にたいする理解がある。インターネットのときにはなかったことである。
④ インターネットのときにはニーズを見つけるというビジネスセンスが求められたが、今回は防犯は防犯、建設は建設とニーズは変わらず性能向上の要求であり、製造業にも求められる賢さと真面目さが重要となり日本人向きである。
⑤ インターネットは日本語が障壁となり早くから検索エンジン、ソーシャルネットワークがありながら日本からグーグルもフェイスブックも生まれなかった。
AI は言葉は関係がない。アルゴリズムを製品にのせるから日本語のハンデがない。
このように松尾准教授は日本は運動路線に特化すべきと力説している。
AI は今アメリカが先行しているが この技術は2012年にブレークスルーしたばかりである。真の競争は今後にかかっている。
わが国における AI の今後の展望に先立ちシンギュラリティについて考えてみたい。
AI が全人類の知能を越えるときがくればどのようなことになるのか。その日は2045年ともいわれている。
その成果は日常生活、仕事、産業の広範囲に及ぶ。
AI でもアメリカは一歩先んじている。グーグル、フェイスブック、アップル、マイクロソフト、アマゾン、IBMなどその豊富な資金力で目ぼしい国内外のAI ベンチャーを買収して AI の技術開発で先行している。
この顔ぶれには製造業はなく IT 企業のみである。
IT 企業がAI の技術開発に力を入れるのはそこに巨大なビジネスチャンスを見出しているからであろう。
日本はどうか。日本はトヨタ、ホンダ、日立、パナソニックなど主に製造業がベンチャー企業と提携して AI の技術開発に取り組んでいる。
日本における AI の熱心な推進者である東京大学の松尾豊准教授は、一口に AI というが、これは二つに分けて考えた方がいいという。
情報路線(大人の人工知能)と、運動路線(子どもの人工知能)である。
そしてこの二つの路線は AI 産業競技のいわば予選リーグで、予選リーグを勝ち進んだ企業が決勝に進み、最終的には高度に知能・機械がモジュール化し組み込まれた社会において、人工知能が組み込まれた日常生活ロボット・機械を担う企業が勝者となるという。
日本が目指すべきは運動路線である子どもの人工知能をターゲットにすべきであると主張している。
「以前にもお話ししましたが、僕は人工知能を 『大人の人工知能』 と 『子どもの人工知能』 に区別しています。
これまで、コンピュータにやらせるのは子どものできることほど難しいという時期が何十年も続いてきたのですが、今は変わりつつあります。
子どもができるような認識や運動の習熟、言葉の意味理解などができるようになりつつあるということで、こちらを 『子どもの人工知能』 と呼んでいます。
一方でビッグデータ全般や IoT に代表されるように、今までデータが取れなかった領域でデータが取れるようになってきました。
ここに旧来からある人工知能の技術を使うと、いろいろなことができます。
こちらを 『大人の人工知能』 といっています。
今の動きの中で、僕が一つ非常に気を付けるべきだと思っているのは、 『人工知能』 という言葉が独り歩きしていて、いろいろな技術を人工知能と呼んでいる点です。
大人の人工知能の世界は 『データを活用していきましょう』 ということなので、これは当たり前のことです。
昔からデータの重要性はありましたし、活用した方がもちろん良かったのです。
これはもう10年も20年も前からそうです。日本はそこのところの理解がなかなか進んでおらず、むしろ遅れているので、今頃になってようやく 『データを活用した方がいい』 『情報技術を活用した方がいい』 と多くの人が思うようになってきたということです。
ですから、これは当然やった方がいいのですが、既に10~20年も遅れをとっています。
一方で子どもの人工知能、すなわちディープラーニングをベースにする技術は、技術的なブレークスルーの時期に当たり、ここ2~3年で、急激にできるようになってきたのです。
これをどのように産業競争力につなげていくか。そこに日本の戦略的なチャンスがあると思います。
ですから、この二つは分けて考えた方がいいと、僕は思っています。
プレイヤーについても、大人の人工知能をやろうとしている人の方が今は多いのです。
大手の電機メーカーもそうだし、研究者にも大人の人工知能系、つまり情報(データ)を使おうとか、先端の情報技術を使おうという技術を研究している人が多いのです。
ですから、今はこちら(大人の人工知能)の方が声が大きく、『国レベルで 人工知能をやりましょう』 といったときに、大半が 『大人の人工知能』 系の話になってしまうのです。
ここ(大人の人工知能)も大事ですが、今あえて投資する必要があるかといえば、それほどありません。
今、日本が戦略的に投資するべきは 『子どもの人工知能』 で、その技術的なブレークスルーに賭けるべきだと、僕は思っています。
ただ、こちら(子どもの人工知能)はプレイヤーが少ないので、なかなか苦しいのです。
しかし、グローバルな産業競争力につながるのはきっと 『子どもの人工知能』 の方に違いないと、僕は思っています。
(10MTV 日本のAI戦略)
なぜ日本は、情報技術・データの活用が10~20年も遅れをとったのだろうか。
