2014年4月28日月曜日

社会調査 3

 我々は、見せかけに弱い。制服、肩書き,職業、収入、学歴、身なり、データ、グラフ等々。
 これらは世の中の詐欺師といわれる人種が人をだますに際し最大限に利用する手段でもある。
 なぜ、このようなものに弱いのだろうか。
 一つの答えとして、自分自身で深く考える手間をかけなくとも、それらに頼っていればまず間違いないのではないかと安易に考えることが挙げられる。
 深くではなくとも、改めて考えること自体が面倒であることには違いない。が、それらに頼るばかりの生き方には代償が伴う。
 うまくいけばよいが、そうでなければ後悔だけが残る。また、我々は見せかけで判断しようとするし、自分自身も努めてそれに頼って生きていこうとする。
 社会も阿吽の呼吸でそのことを容認しているようにも見える。
それ故、ともすると、真実は常に見せかけどうりであるとは限らないことを忘れがちだ。

 人間、外から附けた物を剥がしてしまえば、皆、貴様と同じ哀れな裸の二足獣に過ぎぬ。 脱げ、脱いでしまえ、お前の着ている借物を!               (福田恒存訳シェイクスピア『リア王』)
 世の中には怪しげな数字が氾濫している。何事にも疑いの目を向ける態度は好ましくないという人がいるかもしれない。
 が、現実の社会はそんなきれいごとがまかり通るほど甘くはない。
 社会調査の数字に限らないが、常にこの疑いの目は欠かせない。
 出てくる数字をことごとく鵜呑みにすれば数字に翻弄され判断停止・思考停止状態になる。数字の過信は厳に戒めるべきことである。

 社会調査で特に大きな影響力があるのがマスコミである。
 その影響力を考えると、これと正し向き合うことはことのほか重要である。
 マスコミに取り上げられるか否かで天と地ほどの開きがある。どんなに良いことでもマスコミに取り上げられなければ埋もれてしまうし、どんなに些細な悪事でもマスコミに取り上げられると大騒ぎとなる。
 マスコミは恣意的に世論を操作する力がある。

 「 『私はスポーツ欄の結果を除いて、新聞の数字や記事はとりあえず信用しないようにしています』 と明治大学のS・A教授が言います。
 同感です。およそまともに教育を受けた者なら、新聞もテレビも週刊誌も、マスコミというものが、いかにいいかげんなものかは感じているはず。
 ただ悲しいことに、まだ充分にまともな教育を受けていない人、受けたくてもその機会がなかった人は、少なくないのです。それらの人々は、マスコミに騙され続けているし、これからも騙され続ける可能性が高いと思います。」
(ちくまプリマー新書 谷岡一郎著『データはウソをつく』)

 同書で谷岡氏は、世論の誘導ーニュースの選択と比重、意図的な省略と曲解、表現と誘導、データの誤用と悪用、相関と因果 以上の事柄について実例を挙げマスコミがいかに事実をねじ曲げているかを縷々説いている。

 情報が溢れかえっている現代に生きている我々は、いわば激流のただ中の小舟にも等しい。
 自分を見失わないためには自分の脚で歩き、自分の手で掴み、自分の頭で考えること。
 評論家、コメンテータ、専門家等々の意見は拝聴するにしても、それは自分の判断材料の参考としてのみであって、けっして鵜呑みすべきではない。
 それがどんなに高尚で正しいと思われようと疑いの目、疑いの心を忘れるべきではない。

 プロ野球の打撃の神様といわれた川上哲治の語録に『自分で掴んだものは強い』という言葉がある。
コーチなどに教わったものと違い自分自身で掴んだものは忘れないと彼は言った。足が地に着いている。
 

2014年4月21日月曜日

社会調査 2

 様々なチャンネルから入ってくる情報に対して、選別・識別することをしなかったらどうなるか。
 それらの情報についてすべて正しいと受け入れたとしたらどうなるか。
 見解が真逆の情報もあるだろうし戸惑うばかりで、我々は判断停止状態に陥るだろう。
 古代ギリシャ アテネの陶片追放は独裁者の出現を防ぐのが当初の目的ではあったものの、自ら思考し判断することを放棄し専ら不人気投票が幅をきかせ衆愚政治へと堕落していった。
 このことは、遠い昔のギリシャのこととも思えない。
 現代のわが国の選挙は、人気投票という点で、古代ギリシャ の陶片追放という不人気投票といかほどの違いがあるのか。

