2018年10月1日月曜日

ガブリエルの新実在論 5

 わたしたちが考えていること、理解していること、認識していることは精神の働きによるものである。
 考え、理解し、認識する主体であるわたしたちの精神が存在しなければそれらもまた存在しない。
 精神の働きがすべてなのでそれらが実在しているかどうかは証明できない。このような観念論を支持する人はおそらく少数派であろう。
 一方、存在するのは物質のみ、精神の働きといってもそれは単に物質の働きによるものにすぎないと考える人が大多数に違いない唯物論的考えは常識に反することがないので改めて説明するまでもなく受け入れられやすい。

 すでに見てきたようにガブリエルの哲学はこの意味においては常識に反している。
 存在するということはどこかに存在する筈である。つまり存在には場所の規定が含まれる。
 世界があるとすればどこかになければならないがそのような場所はどこにもない。したがって世界は存在しない。
 にもかかわらず自然科学は、およそ現実いっさいの基層ーほかならぬ世界それ自体ーを認識する立場である。
 世界が存在するという認識の立場で自然科学は間違っている。
 自然科学は巨大な幻想にもかかわらず自然科学以外のいっさいの認識は、自然科学の認識に還元されなければならない。あるいは、いずれにせよ自然科学の認識を尺度にしなければならないとする立場である。
 このようにすべての現象を自然科学のみで説明しようとする立場を自然主義というが、これは間違っていてかつ危険極まりない思想である。
 ガブリエルがもっとも反対し攻撃の対象としているのは唯物論とともにこの自然主義である。
 現代の革新的技術であるIT、バイオ、AIなどにしても無数にある存在の一つにすぎない。
 第二次大戦後、ソ連の唯物論とアメリカの自然主義は軍国主義へとひた走った。
 冷戦に勝利し唯一の超大国となったアメリカでは経済のグローバル化が進み強者の論理がすべてに優先するようになり弱者の論理は排除された。
 その結果、環境は破壊され人びとの間に格差が生じ民主主義が危機に瀕している。

 ガブリエルが特に力説していることは哲学に人間を呼びもどし危機に陥った民主主義を救うことである。
 彼の民主主義擁護論は人間主義の精神が根底にある。権力はつねに暴走する危険を孕んでいる。
 これらを防ぐためには民主主義の基盤に倫理をおかなければならない。
 ドイツ憲法第一条第一項に「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、および保護することは、すべての国家権力の義務である。」とある。
 この条文はドイツ観念論の創始者カントの精神が反映されたものであり二度の世界大戦を通じたドイツの苦い体験から生まれたものであるという。
 
 この民主主義についての考え方は、同じ第二次世界大戦の苦い体験をしたわが国の丸山真男教授の民主主義観と軌を一にしている。

 「民主主義というものは、人民が本来制度の自己目的化ー物神化ーを不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなり得るのです。
 それは民主主義という名の制度自体についてなによりあてはまる。
 つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義でありうるような、そうした性格を本質的にもっています。
 民主主義的思考とは、定義や結論よりもプロセスを重視することだといわれることの、もっとも内奥の意味がそこにあるわけです。」
(丸山真男著岩波新書『日本の思想』)

 民主主義は民主主義を求める日々の努力のうちにある。これを怠れば民主主義はいつでも危険にさらされる。

 ヘーゲルの「ミネルバのフクロウは迫り来る黄昏に飛び立つ」というたとえのように哲学はもともと過ぎ去った時代の精神を思想として形成したものである。哲学者は預言者ではない。
 だがルソーやカント、あるいはマルクスなどに見られるように彼らの思想はあたかも預言者のように後世に影響を与えた。
 歴史的には哲学は同時代というよりむしろ後の時代に大きな影響を与えてきた。

 ガブリエルは、ドイツ観念論の後継者の一人である。同じドイツ観念論であっても絶対的なものは存在しないという点でヘーゲルとは対極にある。 
 彼の著作はドイツ国内では広く読まれているが英米など英語圏ではそれほどでもないという。

 すべての動物のなかで人間ほど危険な動物はいない。
罪もない600万人ものユダヤ人を虐殺したり、非戦闘員の頭上に平然と原爆を落とす。
 このようなことは時代や文明の発展度合いに関係なく行われてきた。そしてこれからも起こりうる。少なくともそういうことが行われないという保障はどこにもない。
 権力は自然主義と親和性がある。権力者はほっておけば自然主義者になりがちである。
 権力の暴走を食い止めるためには民主主義の土台に倫理がなければならないというガブリエルの哲学はこのことを踏まえた主張であり説得的である。
 彼の哲学はいずれドイツ以外にも浸透するであろうしそのことを願って止まない。

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