今年7月松尾准教授はフォーリン・プレスセンターの講演で情報路線はあきらめ運動路線にターゲットを絞るべきと述べた。
なぜそうなのか理由を質問した記者にこう答えている。
”日本には1990年代既に検索エンジンがあり、2000年代に入ってすぐソーシャルネットワークもあった。
だがユーザが日本人に限られるため大きくならなかった。
10倍人通りが多いところで店を開くのと10倍少ないところで店を開く違いである。
日本語でやっている限り大きくならない。情報路線にはこの制約があるが運動路線にはこれがない。”
別の講演では運動路線に特化すべき理由を列挙している。
① 少子高齢化でかつ幸いにも移民を受け入れていないため、AI を活用した機械化・ロボット化の効用が大きい。
② 人工知能研究者数に恵まれている。2015年現在人工知能学界 日本人は 3500人、 日本以外では全世界でも 6000人である。
③ 日本は第1~2次ブームからの研究者を擁していて、指導者層にAI にたいする理解がある。インターネットのときにはなかったことである。
④ インターネットのときにはニーズを見つけるというビジネスセンスが求められたが、今回は防犯は防犯、建設は建設とニーズは変わらず性能向上の要求であり、製造業にも求められる賢さと真面目さが重要となり日本人向きである。
⑤ インターネットは日本語が障壁となり早くから検索エンジン、ソーシャルネットワークがありながら日本からグーグルもフェイスブックも生まれなかった。
AI は言葉は関係がない。アルゴリズムを製品にのせるから日本語のハンデがない。
このように松尾准教授は日本は運動路線に特化すべきと力説している。
AI は今アメリカが先行しているが この技術は2012年にブレークスルーしたばかりである。真の競争は今後にかかっている。
わが国における AI の今後の展望に先立ちシンギュラリティについて考えてみたい。
AI が全人類の知能を越えるときがくればどのようなことになるのか。その日は2045年ともいわれている。
2016年9月5日月曜日
人工知能 2
AI は過去2回ブームがあり現在3回目のブームにさしかかっている。
出典:松尾 豊著KADOKAWA『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』
過去のブームの衰退を簡単にいえば、第1次ブームは特定の問題は解けても複雑な現実の問題は解けないこと、第2次ブームはコンピュータに大量の知識をいれ管理するには限界があり費用と時間がかかりすぎかつ汎用性に乏しいことであった。
現在は AI 技術のブレークスルー(飛躍的進歩)といわれるディープラーニングで3度目のブームにさしかかっている。
囲碁の対戦でAI が現役最強棋士といわれる韓国の李世九段に勝利したのはこの技術によるものであった。
今回はこれにシンギュラリティ(技術的特異点)の問題が加わり AI が人間の知能を越え人類の脅威となるなどとブームに拍車がかかっている。
東京大学の松尾准教授は AI を飛躍的に進化させたディープラーニングについてこう述べている。
「人間は特徴量をつかむことに長けている。何か同じ対象を見ていると、自然にそこに内在する特徴に気づき、より簡単に理解することができる。
ある道の先人が、驚くほどシンプルにものごとを語るのを聞いたことがあるかもしれない。特徴をつかみさえすれば、複雑に見える事象も整理され、簡単に理解することができる。
同じことを人間は視覚情報でもやっている。
たとえば、ある動物がゾウかキリンかシマウマかネコかをみわけるのは人間にはとても簡単だが、画像情報からこれらの動物を判定するのに必要な特徴を見つけ出すのは、コンピュータにはきわめて難しかった。
機械学習させようにも、この特徴を適切に出すことができなければ、うまく学習できないのである。(中略)
ディープラーニングは、データをもとに、コンピュータが自ら特徴量をつくり出す。
人間が特徴量を設計するのではなく、コンピュータが自ら高次の特徴量を獲得し、それをもとに画像を分類できるようになる。(注:もちろん、画像特有の知識ー事前知識 をいくつか用いているので、完全に自動的につくり出せるわけではない。)
ディープラーニングによって、これまで人間が介在しなければならなかった領域に、ついに人工知能が一歩踏み込んだのだ。
私はディープラーニングを 『人工知能研究における50年来のブレークスルー』 と言っている。」
(松尾 豊著KADOKAWA『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』)
AI の歴史はわずか60年であるから、ディープラーニングが50年来のブレークスルーとすればこれがいかに画期的な技術であるかが想像できよう。
ディープラーニングの凄さについて小林雅一氏は分かり易く解説している。
「ディープラーニングは人間という教師の手助けがなくても、自分で勝手に大量のデータから何かを学び、ある問題を解く上で、何か本質的に重要なポイント(変数)であるかを、システム自身が探し出してくるのです。
そして、ここにも再び謎が登場します。つまりディープラーニングがなぜ、それらの変数(特徴量)を選び出してきたのか?
