2015年7月27日月曜日

突出するドイツ 2

 ドイツはなぜユーロ圏で傑出した経済発展を成し遂げたのか、またなぜ南欧諸国に緊縮財政を強いるのか。
 この問題を解くためにはまずドイツを正しく理解しなければならない。
 メディア等を通じたドイツについての理解は断片的であり表層的である。時として誤解もありうる。
 エマニュエル・トッドは人類学者として近世ヨーロッパの歴史を俯瞰してドイツについて論評した。
 彼の論評には同じヨーロッパ人ならではの視点から鋭い切り込みが感じられる。
 視点を変えてドイツに長年滞在している二人の日本人の著作からさらにドイツについて理解を深めたい。
 
 まずジャーナリストの熊谷徹氏の著作から。
 熊谷氏はNHKを退職後フリージャーナリストになり、彼によれば 『ドイツでの定点観測を始めてから、25年目になる』 という。
 彼はまた同じ敗戦国として過去との向き合い方、歴史認識、経済発展、エネルギー政策について日独の違いを浮き彫りにしドイツに対しては総じて肯定的であるが、日本に対しては否定的で、手厳しく論評している。

 ドイツは過去と真摯に向き合っていると熊谷氏は言う。
 ナチスの党本部があったミュンヘンに、連邦政府、州政府、ミュンヘン市が39億円を投じてナチスの犯罪に関する資料館を建設したがこれに関して、

 「私は、この国の政府や地方自治体が、形而上的なプロジェクトに多額の公費を投じたことを高く評価する。
 物質的な利益とは無縁の、国家の未来のための投資も、公共投資と見なすべきだ。
 たとえばナチスの犯罪について国民を教育することは、他国のドイツに対する信頼を強化する。
 ドイツ人が自国の過去について知れば、他国民に接するときの態度は、傲慢なものにはならず、控え目なものになるはずだ。
 (私は、一部の日本企業のアジア駐在員が、かって日本軍が被害を与えた国の市民に対して、極めて傲慢な態度をとった例をいくつか知っている。30年前のことではなく、ごく最近の例である。こういした態度の根源には、日本の過去についての無知がある。つまり、こうした態度をとる日本企業のビジネスマンは、戦時中の日本人が、これらの国の人々をどう扱ったかについて、十分知らないのだ)。
 『過去との対決』は、独裁国家の再来を防ぎ、ドイツの未来を守ることにつながるので、公共の利益にかなう。
 過去との対決への公費の投入も、立派な『公共投資』なのだ。」
(熊谷徹著集英社新書『日本とドイツふたつの戦後』)

 歴史認識についての日独の違いの一つに継続性があるという。

 「ドイツで過去との対決が社会全体を包む市民運動になり、日本ではそうならなかった理由の1つは、戦前と戦後の継続性の違いである。
 ドイツでは戦争とユダヤ人虐殺の最高責任者ヒトラーが自殺したほか、他のナチス指導者の大半も処罰されたり、自殺したりした。
 そして戦後の西ドイツは、1945年5月8日に降伏する前のドイツを『悪いドイツ』、それ以降のドイツを『より善きドイツ』と見なしてきた。つまり同国は、戦前・戦中と戦後を断ち切る分割線を引こうとしたのだ。(中略)
 これに対し、日本では連合国が昭和天皇を処刑したり、廃位したりはしなかった。マッカーサーはその方が日本を統治しやすくなることを理解していたからである。
 昭和天皇は国政に携わる権利を失ったものの、国家の象徴としての地位を維持することは許された。
 このため、戦前・戦中と戦後の日本の間には、歴然たる継続性がある。この継続性は、日本人が過去と批判的に対決する上で、大きな障害となっている。
 日本で『戦争に対する反省』というと、アジアでの被害者よりも、原爆や空襲の犠牲者や、軍部の無謀な作戦によって戦死、餓死した日本兵らを追悼することが中心になる。ドイツとは逆である。」(前掲書)

 ドイツ経済の奇跡については

 「ドイツの独り勝ちの最大の理由は、ゲアハルト・シュレーダーが2003年以降『アゲンダ2010』という経済改革プログラムを断行したことだ。」(前掲書)

 アゲンダ2010とは、企業の競争力と収益性を強化することにより、雇用を増やし失業者を減らす政策である。
 企業の収益性は主に労働コスト抑制によったため所得格差の拡大を招いたが、失業率は欧州で 『雇用の奇跡』 といわれるほど大幅に減った。
 ドイツは『社会的市場経済』であり、アメリカ資本主義とは根本的に異なる。

 「社会的市場経済の下では、政府の役割が米国よりはるかに大きい。
 たとえば政府が経済政策の路線を決定し、競争に敗れた弱者を救済するために、社会保障制度などによって、安全ネットを準備する。
 企業はあくまでも、政府が定めた枠組みの中で利潤拡大のための競争をおこなわなければならない。
 したがって、企業は利潤拡大のために社員に1日あたり10時間を越える労働をさせることを、禁止されるのだ。
 日本や米国の企業が1日あたり10時間を越える労働をさせていても、ドイツにある企業は、1日あたり最高10時間というルールを守らなくてはならない。
 したがって、企業はイノベーションによって効率を高めることを余儀なくされる。これが、ドイツの労働生産性の高さにつながっている。
 社会的市場経済は、米国のような、純粋資本主義と、競争原理を最重視する自由放任の市場経済と大きく異なる。
 『社会的市場経済』は、ドイツ経済を理解する上で最も重要な概念の1つである。」(前掲書)

 中小企業の層の厚さと強さが日本とドイツに共通しているが、ドイツの中小企業がよりグローバル化を進めている点で異なるという。
 それは国際マーケティング能力、語学力の違いにあるという。

 「私がこのように主張するのは、25年間ドイツで働いて、『国際社会で日本人が生き残るには、英語だけでは不十分だ』ということを学んだからである。
 もちろん英語は必須だが、それ以外の言語もできないと、欧州のような多文化地域では不十分だ。
 私はドイツ語、英語フランス語を話すが、欧州ではスペイン語やイタリア語も話せないと、十分ではない。
 日本の中小企業がドイツ並みにグローバル化するには、語学教育の大転換が不可欠である。
 逆に言えば、現在の語学教育を続けていたら、日本企業のグローバル化はいつになっても成功しない。」(前掲書)

 エネルギー政策については、日本は原発再稼動を決定した。一方ドイツは原発全廃を決定した。
 この背景にはエネルギー問題と社会的倫理の関係があるという。
 日本は原子力やエネルギー問題は専門家が決めるべきことと考えるが、ドイツ人はこの問題は市民全員に関係があるから専門家以外も参画すべきと考える。

 熊谷氏は25年間ドイツを定点観測した結果、総じてドイツ方式の優位性を認め、日本はドイツに学ぶことが多いと結論づけている。

 熊谷氏の著作についての検証は、稿を改め行いたい。

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