弱い立場の人への理屈抜きの同情は人類共通の感情であろう。わが国ではそれが判官びいきとなってしばしば集団心理を形成することがある。
規律ある集団心理はややもすると規律を欠いた群集心理に変わることがあるからやっかいである。
フランスの社会心理学者ル・ボンは群集心理には4つの法則があるという。
① 道徳性の低下
② 暗示にかかりやすくなる
③ 思考が単純になる
④ 感情的な動揺が激しくなる
今夏甲子園における高校野球では例年以上に判官びいきが見られた。
秋田の公立高校・金足農業への応援がそれである。この応援は自然な感情であろうが、これが昂じて同校の対戦相手へのヤジとなった。
対戦相手校からすれば何でわが校が敵役となりアウエーの気分で試合に望まなければならないのかと思うだろう。
厳しい練習を積み重ねて正々堂々と難関を突破して甲子園出場を果たしたことに何ら変わりはない。ひいきをされない側にとって判官びいきは理不尽な仕打ちとなる。
判官びいき、この言葉の由来から理非曲直を冷静に分析すればそれがいかに一方的であるかがわかる。
九郎判官と呼ばれた源義経は異母兄の源頼朝が平氏打倒の兵を挙げるとこれに馳せ参じ一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦で勝利し平氏討伐の最大の功労者となった。
この華々しい戦果にもかかわらずその後の一連の行動によって義経は頼朝の反感を買い最終的に追い詰められ東北の地・平泉で自刃した。
この悲劇は兄弟間の恨みとか確執に起因するという説もあるがそれ以上に二人には決定的な違いがあった。
義経は平氏を打倒してその座に平氏に替わり源氏が座ることを考えていた。
一方頼朝は平氏を打倒してそれまでの公家中心から武家中心による政治を築こうと考えていた。
義経が考えていたことを中国歴代王朝の交替である易姓革命にたとえれば、頼朝のそれは社会を根底から変える武家革命といえる。
兄弟の目指すところは全く異なっていた。悲劇の淵源はこの同床異夢に根ざしていると考えられる。
しかし史実とはおかまいなしに悲劇の主人公義経伝説は独り歩きし800年以上もの間日本中をかけめぐり今後も続くことだろう。
華々しい功績にもかかわらず兄・頼朝によって滅ぼされたかわいそうな弟・九郎判官。
人びとは兄を悪役に仕立て弟に同情した。判官びいきはこのような背景から生まれた。
われわれはメディアにあおられてどうしても同情される側にだけ目がいきその反対側にいる人たちのことに想いが至らない。一方的でいいはずがない。
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