そこに至るシステムの思考経路を、それを開発した技術者(つまり人間)は理解できないのです。
しかしディープラーニングは、難問を解決する上で、必ずといっていいほど正しい変数を選んできます。
だから音声・画像認識など、これまで停滞していたパターン認識の分野で大幅な性能向上が見られたのです。
多くのAI 専門家は口を揃えて、この点を絶賛しています。
彼らの見方によれば、問題を解決するために必要な 『何かに気付く』 という能力こそ、これまでのAI に欠如していたものです。
この限界を突破したことで、ディープラーニングは AI における永遠の難問とされてきた 『フレーム問題』 さえ解決する、との見方も出てきました。
第1章でも紹介したように、フレーム問題とは、
『所詮は限られた情報処理能力しかないロボットや AI には、現実世界で起こり得る問題の全てには対処できない』 ということでした。
それは特に、ケース・バイ・ケースの判断ルールをコンピュータなどに移植していく 『ルール・ベースの AI 』 にとって致命的な問題でした。
しかしディープラーニングのように、人間がロボットやコンピュータに何らかのルールや変数などを教えなくても、彼ら自身が問題を解く上で本質的に重要なことに気付いてくれるなら、フレーム問題は解決できる可能性があります。
そして、ここでも興味深いことは、ディープラーニングが人間の脳の仕組みを参考にしていることです。
つまりディープラーニングがフレーム問題を解決できるとすれば、それは私たち人間が普段何らかの形でフレーム問題を処理している、あるいは少なくとも何とか切り抜けている証になるということです。(もちろん、ときにはジタバタしたり失敗することもありますが。)
いづれにせよディープラーニングは単なる機械学習の手段という枠組みを越え、人間のような汎用的知性を持つ最初の AI になる可能性があるとの期待が高まってきました。
その進化のスピードは今後、一層加速すると見られています。 それは脳科学(神経科学)と AI 研究が連携することで相乗効果が期待されるからです。」
(小林雅一著講談社現代新書 『 AI の衝撃』 )
此度のAI ブームは過去2回と異なりすぐに衰退しそうにない、それどころか AI の開発は指数関数的に増加する可能性さえある。
このような革新的な技術について各国はどう取り組んでいるか先行している日米を中心に見てみよう。

過去のブームの衰退を簡単にいえば、第1次ブームは特定の問題は解けても複雑な現実の問題は解けないこと、第2次ブームはコンピュータに大量の知識をいれ管理するには限界があり費用と時間がかかりすぎかつ汎用性に乏しいことであった。
現在は AI 技術のブレークスルー(飛躍的進歩)といわれるディープラーニングで3度目のブームにさしかかっている。
囲碁の対戦でAI が現役最強棋士といわれる韓国の李世九段に勝利したのはこの技術によるものであった。
今回はこれにシンギュラリティ(技術的特異点)の問題が加わり AI が人間の知能を越え人類の脅威となるなどとブームに拍車がかかっている。
東京大学の松尾准教授は AI を飛躍的に進化させたディープラーニングについてこう述べている。
「人間は特徴量をつかむことに長けている。何か同じ対象を見ていると、自然にそこに内在する特徴に気づき、より簡単に理解することができる。
ある道の先人が、驚くほどシンプルにものごとを語るのを聞いたことがあるかもしれない。特徴をつかみさえすれば、複雑に見える事象も整理され、簡単に理解することができる。
同じことを人間は視覚情報でもやっている。
たとえば、ある動物がゾウかキリンかシマウマかネコかをみわけるのは人間にはとても簡単だが、画像情報からこれらの動物を判定するのに必要な特徴を見つけ出すのは、コンピュータにはきわめて難しかった。
機械学習させようにも、この特徴を適切に出すことができなければ、うまく学習できないのである。(中略)
ディープラーニングは、データをもとに、コンピュータが自ら特徴量をつくり出す。
人間が特徴量を設計するのではなく、コンピュータが自ら高次の特徴量を獲得し、それをもとに画像を分類できるようになる。(注:もちろん、画像特有の知識ー事前知識 をいくつか用いているので、完全に自動的につくり出せるわけではない。)
ディープラーニングによって、これまで人間が介在しなければならなかった領域に、ついに人工知能が一歩踏み込んだのだ。
私はディープラーニングを 『人工知能研究における50年来のブレークスルー』 と言っている。」
(松尾 豊著KADOKAWA『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』)
AI の歴史はわずか60年であるから、ディープラーニングが50年来のブレークスルーとすればこれがいかに画期的な技術であるかが想像できよう。
ディープラーニングの凄さについて小林雅一氏は分かり易く解説している。
「ディープラーニングは人間という教師の手助けがなくても、自分で勝手に大量のデータから何かを学び、ある問題を解く上で、何か本質的に重要なポイント(変数)であるかを、システム自身が探し出してくるのです。
そして、ここにも再び謎が登場します。つまりディープラーニングがなぜ、それらの変数(特徴量)を選び出してきたのか?
そこに至るシステムの思考経路を、それを開発した技術者(つまり人間)は理解できないのです。
しかしディープラーニングは、難問を解決する上で、必ずといっていいほど正しい変数を選んできます。
だから音声・画像認識など、これまで停滞していたパターン認識の分野で大幅な性能向上が見られたのです。
多くのAI 専門家は口を揃えて、この点を絶賛しています。
彼らの見方によれば、問題を解決するために必要な 『何かに気付く』 という能力こそ、これまでのAI に欠如していたものです。
この限界を突破したことで、ディープラーニングは AI における永遠の難問とされてきた 『フレーム問題』 さえ解決する、との見方も出てきました。
第1章でも紹介したように、フレーム問題とは、
『所詮は限られた情報処理能力しかないロボットや AI には、現実世界で起こり得る問題の全てには対処できない』 ということでした。