 「情報機器やシステムの進んだ現代では、他人より、より多くの情報を集めることを競っても意味がない。
 情報など、集めようと思えばいくらでも集められるからである。  むしろ今後、必要となるのは、あふれるデータの中から真に必要なものをかぎ分ける能力、いわゆる【セレンディピティ(serendipity)】と呼ばれる能力であろう。
 このセレンディピティを訓練するにあたっては、まずゴミを仕分けることが効果的である。つまりデータをどう【捨てる】かである。 データや社会調査の情報はだいたい三つに分類される。
 役に立つ有益なものと、目下のところは役に立たないが将来的に必要になりそうなもの、そして【ゴミ】の三つである。
 数量的にはこの最後の【ゴミ】が圧倒的に多いが、この【ゴミ】をすぐに捨てることのできる人は、そうでない人より、かなり有利なポジションを占めることになるだろう。
 この能力がリサーチ・リテラシーのある人とない人の差となる。  もう一度、繰り返すが、今後は情報を得る能力よりも捨てる能力の方が、はるかに重要な素養となってくる。」(文春新書 谷岡一郎著『社会調査のウソ』)

 つい最近まで、豊富な情報、豊富な知識は、それだけで社会的に尊敬を集め、有利と思われてきた。
 学校の入試など、かなりの部分が知識の有無を問う試験でもあった。
 谷岡氏の言うように、情報を【捨てる】能力が素養の判断基準とすれば、判断基準の【コペルニクス的転換】である。
 なぜこのように捨てなければならない情報が溢れているのだろうか。
 有力な理由の一つとして社会科学特有の社会科学的事実がある。社会科学は自然科学と異なり様々な要因が複雑に絡まる複雑系の権化のような科学である。
 それゆえ検証実験が不可能ではないにしても自然科学とは比較にならないほど困難である。
 今話題の渦中にあるSTAP細胞でさえ追試とか反証可能性が問題となっているが、これが社会科学ともなれば、時間、空間、民族、文化等々の要因が入り検証は困難を極める。
 このような社会科学の曖昧さゆえに、これを利用・悪用する者が現れ、結果として社会にゴミが溢れかえる。
 ゴミのジャングルから抜け出し正しい判断を行うには、谷川氏が言うようにまずゴミの情報を捨てることは、必要条件ではある。  が、これだけでは十分とはいえない。情報を咀嚼し自分のものとしててはじめて正しい知識たり得る。
 が、情報を咀嚼し自分のものとするには、それなりの心構えと努力が求められる。
 情報を単に受けるだけの習慣から抜け出さなければならない。
自らの脚で立ち、情報を発信するまでにいたらないと真の知識とはいえないかもしれない。
 なぜなら【人は教えることによって最もよく学ぶ】(セネカ)から。

2014年4月14日月曜日

社会調査 1

 抽象的な発言はやめて、具体的に話してほしい、できれば数字で! 具体的に、それも数字とかグラフで説明されるとなんだか安心する。我々はとかく目に見えるものに弱い。
 ところがこの数字とかグラフが曲者だ。特に社会調査となると、専門家によればゴミの山であふれ返っているという。

 「『社会調査』という名のゴミが氾濫している。そのゴミは新たなゴミを生み出し、大きなうねりとなって腐臭を発し、社会を、民衆を、惑わし続けている。
 社会調査を研究してきた者として言わせてもらえば、社会調査の過半数は『ゴミ』である。
 それらのゴミは、様々な理由から生み出される。
 自分の立場を補強したり弁護するため、政治的な立場を強めるため、センセーショナルな発見をしたように見せかけるため、単に何もしなかったことを隠すため、次期の研究費や予算を獲得するため等々の理由である。
 そして、それを無知蒙昧なマスメディアが世の中に広めてゆく。
 社会調査方法論(research methods)の世界には『GIGO』という言葉がある。
 これは(Garbage In,Garbage Out)という用語の頭文字を並べたものであるが、要するに『集めたデータがゴミならば、それをどんなに立派に分析したところで、出てくる結論はゴミでしかありえない』といことである。」
(文春新書 谷岡一郎著『社会調査のウソ』)

