普段はそうでもないが時代の転換点には俄然注目されるものがある。哲学もそういうものの一つであろう。
18世紀末から19世紀にかけて欧州は大きな転機を迎えていた。
プロイセン王国の哲学者カントはそうした転換点でドイツ観念論の議論を惹起し起爆剤的役割を果たした。
哲学門外漢にはカント哲学について詳しく語ることなどできない。ただ彼の業績のなかで二つのことが強く脳裏に残っている。
その一つは認識論のコペルニクス的転回である。
従来、われわれは物が存在するのを見て物があると認識するが、カントはわれわれが物が存在するのを見て物があると認識したからこそ物が存在するという。
人間が対象を客観的に見てもそれは物自体を認識したことにはならず、認識はわれわれの主観に依拠するという。これは従来の形而上学的認識論からすれば180度の転回である。
このカントの認識論はドイツ観念論をはじめその後の哲学界に大きな影響を及ぼしたといわれる。
もう一つは永久平和論である。
カントは善については結果よりも動機を重視した。人生の目的は人格の完成にあり国家も一つの人格である。
すべての国家が人格を尊重しあい永久平和状態を目指す努力こそ道徳的であり善であると。
カントの永久平和構想の思想が反映したものには第一次世界大戦後の国際連盟の設立がある。
だが現実には善の動機を優先した彼の永久平和構想にもとづく国際連盟は機能せずナチスの台頭から第二次世界大戦へ突入した。泉下のカントはこれをどう批判するだろうか。
21世紀のいまAI,バイオテクンロジー、グローバリズムそして核兵器による大規模戦争が事実上不可能となるなど時代は大きく展開している。
いずれこれらの問題に対処する指針となる哲学の出番がくるに違いない。既に実在論について議論が高まるなどその兆候が現れている。
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