それは特に、ケース・バイ・ケースの判断ルールをコンピュータなどに移植していく 『ルール・ベースの AI 』 にとって致命的な問題でした。
しかしディープラーニングのように、人間がロボットやコンピュータに何らかのルールや変数などを教えなくても、彼ら自身が問題を解く上で本質的に重要なことに気付いてくれるなら、フレーム問題は解決できる可能性があります。
そして、ここでも興味深いことは、ディープラーニングが人間の脳の仕組みを参考にしていることです。
つまりディープラーニングがフレーム問題を解決できるとすれば、それは私たち人間が普段何らかの形でフレーム問題を処理している、あるいは少なくとも何とか切り抜けている証になるということです。(もちろん、ときにはジタバタしたり失敗することもありますが。)
いづれにせよディープラーニングは単なる機械学習の手段という枠組みを越え、人間のような汎用的知性を持つ最初の AI になる可能性があるとの期待が高まってきました。
その進化のスピードは今後、一層加速すると見られています。 それは脳科学(神経科学)と AI 研究が連携することで相乗効果が期待されるからです。」
(小林雅一著講談社現代新書 『 AI の衝撃』 )
此度のAI ブームは過去2回と異なりすぐに衰退しそうにない、それどころか AI の開発は指数関数的に増加する可能性さえある。
このような革新的な技術について各国はどう取り組んでいるか先行している日米を中心に見てみよう。
2016年8月29日月曜日
人工知能 1
いま途轍もない可能性を秘めた波が押し寄せている。だがこの波はそれをはっきりと自覚しなければ見過ごしてしまうほど静かな波だ。
21世紀の日本にとって最初にして最後の起死回生の幸運の女神となるかもしれない人工知能 AI (Artificial Intelligence )がそれである。
人間 対 AI の戦いの例を見てみよう。
チェスは1997年IBMのスーパーコンピュータ 「ディープ・ブルー」 がチェスの世界チャンピオンを負かした。
将棋は2013年にプロ棋士と将棋ソフトが対戦しプロ棋士が1勝3敗1分で将棋ソフトに負けた。
囲碁は盤面が広いためコンピュータソフトがプロに勝つにはあと10年はかかるだろうといわれていたが今年3月グーグルのコンピュータソフト 「アルファ碁」 が現役最強棋士といわれる韓国の李世九段と対戦し4勝1敗で勝ち越し世間をアッと驚かせた。
これはほんの一例に過ぎない。AI の進歩はゲームに止まらずさまざまな分野におよびわれわれの想像を超えている。
専門家によればいまの AI の発展段階は1995年のインターネットに相当するという。
1995年といえばマイクロソフトのWindows 95が発売されこれにインターネット接続機器が搭載された時期である。
この時期にはグーグルもフェイスブックもアマゾンもなかった。アップルとマイクロソフトがやっと黎明期から脱出しかかっていた時代である。それから約20年後の今日インターネットの進化は隔世の感がある。
インターネットの進化から類推するにいまから20年後 AI がどのように進化しているのか想像さえできない。
一方 AI はそのあまりにも革新的過ぎるゆえに様々な懸念、特に倫理面でのそれがあることも事実だ。
人間の知能を超えるかも知れない AI に対して人間はどう対処するのか、AI の軍事利用に対してどのような対策がなされなければならないのか等々。
AI の破壊力はそれ以前の常識をことごとく覆す力がある。その影響は政治、経済は言うにおよばず文化、人びとの働き方など生活の隅々まで及ぶであろう。
革新的な技術には先行者利得がある。インターネット技術で先行したアメリカはマイクロソフト、アップル、グーグル、フェイスブック、アマゾンとほぼこの世界を壟断している。
そしていま AI でもアメリカが先行していると言われている。だがその程度はキャッチアップできないほどではないという。
少子高齢化で経済が低迷している日本にとって AI 革命はこの苦境を一気に払拭する千載一遇のチャンスでもある。
幸運の女神には前髪はあるが後髪はない。この機を掴まえまたはその道筋をつけるものは誰ぞ。
以下 AI について専門家の考察をもとに基本に立ち返り考えてみたい。
21世紀の日本にとって最初にして最後の起死回生の幸運の女神となるかもしれない人工知能 AI (Artificial Intelligence )がそれである。
人間 対 AI の戦いの例を見てみよう。
チェスは1997年IBMのスーパーコンピュータ 「ディープ・ブルー」 がチェスの世界チャンピオンを負かした。
将棋は2013年にプロ棋士と将棋ソフトが対戦しプロ棋士が1勝3敗1分で将棋ソフトに負けた。
囲碁は盤面が広いためコンピュータソフトがプロに勝つにはあと10年はかかるだろうといわれていたが今年3月グーグルのコンピュータソフト 「アルファ碁」 が現役最強棋士といわれる韓国の李世九段と対戦し4勝1敗で勝ち越し世間をアッと驚かせた。
これはほんの一例に過ぎない。AI の進歩はゲームに止まらずさまざまな分野におよびわれわれの想像を超えている。
専門家によればいまの AI の発展段階は1995年のインターネットに相当するという。
1995年といえばマイクロソフトのWindows 95が発売されこれにインターネット接続機器が搭載された時期である。
この時期にはグーグルもフェイスブックもアマゾンもなかった。アップルとマイクロソフトがやっと黎明期から脱出しかかっていた時代である。それから約20年後の今日インターネットの進化は隔世の感がある。
インターネットの進化から類推するにいまから20年後 AI がどのように進化しているのか想像さえできない。
一方 AI はそのあまりにも革新的過ぎるゆえに様々な懸念、特に倫理面でのそれがあることも事実だ。
人間の知能を超えるかも知れない AI に対して人間はどう対処するのか、AI の軍事利用に対してどのような対策がなされなければならないのか等々。
AI の破壊力はそれ以前の常識をことごとく覆す力がある。その影響は政治、経済は言うにおよばず文化、人びとの働き方など生活の隅々まで及ぶであろう。