 たしかに、新聞やテレビの調査発表には漠然とした違和感を感ずる時がある。
 同じ社会調査でも革新系のメディアは政権批判を誘導するような質問をするし、保守系メディアは政権寄りに誘導するような質問をする。
 結果についてのコメントもそれぞれの主張に沿うようなものとなる。
 谷岡氏は例題として1991年11月6日付け朝日新聞の記事を紹介している。

 「 『一番人気はカーター氏/歴代大統領/米紙が調査』
<ロサンゼルス4日=共同>四人の前、元米大統領のうち一番人気があるのはカーター氏で、在職中に高人気を維持し続けたレーガン前大統領は”並”に転落---。
 米紙ロサンゼルス・タイムズが四日発表した世論調査でこんな結果が出た。/九月下旬、全米で千六百人を対象に行ったこの調査では、健在の前、元大統領のうちだれを支持するか、という質問に対し、
 35%がカーター氏、22%がレーガン氏、20%がニクソン氏、
10%がフォード氏と答えた。
 /この結果について『カーター氏は人道的な政策が評価できる』『レーガン氏は貧しい人のためには何もせず、多くのホームレス(浮浪者)を生む原因となった』といった回答者の見方を紹介している。
 どこがおかしいか、わかりますか。
 ヒント。これは1991年(ブッシュ大統領時代)の時点で生存していた過去四人の大統領(ニクソン、フォード、カーター、レーガン)の人気投票を行った結果です。
 解答。四人の前・元大統領のうち、カーターだけが民主党で、残りの三人は共和党である。
 仮に大衆の四割が共和党、四割が民主党、二割が無党派(その他)であったとすると、共和党支持者の票は割れるが、民主党支持者にはカーターしか選択肢が存在しない。
 カーターがこの調査で一位になることは、最初から明らかだった。
 このような特定の選択肢が上位にくるような恣意的な質問の作り方を、専門用語でforced choice(強制的選択)と呼んでいる。
 こうした『ゴミ』は一回だけで終われば、さして問題はない。ところが迷惑なことに、ゴミは次々と引用されることで、他のゴミを生み出すことがある。」(前掲書)

 現に、この記事は雑誌『文藝春秋』で『日本が選ぶ歴代米大統領ベスト5』と題された座談会で識者が引用し得々と論じている。 座談会に呼ばれるほどの専門家が、このような欠陥調査に気付かないとすれば情けないし、知ったうえでの発言であれば相当タチが悪いと谷岡氏は断じている。

 我々は、街角調査、聞き取り調査などの身近な調査結果にはそれなりに判別・評価できるが、学者・専門家など権威ある人の調査結果は素直に受け止めがちで批判の耐性が十分とはいえない。
 いわば日本人の権威にたいする本能的といってもいい信頼がここにもある。
 が、こと社会調査については、彼らはゴミを撒き散らしている。  撒き散らす理由は、ゴミを受け入れる需要があり、そのことにより得るものがあるからである。
 しかも権威があればあるほどその度合いは増す。日常の何気ない調査にゴミがいっぱい入っているとすれば、我々知らず知らずのうちに、それを吸い込んでいることになる。
 ここに社会調査のゴミから身を守り、判断を誤まらないための、リサーチ・リテラシーの必要性がある

2014年4月7日月曜日

「反日」韓国 6

 「反日」韓国について、小室直樹博士の社会科学的分析と崔碩栄氏の反日システムの構造を紹介したが、いずれも自国に対して厳しい見方をしている点で、一般のマスコミの論調とは大いに異なる。
 また偏狭なナショナリズムに捉われず客観的に日韓関係を分析している点で、一部の「嫌韓」論調とも異なる。
 「反日」韓国の分析は、両者の分析に尽きるが、あえて敷衍、追加すればつぎのことがらであろうか。

 まず、韓国のおかれた現状である。
 韓国は、日本と同じく、開かれた民主主義国で、市場経済の働く資本主義国であると一般的には考えられているが、この認識はそのまま鵜呑みには出来ない。

