2017年11月6日月曜日

多勢に無勢

 われわれは、はっきりと確信がもてることについては人に何と言われようと平気だが、確信が持てないことについて反対されると動揺する。
 古代ギリシャの哲学者エピクテトスは問うている。

 「われわれは人に頭が痛いでしょうと言われても怒らないのに、われわれが推理を誤っているとか、選択を誤っていると言われると怒るのは、なぜだろうか」 

 これに対するパスカルの答え。

 「われわれは、頭が痛くはないということや、びっこでないということは確信しているが、われわれが真なるものを選んでいるということについては、それと同じ程度の確信は持てない。
 したがって、そのことについての確信は、われわれがそれをわれわれの全力で見ているという以外に根拠がないのであるから、他の人がその全力で正反対のことを見るならば、われわれは宙に迷わされ、困惑させられる。
 まして千人もの人たちがわれわれの選択をあざける場合は、なおさらのことである。
 なぜなら、こうなるとわれわれは、われわれの理性の光のほうを、かくも多くの人たちの光よりも優先しなければならないことになるが、それは大胆で困難なことであるからである。
 びっこに関する感覚については、このような矛盾が決してない。」
(中央公論社『パスカル』パンセ前田陽一/由木康訳)

 政治や経済政策の実証は容易ではない。政策が妥当であったかどうかは結果を見なければ分からずそれには一定の年月を要する。

 結果が出るまではいずれの政策も仮説である。いかに信念に基づく政策であっても反対が多ければそれを説得するのは ”大胆で困難な” ことである。

 いまわが国では消費税増税と緊縮財政が重要案件で国論が二分している。
 メディアによればこれら政策を推進する勢力が多数派であり、これに異をとなえるのは少数派である。ここでいう多数とか少数は人数ではなく力関係である。
 推進派の中心とみられているのは実質的に国の徴税と予算配分の権利を壟断している財務省である。
 平成26年5月に発足した内閣人事局に審議官級以上の人事が一元化されたがいまのところ財務省の権力構図にそれ以前と特段変わった様子はない。
 一方反対派の中心は一部国内のエコノミストとコロンビア大学のノーベル経済学賞受賞者スティグリッツ教授などである。
 反対派は、平成9年の橋本内閣による消費税増税以降失われた20年はこの消費税増税と緊縮財政が主原因であると主張する。
 現に消費税が増税される度に(平成9年3%→5%、平成26年5%→8%税収トータルが落ち込み、持続的な緊縮財政により日銀の異次元金融緩和にもかかわらずデフレの進行に歯止めがかかっていないという。
 だがこの声は多勢に無勢でかき消されてしまっている。

 実証困難とはいえここ20数年の結果から判断すれば反対派の主張に理がある。
 にもかかわらず彼らの主張が通らず政策に反映されていない。このままでは消費税増税と緊縮財政政策により日本経済は縮小均衡化の途を辿るだろう。近い将来事態が深刻化し一時的な巻き戻しがあるにしても遅きに失すればわが国は先進国から脱落するという誰も想像しないようなことが起こるかもしれない。デフレとはそれほど重篤な病である。

「OECD  GDP推移 過去20年」の画像検索結果
                  出典:OECD

 このグラフは過去20年間のわが国とG7のGDP推移である。
 平成26年 日本はG7の6位、OECD諸国35カ国中20位、世界では27位である。
 この傾向が今後も続くと想像すれば誰しも慄然とするだろう。

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