革新的な技術には先行者利得がある。インターネット技術で先行したアメリカはマイクロソフト、アップル、グーグル、フェイスブック、アマゾンとほぼこの世界を壟断している。
そしていま AI でもアメリカが先行していると言われている。だがその程度はキャッチアップできないほどではないという。
少子高齢化で経済が低迷している日本にとって AI 革命はこの苦境を一気に払拭する千載一遇のチャンスでもある。
幸運の女神には前髪はあるが後髪はない。この機を掴まえまたはその道筋をつけるものは誰ぞ。
以下 AI について専門家の考察をもとに基本に立ち返り考えてみたい。
2016年8月22日月曜日
シン・ゴジラ
今夏公開された映画シン・ゴジラは前評判が高く、実際その期待を裏切らない。
この映画の特長の一つに危機に際して日本社会の意思決定の様子が描かれている点にある。
後にゴジラ(Godzilla)と命名される巨大不明生物が東京湾に出現し想定外の事態が発生する。
これに対処するに、前半部分では学者の紋切り型の論評、政治家のパーフォーマンス、官僚の縦割り行政への固執などが面白おかしく皮肉をこめて撮られている。
ところが事態が深刻化する後半部分では政官が一致団結して巨大生物対策にあたる。
各省庁から ”はぐれもの” 扱いされていた官僚たちが対策本部に集められ本部長から下記趣旨の訓示を受ける。
「この未曾有の災害に全力で対処願いたい。なお本件については従来の人事考課は適用しない。」
この訓示の効果はてきめんでセクショナリズムから解放された官僚たちはもてる能力をフルに発揮し見事ゴジラの凍結作戦に成功する。
綿密なプランと的確な意思決定で事態が急転直下解決する。現実には起こりえないであろうことが起こる。
意思決定システムの面白さとともにカタルシスを得られる映画である。
この映画の特長の一つに危機に際して日本社会の意思決定の様子が描かれている点にある。
後にゴジラ(Godzilla)と命名される巨大不明生物が東京湾に出現し想定外の事態が発生する。
これに対処するに、前半部分では学者の紋切り型の論評、政治家のパーフォーマンス、官僚の縦割り行政への固執などが面白おかしく皮肉をこめて撮られている。
ところが事態が深刻化する後半部分では政官が一致団結して巨大生物対策にあたる。
各省庁から ”はぐれもの” 扱いされていた官僚たちが対策本部に集められ本部長から下記趣旨の訓示を受ける。
「この未曾有の災害に全力で対処願いたい。なお本件については従来の人事考課は適用しない。」
この訓示の効果はてきめんでセクショナリズムから解放された官僚たちはもてる能力をフルに発揮し見事ゴジラの凍結作戦に成功する。
綿密なプランと的確な意思決定で事態が急転直下解決する。現実には起こりえないであろうことが起こる。
意思決定システムの面白さとともにカタルシスを得られる映画である。
2016年8月15日月曜日
終戦記念日
今日は終戦記念日、例年この日に注目されるものの一つに政治家の靖国神社参拝がある。
今年は超党派国会議員70名などが参拝したが、首相、外相、官房長官は参拝しなかった。防衛相はアフリカ出張中。
2005年4月当時の中国の王毅駐日大使が自民党本部で首相、外相、官房長官 以上3人は日本の顔であり靖国参拝を遠慮する紳士協定ができていると発言したことが伏線となり、以来中国側は首相、外相、官房長官の靖国参拝を強く牽制してきた。
ところが今年はこれに防衛相も加わった。中国は稲田防衛相を極端な右よりと判断して牽制したのだ。
中国を不必要に刺激したくない現政権および中国と利害関係にある産業界、それに極東にあらぬ波風をたててもらいたくない米民主党政権は日本の対応に安堵の胸をなでおろしていることだろう。
このような露骨な中国の内政干渉を日本政府は受け入れ同盟国のアメリカもこれを支持している。
中国、アメリカおよび日本政府はこれでよしとするだろうが日本国民はこの政府の判断に心底から賛成しているのだろうか。
似たようなことが尖閣諸島でもおきている。中国の漁船と海警局の公船が頻繁に領海を侵している。
中国の真意は定かでないが尖閣諸島を領土問題化にすることがその目的の一つであるという見方がある。
これに対し日本は尖閣諸島に領土問題は存在しないというのが一貫した立場である。
ところがここでも中国と波風を立てたくない人がいる。親中派といわれる元外交官の孫崎氏などの尖閣諸島棚上げ論者である。 彼らも尖閣諸島は日本の固有領土であると考えるが、中国も同じように主張しているのだから棚上げしようというのだ。
アメリカは固有の領土とか主権には関知せずと明言している。アメリカは施政権を問題にし尖閣諸島は日本の施政下にあるとの立場だ。アメリカ合衆国の成り立ちを考えれば固有の領土という概念にはなじまないのだろう。
島国であるわが国は固有の領土という意識が強い。だが中国にしてもアメリカにしても領土をわが国ほど固定的に考えていないようだ。
尖閣諸島を奪取するためにもまずこれを領土問題化・棚上げに成功すれば中国の思惑通りになる。棚上げで領土問題が決着するなど夢にも考えられない。
領土問題はイギリスのチェンバレンがヒットラーに譲歩したように弥縫策が最悪の結果を招くことは歴史が証明している。
とるにたらない小っぽけな土地をめぐる争いについてシェクスピア劇ハムレットの一幕は、領土問題が単に経済的・軍事的問題ではなく国家の尊厳にかかわると示唆している。尊厳をなくした国家に明日はないことは言うを俟たない。
「あの兵士たちを見ろ。あの兵力、厖大な費用。それを率いる王子の水ぎわだった若々しさ。
穢れのない野望に胸をふくらませ、歯を食いしばって未知の世界に飛び込んで行き、頼りない命を、みずから死と危険にさらす。 それも、卵の殻ほどのくだらぬことに・・・いや、立派な行為というものには、もちろん、それだけの立派な名文がなければならぬはずだが、一身の面目にかかわるとなれば、たとえ藁しべ一本のためにも、あえて武器をとって立ってこそ、真に立派と言えよう。
そういうおれはどうだ? 父を殺され、母をけがされ、理性も感情も堪えがたい苦悩を強いられ、しかもそれをそっと眠らせてしまおうというのか?