 一つには、韓国社会は事実上言論を封殺されている。
 特定の国、特定の言葉について擁護すれば、直ちに社会的制裁が下る社会はとても言論の自由がある社会とはいえない。
 「親日」発言など、韓国では自殺行為に等しい。そして言論の自由がない民主主義国などありえない。

 二つ目には、韓国の市場経済は事実上麻痺している。
 1997年にIMFの管理下になったのを、キッカケに韓国経済はグローバル資本に席巻された。
 グローバル資本に席巻されたサムソンはじめ少数の財閥企業および銀行が、韓国経済を壟断している。
 このような経済構造は健全な資本主義経済とはいえない。
 むしろグローバル資本を宗主とする、植民地経済といったほうがより実態を表わしている。
 1997年タイを発端としたアジア通貨危機はついに韓国にもおよび輸出主導、多額の外貨借り入れに頼っていた韓国経済は、グローバル資本の格好の目標にされ、韓国の財閥、銀行が軒並みグローバル資本家の手に落ちた。
 アジア通貨危機後、韓国は必死の努力で、サムソンなど韓国製品を世界の市場に溢れさせアジアの優等生と称された。
 だが利益はグローバル資本家に還元され韓国国民に還元されることはなかった。
 現代の韓国の貧富の格差、経済的悲劇の淵源は1997年にはじまったといっていい。
 格差の拡大ほど国民の不満を助長するものはない。この不満は、韓国の場合、政府の誘導もこれあり、より一層「反日」へと向かったのは自然のなりゆきでもあった。

 三つ目は、韓国の伝統的な事大主義である。
 韓国は歴史的に中国の属国的立場に甘んじてきた。
 それが近年、事大主義の相手にアメリカが加わりより複雑になった。
 日本に対しては、伝統的に、中国および韓国の高度な文化は韓国経由で日本にゆき、その逆などありえないと考えていた韓国人は、文化の逆流に戸惑い、複雑な対日感情を抱き、植民地化を経て「反日感情」へと姿をかえた。

 次に、韓国のおかれた現状、なかんずく狂的な「反日感情」の行く末はどうなるか。
 燃え盛った憎悪、反日感情が反転するにはピークを待つしかない。そのピークが何時なのかなど誰にも分からない。韓国の現状は反日感情の沈静化など許さない。
 韓国は、重篤な「駝鳥症候群」に陥っているのかもしれない。
 アメリカの心理学者ワイナーが、危機に直面した駝鳥が砂の中に頭を突っ込み、危険を直視しないことを「駝鳥症候群」と喩えたように、韓国社会は事実を事実として受け止める風潮にない。
 偏狭なナショナリズムとか憎悪の感情は、事実から目をそらし、問題解決からますます遠ざけてしまう。
 これは韓国に対してのみならずわが国に向けても常に自戒の念をこめて言うべきことであろう。

 事実を事実として受け止める。
 これは国家のレベルのみならず、個人にとっても重要で、問題解決の出発点であることは、日本の高名な数学者 広中平祐博士もかってこのようなことを言った。

 高度な文化を持ち、民族的にも有能な才能に恵まれながら、憎悪と嫉妬と反感の害毒に苛まされている韓国国民は、事実に背を向け、問題解決の糸口を自ら取り払い、七転八倒している。
 かかる事態を憂い、狂瀾を既倒に廻らす勇者が韓国に現れるのはいつのことか。

2014年3月31日月曜日

「反日」韓国 5

 韓国の『反日』は、まず歴代政権がこれを主導して始まり、次に、この『反日』が民間レベルに及び、政権の思惑とは多少異なる形で徐々に浸透していった。
 そのあげく、『反日』で一儲けしようという者があらわれ、『反日』がビジネスと化した。
 政治家は、『反日』で国民の媚を買い、事業者は、『反日』で利益を得る。これが定着し、国家レベルでの反日システムとなった。
 この間の経緯を崔碩栄氏は次のようにのべている。

 「韓国の歴代政権は自分たちの目的のために国家のレベルで反日教育、宣伝を行ってきた。
 この結果『国家レベル』の反日の土台が固まり、それを利用しようとする『民間レベル』の反日が現れたのは1990年頃である。
 『反日』というテーマが韓国社会で力を発揮する妙薬であることに気づいてしまったのだ。
 その主体は商売人、政治家、市民団体、研究者から北朝鮮までと幅広い。しかし国家レベルの、国が望む価値観と常識を国民に植えつけようとする『洗脳』まがいの反日に比べて、民間レベルの反日はその目標がより具体的で、現実味がある。
 国家観、歴史観などではなく何かの『利益』を目指して動いているからである。」(崔碩栄(チェ・ソギョン)著彩図社『韓国が反日国家である本当の理由』)

 そして、反日で『利益』を得ている人々について次のように述べている。                      (前掲書要旨)
① 商売人
 韓国人の愛国心を最大限に利用し利益を得ている。独島(日本の竹島)が典型的である。
 金融、IT,製造、通信、食べ物など、ビジネスのあらゆる分野で『独島イベント』が実施され、利益を得ている。
 分かりやすい例を一つ、『独島弁当』。
 歴史教科書、竹島、靖国参拝問題がおこるたびに韓国の弁当屋さんは笑いが止まらない。
 弁当の中身が沢庵、海老フライ、豚カツなど日本由来のおかずであったが、そんなことにはおかまいなし。

② 市民団体
 韓国には日本の朝鮮統治や太平洋戦争と関連する市民団体が数多く存在する。類似した名前と目標を持つ団体もかなり多く、一般市民の目には区別がつかないほどである。
 諸団体の共通点は『日本』 『被害』 『犠牲』 という言葉を使い、常に何かを『求める』ことである。
 彼らは何を要求するのか。彼らが要求してきたものは、謝罪、賠償、補償、子孫への奨学金支給、無住宅被害者のためのマンション提供などである。
 これらの団体の活動は詐欺まがいである。
 例えば次のような事件はほんの一例である。

 2005年3月、『日本統治期に行われた強制動員に対する賠償金をもらえる』と全国から687人を集め、会費名目で合計1億5000万ウォンを騙し取った市民団体が警察に捕まった。
 典型的な『賠償金詐欺』の一つで、判断能力が落ちている老人たちを相手に金を騙し取る汚い手口である。
 しかし、警察の調べで驚くべき事実が明らかになった。
 それは、強制動員被害者であると名乗り会費を納めていた人の80%は徴用の経験のない『偽被害者』だったことである。
 『強制動員被害者』として会費を納めた『偽被害者』たちも、お金をもらうためならば『教育』を受け、『被害者』の役割を演じることに躊躇はなかったのだろう。
 騙したほうも、全員ではないにしろ騙された方にも、『真実』は重要な問題ではなかったのだ。

③ 政治家
 韓国の政治家ほど『反日』を積極的に利用してきた集団は他にいない。
 彼らが反日を利用したのは歴史を評価するためではない。だからといって自分の直接的な利益のためでもない。
 彼らは政敵を攻撃するため反日を利用する。
 韓国の国民が『親日派』に対して大きな反感を持っていることを利用し、反対派や選挙において競争相手の親日前歴を問題視するのである。
 現在、韓国の政治家たちはほとんどが戦後生まれである。しかし、韓国の親日攻撃には賞味期限がない。
 相手を攻撃すつためであれば、相手の父、祖父の代まで問題視するのである。

④ 北朝鮮
 韓国で起きている反日は北朝鮮と密接な関連がある。北朝鮮が韓国の反日感情を扇動する場合もあるし、不思議なことに北朝鮮と同じ声を出す韓国内の勢力も増えているのである。
 先頃の韓国の世論調査で、金正恩第一書記は、指導者好感度で安倍首相より上位であった。

⑤ 韓国と日本の左派
 韓国の左派学生運動勢力、日本の朝鮮総連は、過去の左派たちと同じく過去に日本がどれだけ悪いことをしたか強調する。
 国交樹立から既に50年以上経ったにもかかわらずである。それは日本を嫌っているからではない。彼らが反日の姿勢を崩さないのは、それが日本と韓国政府を批判する材料、そして消極的な韓国政府を圧迫する材料として使えるからだ。

⑥ 学者、研究者、活動家
 韓国には、国庫補助金で、『独島学科』が設立された大学がある。また、『独島教育士』 『独島文化解説士』などの資格検定がある。
 これらの制度が廃止されずに維持されるためには、日本との紛争が永遠に続くのが必要条件である。
 彼らにとって彼ら自身の日本に対する感情はどうでもいいことだ。彼らの中に『反日感情』がなくても、彼らは『反日』を行うしかないシステムになってしまったのである。