恥を知れ、あれが見えないのか。二万のつわものが、幻同然の名誉のために、、まるで自分のねぐらにでも急ぐように、墓場に向って行進をつづけている。その、やつらのねらう小っぽけな土地は、あれだけの大軍を動かす余地もあるまい。戦死者を埋める墓地にもなるまい。」
(シェイクスピア 福田恒存訳『ハムレット』)
終戦記念日が来るたびに靖国と尖閣、この二つの問題について考えさせられる。事態は年々悪化の一途を辿っているように思える。
今年は超党派国会議員70名などが参拝したが、首相、外相、官房長官は参拝しなかった。防衛相はアフリカ出張中。
2005年4月当時の中国の王毅駐日大使が自民党本部で首相、外相、官房長官 以上3人は日本の顔であり靖国参拝を遠慮する紳士協定ができていると発言したことが伏線となり、以来中国側は首相、外相、官房長官の靖国参拝を強く牽制してきた。
ところが今年はこれに防衛相も加わった。中国は稲田防衛相を極端な右よりと判断して牽制したのだ。
中国を不必要に刺激したくない現政権および中国と利害関係にある産業界、それに極東にあらぬ波風をたててもらいたくない米民主党政権は日本の対応に安堵の胸をなでおろしていることだろう。
このような露骨な中国の内政干渉を日本政府は受け入れ同盟国のアメリカもこれを支持している。
中国、アメリカおよび日本政府はこれでよしとするだろうが日本国民はこの政府の判断に心底から賛成しているのだろうか。
似たようなことが尖閣諸島でもおきている。中国の漁船と海警局の公船が頻繁に領海を侵している。
中国の真意は定かでないが尖閣諸島を領土問題化にすることがその目的の一つであるという見方がある。
これに対し日本は尖閣諸島に領土問題は存在しないというのが一貫した立場である。
ところがここでも中国と波風を立てたくない人がいる。親中派といわれる元外交官の孫崎氏などの尖閣諸島棚上げ論者である。 彼らも尖閣諸島は日本の固有領土であると考えるが、中国も同じように主張しているのだから棚上げしようというのだ。
アメリカは固有の領土とか主権には関知せずと明言している。アメリカは施政権を問題にし尖閣諸島は日本の施政下にあるとの立場だ。アメリカ合衆国の成り立ちを考えれば固有の領土という概念にはなじまないのだろう。
島国であるわが国は固有の領土という意識が強い。だが中国にしてもアメリカにしても領土をわが国ほど固定的に考えていないようだ。
尖閣諸島を奪取するためにもまずこれを領土問題化・棚上げに成功すれば中国の思惑通りになる。棚上げで領土問題が決着するなど夢にも考えられない。
領土問題はイギリスのチェンバレンがヒットラーに譲歩したように弥縫策が最悪の結果を招くことは歴史が証明している。
とるにたらない小っぽけな土地をめぐる争いについてシェクスピア劇ハムレットの一幕は、領土問題が単に経済的・軍事的問題ではなく国家の尊厳にかかわると示唆している。尊厳をなくした国家に明日はないことは言うを俟たない。
「あの兵士たちを見ろ。あの兵力、厖大な費用。それを率いる王子の水ぎわだった若々しさ。
穢れのない野望に胸をふくらませ、歯を食いしばって未知の世界に飛び込んで行き、頼りない命を、みずから死と危険にさらす。 それも、卵の殻ほどのくだらぬことに・・・いや、立派な行為というものには、もちろん、それだけの立派な名文がなければならぬはずだが、一身の面目にかかわるとなれば、たとえ藁しべ一本のためにも、あえて武器をとって立ってこそ、真に立派と言えよう。
そういうおれはどうだ? 父を殺され、母をけがされ、理性も感情も堪えがたい苦悩を強いられ、しかもそれをそっと眠らせてしまおうというのか?
恥を知れ、あれが見えないのか。二万のつわものが、幻同然の名誉のために、、まるで自分のねぐらにでも急ぐように、墓場に向って行進をつづけている。その、やつらのねらう小っぽけな土地は、あれだけの大軍を動かす余地もあるまい。戦死者を埋める墓地にもなるまい。」
(シェイクスピア 福田恒存訳『ハムレット』)
終戦記念日が来るたびに靖国と尖閣、この二つの問題について考えさせられる。事態は年々悪化の一途を辿っているように思える。
2016年8月8日月曜日
揺らぐEU 6
ギリシャ危機、英国の離脱、移民問題などで動揺が拡がり、イスラム過激派のテロや勢力を増している反EU派の台頭を見るにつけ、EU解体が絵空事ではなく現実味をおびてきている。
この背景にはひとりEUにとどまらず世界的なグローバリズムがもたらした弊害にたいする中・下流階級のエリート層への反乱がある。
もともとEUは第二次世界大戦の惨禍を二度と繰り返さないという崇高な目的のために結集されたものでありそれ自体人類の英知の所産である。
統一通貨ユーロも人々の賛同を得、一時は準備通貨として米ドルをもしのぐ勢いであった。
ところが世界経済が順調に成長過程にあるうちはよかったものの停滞過程にはいると内なる矛盾が一気に噴出した。
2008年のリーマンショックを機に世界が不況に突入すると、EUという限られた世界での矛盾はより鮮明に浮き彫りにされた。
ヒト・カネ・モノ・サービスが自由に移動するEU域内では勝者と敗者がはっきりする。一人勝ちのドイツと敗者のギリシャなどの南欧諸国という構図である。
EUは統一通貨であるため勝者はその利点をフルに享受できるが敗者は立ち直る機会まで奪われてしまう。為替安の恩恵にあずかれないからである。
EUの中で不満の矛先はともするとドイツにむけられがちである。
ドイツはもちろんEUを揺さぶろうなどと考えているわけではなく、むしろドイツはEUの団結をどの国よりも望んでいると思われる。ドイツがEUシステムからの恩恵をどの国よりも享受しているからである。下図はそれを雄弁に物語っている。
ユーロ圏主要4カ国の相手国・地域別貿易収支の推移