⑦ 反日を『業績』として利用する人々
 日本を敵として設定し、それを批判することは韓国内での売名のためにはとても有効な手段である。
 韓国のマスコミは、その内容が正しいか、正しくないかは置いといて、とりあえず報道する傾向があり、一方で、それに疑問を持ち、自分の目で確かめようとする読者、視聴者は少ない。
 その影響で嘘、間違いが紛れ込んだ報道が溢れている。
 なぜか日本関連ニュースだけに高い関心を示す韓国社会にも問題があるが、それを利用し刺激的なニュースを繰り返して量産する韓国マスコミの責任と罪も少なくない。

 崔碩栄氏は、以上を列挙したあと、最後に、象徴的な言葉で締めくくっている。

 「政治家たちは政敵への誹謗中傷のために、北朝鮮は韓国政府批判のために、韓国政府は世論操作のために繰り返して『反日』という薬を使用し、国民は自分でも気づかないまま、中毒になり、それに頼らざるを得なくなった。
 そして、それの『効き目』に気付いた勢力が、それを自分たちの『利益』のために利用するようになったのだ。
 『システム』が長年運営されてきた結果、その副作用も現れた。 韓国社会が自ら主張し、育ててきた『反日感情』に手をつけられなくなったのである。
 つまり、自在に操ることができた『反日』が、韓国社会の濫用の下で成長し続け、操縦制御不能のモンスターとなってしまったのだ。」(前掲書)

 さる3月25日の日米韓3者首脳会談で朴槿惠大統領は、安倍首相の韓国語の挨拶に無視で応じた。
 公の席でにこやかに握手でもしようものなら、韓国の政敵、マスコミの好餌となる。
 世論の支持を失うのに比べれば、外交非礼なぞなんのその。
 この際仏頂面を決め込むに限る。
 極めて分かりやすい日米韓3者首脳会談であった。

2014年3月24日月曜日

「反日」韓国 4

 次に、韓国人の『反日』韓国の分析
韓国のフリーライターであり、、韓国メディアの反日扇動を告発した『キムチ愛国主義ー韓国言論の理由なき反日』の著者である崔碩栄(チェ・ソギョン)氏の「反日」韓国の分析を紹介したい。
 同書は、2011年韓国文化観光部から社会科学部門優秀推薦図書に選ばれたている。氏は、反日韓国を客観的に観察し分析している。
 崔碩栄氏によると、韓国社会では今なお中世欧州さながらの魔女狩りが横行しているという。

 「ソウル大学の経済史学者である李榮薫(イヨンフン)教授は、
 『教科書に書いてあるような日本による米、物資の収奪はなかった』、『植民地時代について知っている韓国人の集団的記憶は多くの場合、作られたもので、教育されたものだ』と言う主張をしたことで有名な学者だ。
 それは彼の長年の調査と記録に基づいた主張だったが、韓国社会にはあまりにも唐突で、大きなショックを与えた。
 李教授が2004年テレビの討論番組で『(日本)の公権力による強制的な慰安婦動員の証拠はまだ見つかっていない』と発言するとマスコミ、市民団体、政党、一般市民から怒りの声が噴出した。
 彼が勤めている大学には彼の辞職、解雇を求める声が殺到し、インターネットは彼を批判する声で埋め尽くされるなどものすごいバッシングが起きたのだ。
 しかし、それは始まりに過ぎなかった。
2006年に開かれたあるシンポジウムで、李教授は乱入した市民団体の人々に胸倉をつかまれ、引き倒され、蹴られる、殴られるという暴行を受けた。顔面と腹部を殴られた李教授は血を流しながら救急車で運ばれるほどの事態となった。」(崔碩栄(チェ・ソギョン)著彩図社『韓国が反日国家である本当の理由』)

 日本人は、韓国の狂ったような反日感情は、日本による、35年にもわたる植民地支配の恨みつらみが爆発しているのだろうと考える。が、崔碩栄氏は、それは違うと言う。

 「日本と韓国の多様な資料に接した結果、気付いたことがある。それは、
① 現在見られる韓国の反日感情は、『過去』に起因するものではない、
② 韓国社会には社会的『システム』として反日感情を生産、維持する装置がある、
③ その『システム』の中に生まれ、育った人々は自分が限られた情報と報道しか見ていないことを認知できないということである。」
(前掲書)

 そして、その『システム』を作り上げ、運営している主体について言及している。

 「韓国の現代史を振り返ってみると、韓国の歴代政権が体制維持、支持率の獲得、外交の手段として『反日』というカードを繰り返し利用してきたことがわかる。
 国内の混乱と不満を抑えるため国外へ国民の目をそむけさせることは歴史上多くの国が使ってきた方法であり、現在も世界の色々な国が使っている常套手段でもある。
 韓国の場合、日本に35年間支配された過去の『傷』があるため、『日本』が利用しやすい素材であることは否めない。
 とはいえ、1980年以降強まった反日感情は日本統治期を経験した人々ではなく、未経験者たちにより提起されたのがほとんどである。
 即ちもはや現代韓国の『反日感情』の原因は、『過去』の辛い記憶にあると明言することは出来なくなっているのである。」(前掲書)

 「韓国社会が国民に正確でない情報を提供するようになる原因、それは結論が最初から決まっているからだ。
 常に『日本=悪』、『日本統治期=地獄』という結論に決まっているため、『日本≠悪』、『日本統治期≠地獄』という事例が出てきたら、隠ぺい、強引な解釈、嘘が必要になるのだ。」(前掲書)

 つまり韓国社会は、『反日』という情報のシャワーを浴び続け、外の世界が見えなくなってしまった。 勇気を出して外の世界を見ようとする人はいる。が、それを口に出した途端魔女狩りにあう。

 このように『反日』は、韓国社会の『システム』となっている。この『システム』を作り上げた主体は、当初、歴代政権であったが、今や、その手を離れ、拡大再生産され、制御不能の域まで達している。
 それが証左に韓国大統領さえ国民の目をおそれ日本への攻撃姿勢を緩めず日本との首脳会談を拒み続け、アメリカの仲介で渋々日米韓3カ国の首脳会談に応じたほどである。
 『反日』韓国を理解するには制御不能に陥った現実の直視およびそれにいたる原因を突き止めなければならない。
 

2014年3月21日金曜日

カンボジアの憂鬱

 カンボジアを旅行した。2009年以来2度目となる。

 カンボジアは、内戦終結の1975年から1979年の4年間ポルポト政権下の暗黒の時代の影が未だに色濃く引きずっている。
 ポルポト政権の弾圧からの解放直後の人口構成は、国民の85%が14歳以下であった。
 カンボジア人の大人の大多数が殺された。現在40~50歳のカンボジア人は大多数がその親を殺されたということになる。
 内戦およびポルポト政権の虐殺は200万人とも300万人とも言われ数さえ特定できていない。
 解放四半世紀後の人口構成からもその異常さが読み取れる。(下図)
 ポルポトという一人の狂信的な原始共産主義信奉者によってもたらされた悲劇は、ナチスドイツのヒットラーによる悲劇に勝るとも劣らない。
 時代が進み、文明が発達しても、悲劇は繰り返されてきた。
 将来も繰り返されないと誰も保証などできない。一人の人間にすみついた狂気は、どんな細菌より恐ろしいことをまざまざとみせつけられた。
 クメール(カンボジア)人は、もともと、穏やかで優しく、信心深いといわれている。が、その表情は暗い。
 本来の穏やかで優しく、南国特有の明るい表情が戻るにはまだまだ時間がかかるのだろう。

 今回は、カンボジア遺跡観光でバケン山での夕日鑑賞があった。
 どのようなすばらしいものかと期待したが、日本のどこからでも見られる夕日と変わりないものであった。
 ただ一つ感動したのは、夕日鑑賞にきた人の感動した表情であった。めったに見れない一大天体ショーでもあるかのごとく人々は興奮した表情であった。



  これは『ロンリープラネット』や『地球の歩き方』などの旅行ガイドブック、あるいは旅行会社の宣伝が行き渡っている効果にちがいない。
” 観光の正体見たり夕日ショー ”