このようなドイツの一人がち状態は必ずしもドイツにいい影響をあたえなかった。
ドイツは意識すると否とにかかわらず他のEU諸国を支配したがるようになった。
EU25カ国に対してドイツ主導で財政規律を各国の憲法に明記する協定に合意したが、これなど他のEU諸国をリードするというより自らのやり方に従わせることにほかならない。
ドイツを歴史的・人類学的に観察してきたエマニュエル・トッドはドイツの危うさを指摘している。
「ドイツの権威主義的文化は、ドイツの指導者たちが支配的立場に立つとき、彼らに固有の精神的不安定性を生み出す。
これは第二次大戦以来、起こっていなかったことだ。歴史的に確認できるとおり、支配的状況にあるとき、彼らはしばしば、みんなにとって平和でリーゾナブルな未来を構想することができなくなる。
この傾向が今日、輸出への偏執として再浮上してきている。(中略)
毎週のようにドイツの態度のラディカル化が確認されるのが現状だ。
イギリス人に対する、またアメリカ人に対する軽蔑、メルケルが臆面もなくキエフを訪れたこと(14年/8月)・・・。
ドイツがヨーロッパ全体をコントロールするためにフランスの自主的隷属がきわめて重要であるだけに、フランスとの関係のあり方が現実を露見させていくだろう。
しかし、すでにわれわれは知っている。強襲揚陸艦ミストラルのフランスからロシアへの売却をめぐる事件で分かったのは、ドイツの指導者たちが、今ではフランスに対して、フランスの軍事産業で今日残っているものを処分してしまうように求めているということだ。
ドイツの社会文化は不平等的で、平等を受け入れることを困難にする性質がある。
自分たちがいちばん強いと感じるときには、ドイツ人たちは、より弱い者による服従の拒否を受け入れることが非常に不得意だ。 そういう服従拒否を自然でない、常軌を逸していると感じるのである。」
(エマニュエル・トッド著堀茂樹訳文春新書『ドイツ帝国が世界を破滅させる』)
エマニェエル・トッドの見方から類推すればドイツこそ揺らぐEU、反乱するEUの元凶ということになる。
が、そのドイツにも最近翳りが見え始めてきた。
ドイツ銀行のLIBOR不正(銀行間取引金利の不正操作)とフォルクスワーゲンの排ガス不正は一人勝ちしてきたドイツ経済に暗雲をもたらしている。
健全そのもののドイツ政府の財政は、民間最大のドイツ銀行にその不健全さを肩代わりさせているのではないかという指摘さえある。
ドイツ主導の緊縮財政がゆきずまりいつの日か転向を迎える日がくるであろうか。
もしその可能性ありとせば来年9月のドイツの議会選挙後であろう。
英国のEU離脱決定翌日に実施されたスペインの再選挙で反EU派のポデモスが伸び悩んだことでもわかるように統一通貨圏から離脱することがいかに難しいことかが明らかになった。
EUの未来は、ドイツが頑なに守ってきた緊縮財政を今後もつづけるか否か、この一点にかかっている。
もしこの緊縮財政を妥協余地のない政策として固執すれば、『EUは遠からず瓦解する』かもしれない。
だが、EUというシステムを最も享受しているドイツがそのようなEU瓦解につながる危険を冒してまで緊縮財政策をつづけるであろうか。常識的にはそのような政策を続けるとは思えない。
だが名にしおう緊縮財政こそ国家繁栄の基礎であると信じて止まない指導者を擁する国民である。
また首相自ら率先して家計と国家財政を同一視して政策を推進するお国柄である。
このようなドイツの政策について異をとなえ変更を促すには当初からのパートナーメンバーであるフランスが適任であるが、歴代フランスの指導者はその任を果たさず、むしろドイツの従属的立場に甘んじている。
政策の大胆な転換は現政権では望み薄だろう。可能性は2017年9月のドイツ議会選挙以降ということになる。
EU諸国は大部分の主権をEU政府に返上し奪われた状態にある。行政上の細部はブリュッセルのEU官僚が壟断し、箸のアゲサゲの細部に至るまで各構成国に指示し、各国はこれに従わざるを得ない。
このことが英国のEU離脱の原因の一つに挙げられている。
だが、ユーロを導入しているその他諸国はこのような原因ではEU離脱など決心できない。
さきのスペイン再選挙で反EU派のポデモスの伸び悩みがそれを証明している。独自通貨に帰ることの恐怖にくらべれば不満はあるにしろまだEUに止まるほうが安心だということだろう。
EUは高邁な理想のもと設立されたが今やドイツの一人勝ちでその他諸国はこれに従属する構図となっている。
その他諸国はドイツに不満はあるがEU離脱はできないし、ドイツもまた離脱されると共倒れになるためこれに反対する。ギリシャ救済はドイツのためでもある(ドイツ銀行のギリシャに対する貸付など)。
われわれは美名に惑わされないようにしなければならない。国連は戦後70年経過しても常任理事国はいまだに第二次世界大戦の戦勝国に壟断されている。
EUは事実上ドイツ支配下にあるとハッキリ認識すべきだろう。そしてその未来もまたドイツの手に握られている、と。
この背景にはひとりEUにとどまらず世界的なグローバリズムがもたらした弊害にたいする中・下流階級のエリート層への反乱がある。
もともとEUは第二次世界大戦の惨禍を二度と繰り返さないという崇高な目的のために結集されたものでありそれ自体人類の英知の所産である。
統一通貨ユーロも人々の賛同を得、一時は準備通貨として米ドルをもしのぐ勢いであった。
ところが世界経済が順調に成長過程にあるうちはよかったものの停滞過程にはいると内なる矛盾が一気に噴出した。
2008年のリーマンショックを機に世界が不況に突入すると、EUという限られた世界での矛盾はより鮮明に浮き彫りにされた。
ヒト・カネ・モノ・サービスが自由に移動するEU域内では勝者と敗者がはっきりする。一人勝ちのドイツと敗者のギリシャなどの南欧諸国という構図である。
EUは統一通貨であるため勝者はその利点をフルに享受できるが敗者は立ち直る機会まで奪われてしまう。為替安の恩恵にあずかれないからである。
EUの中で不満の矛先はともするとドイツにむけられがちである。
ドイツはもちろんEUを揺さぶろうなどと考えているわけではなく、むしろドイツはEUの団結をどの国よりも望んでいると思われる。ドイツがEUシステムからの恩恵をどの国よりも享受しているからである。下図はそれを雄弁に物語っている。
ユーロ圏主要4カ国の相手国・地域別貿易収支の推移

このようなドイツの一人がち状態は必ずしもドイツにいい影響をあたえなかった。
ドイツは意識すると否とにかかわらず他のEU諸国を支配したがるようになった。
EU25カ国に対してドイツ主導で財政規律を各国の憲法に明記する協定に合意したが、これなど他のEU諸国をリードするというより自らのやり方に従わせることにほかならない。
ドイツを歴史的・人類学的に観察してきたエマニュエル・トッドはドイツの危うさを指摘している。
「ドイツの権威主義的文化は、ドイツの指導者たちが支配的立場に立つとき、彼らに固有の精神的不安定性を生み出す。
これは第二次大戦以来、起こっていなかったことだ。歴史的に確認できるとおり、支配的状況にあるとき、彼らはしばしば、みんなにとって平和でリーゾナブルな未来を構想することができなくなる。
この傾向が今日、輸出への偏執として再浮上してきている。(中略)
毎週のようにドイツの態度のラディカル化が確認されるのが現状だ。
イギリス人に対する、またアメリカ人に対する軽蔑、メルケルが臆面もなくキエフを訪れたこと(14年/8月)・・・。
ドイツがヨーロッパ全体をコントロールするためにフランスの自主的隷属がきわめて重要であるだけに、フランスとの関係のあり方が現実を露見させていくだろう。
しかし、すでにわれわれは知っている。強襲揚陸艦ミストラルのフランスからロシアへの売却をめぐる事件で分かったのは、ドイツの指導者たちが、今ではフランスに対して、フランスの軍事産業で今日残っているものを処分してしまうように求めているということだ。
ドイツの社会文化は不平等的で、平等を受け入れることを困難にする性質がある。
自分たちがいちばん強いと感じるときには、ドイツ人たちは、より弱い者による服従の拒否を受け入れることが非常に不得意だ。 そういう服従拒否を自然でない、常軌を逸していると感じるのである。」
(エマニュエル・トッド著堀茂樹訳文春新書『ドイツ帝国が世界を破滅させる』)
エマニェエル・トッドの見方から類推すればドイツこそ揺らぐEU、反乱するEUの元凶ということになる。
が、そのドイツにも最近翳りが見え始めてきた。
ドイツ銀行のLIBOR不正(銀行間取引金利の不正操作)とフォルクスワーゲンの排ガス不正は一人勝ちしてきたドイツ経済に暗雲をもたらしている。
健全そのもののドイツ政府の財政は、民間最大のドイツ銀行にその不健全さを肩代わりさせているのではないかという指摘さえある。
ドイツ主導の緊縮財政がゆきずまりいつの日か転向を迎える日がくるであろうか。
もしその可能性ありとせば来年9月のドイツの議会選挙後であろう。
英国のEU離脱決定翌日に実施されたスペインの再選挙で反EU派のポデモスが伸び悩んだことでもわかるように統一通貨圏から離脱することがいかに難しいことかが明らかになった。
EUの未来は、ドイツが頑なに守ってきた緊縮財政を今後もつづけるか否か、この一点にかかっている。
もしこの緊縮財政を妥協余地のない政策として固執すれば、『EUは遠からず瓦解する』かもしれない。
だが、EUというシステムを最も享受しているドイツがそのようなEU瓦解につながる危険を冒してまで緊縮財政策をつづけるであろうか。常識的にはそのような政策を続けるとは思えない。
だが名にしおう緊縮財政こそ国家繁栄の基礎であると信じて止まない指導者を擁する国民である。
また首相自ら率先して家計と国家財政を同一視して政策を推進するお国柄である。
このようなドイツの政策について異をとなえ変更を促すには当初からのパートナーメンバーであるフランスが適任であるが、歴代フランスの指導者はその任を果たさず、むしろドイツの従属的立場に甘んじている。
政策の大胆な転換は現政権では望み薄だろう。可能性は2017年9月のドイツ議会選挙以降ということになる。
EU諸国は大部分の主権をEU政府に返上し奪われた状態にある。行政上の細部はブリュッセルのEU官僚が壟断し、箸のアゲサゲの細部に至るまで各構成国に指示し、各国はこれに従わざるを得ない。
このことが英国のEU離脱の原因の一つに挙げられている。
だが、ユーロを導入しているその他諸国はこのような原因ではEU離脱など決心できない。
さきのスペイン再選挙で反EU派のポデモスの伸び悩みがそれを証明している。独自通貨に帰ることの恐怖にくらべれば不満はあるにしろまだEUに止まるほうが安心だということだろう。
EUは高邁な理想のもと設立されたが今やドイツの一人勝ちでその他諸国はこれに従属する構図となっている。
その他諸国はドイツに不満はあるがEU離脱はできないし、ドイツもまた離脱されると共倒れになるためこれに反対する。ギリシャ救済はドイツのためでもある(ドイツ銀行のギリシャに対する貸付など)。
われわれは美名に惑わされないようにしなければならない。国連は戦後70年経過しても常任理事国はいまだに第二次世界大戦の戦勝国に壟断されている。
EUは事実上ドイツ支配下にあるとハッキリ認識すべきだろう。そしてその未来もまたドイツの手に握られている、と。
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