2014年3月3日月曜日

「反日」韓国 2

 1910年から1945年まで日本の朝鮮半島統治は、他の西洋列強の植民地統治とは異なり、過酷さにおいて雲泥の差があった。
 日本の統治は、過酷というより近代化の手助けといったほうが正しい。なにしろイギリス、フランス、オランダ、スペインなどの西洋列強は、当時植民地人を人間扱いしないとまでいわれていたのだから。
 これに比し日本は植民地朝鮮に対しなんと優しかったことか。
 教育振興、殖産興業は言うに及ばず両班といわれる支配階級から朝鮮人民を解放さえした。
 にも拘わらず、韓国人は酷く日本を嫌う。韓国の世論調査で日本は常に嫌いな国ダントツ1位である。
 この不思議の解明こそ、社会科学の出番である。
 為政者の教育による表層にあらわれた「反日」などではなく、韓国人の深層に潜む「反日」の解明こそが重要である。

 以下、日韓双方からの社会科学的分析を紹介しつつ、韓国人の「反日」の原因を考えて見たい。

 まず、日本側から。
 韓国を訪れ、同国の政府高官、学者等と日韓関係につき、たびたび激論を交わした、日本の社会科学の泰斗 小室直樹博士の分析を紹介したい。
 小室博士の論点は極めて明快で次の4点に絞られる。 
 韓国独立の経緯、歴史認識、社会基盤および同化政策である。

 1 独立の経緯
 独立は自ら勝ちとらねばならないが、韓国はそうではなかった。

 「韓国においては、八月十五日は、解放記念日として祝われる。ここから、すべての誤りがはじまる。
 その第一の理由は、この日に、韓国・朝鮮は解放されたのではないからである。
 そして第二に、韓国における根本的不幸はこの日からはじまったからである。
 昭和二十年八月十五日は、日本はポツダム宣言を受諾した。しかし、このことによって朝鮮が解放されたわけではなかった。
 金九、暗殺の神様といわれ、植民地時代に、独立を求める人びとの希望の星として、尊敬を一身に集めていた人物である。
 彼は、日本降伏の報に接したとき、天を仰いで長嘆息した。
 韓国軍は、日本軍をうち破ることは一度もなかった。わたしは、日本軍を撃滅してわが同胞を解放したかった。
 最後まで、日本軍に制圧されたままの解放なんて、結局、何にもなるまい。-------この金九の嘆き。
 ここに韓国人の対日感情の原点がある。『解放』なんて言ったところで、決して、自力で『日帝』を追ったのではない。本当のところ、ほとんど何もできなかったのだ。(中略)
 日本が敗戦して朝鮮解放の日は近づいた。嬉しくてたまらないはずなのに、少しも嬉しくない。韓国光復軍が日本軍を破ることによって、韓国は独立を獲得したかった。
 このままだと韓国には発言権がないことになってしまう。予言的な言葉である。といいたいところだが、そうではない。
 これぞ国際政治の常識。韓国光復軍といったところで、実は、何もしなかったのであった。
 いくら何でも、正式の会戦で日本軍を破れ、ここまでは、ルーズベルトもチャーチルも、蒋介石も周恩来も要求はするまい。いや、考えてもみないだろう。
 しかし、重慶に本拠をおく大韓臨時政府の軍隊たる韓国光復軍。せめて、対日ゲリラくらいには参加してもよかったのではないか。韓国の『解放』が、日帝から戦いによって奪取したものでなく、日帝とアメリカとの取引によって得られたものであること。
 この外傷が致命的な後遺症となって大韓民国を呪縛することになる。カーライルは、英国の王冠には、クロムウェルによって処刑されたチャールズ一世の亡霊がまといついて離れないといった。 大韓民国には、韓国人民によってではなく、アメリカによって処刑された、大日本帝国の亡霊がまといついて離れないのである。 宿命か作為か。」(小室直樹著光文社『韓国の悲劇』)

 つまり、韓国の統治は、日本軍からアメリカに引き継がれただけで韓国人の頭ごしになされた。韓国人の介入する余地ばなかった。
 ここに韓国の悲劇の淵源がある。フロイトは幼児体験の決定的重要性を強調したが、国もまた建国創業のときの慣行が、その国の前途を大きく規定すると小室博士は言う。

 2 歴史認識
 韓国の朴槿恵大統領はことあるごとに日本の歴史認識を指摘する。朴大統領がいう歴史認識とは、植民地時代の日本の誤りの謝罪を指すことだと受けとるのが日本人の一般的な見方だろう。
 が、小室博士はつぎのように指摘する。

 「今日ほど、日本人の韓国人に対する地位の高い時代はない。経済も文化も、現在、日本から大韓民国へほとんど一方的に流れている。その逆はあまり見られない。
 これは、日韓交流二千年史からみて、まことに異例なことである。この異様さに、日本人が気づいていないこと。
 ここに、日本と韓国が近くて遠い国になってしまった第一の理由がある。日本人は、この異様さに無関心なのに、韓国人は、おおいに関心があり、日本人の無関心さにいらだつ。
 この二千年間、明治維新にいたるまでは、軍事的にいえば日本優勢、文化的にいえば、韓国優勢であって、文武あわせてトントンといったところであった。
 しかも、韓半島に立国した諸国は文化国であり、日本は尚武の国であった。これが幸いして日本は、あまりコンプレックスをいだくこともなく、百済、新羅から李王朝の朝鮮にいたるまで、諸王朝から思いきって高い文化を輸入または略奪して、文化と生産力を向上させてきた。
 そして、同時に、これらの国の人びとを深く尊敬してきた。」(前掲書)

 こういう経緯を説明したあとで、日本人の文化的忘恩を指摘している。

 「飛鳥、奈良時代も、徳川時代も、日本人は韓国の文化をいたく尊敬し、韓国人自身さえも驚くほど韓国の国内事情に通じていた。この時代、日本人はそれほどまで、韓国文化の輸入に熱心であったのだ。
 韓国は先生で、日本はよき生徒であった。この関係が明治以降は逆転した、となると韓国人の気持ち、どんなものだか。言われなくったってわかるだろう。
 今まで、先生先生とあがめたてまつり、一言半句まで拳々服膺していた奴が、急に威張りだす。おまえの言うことなんかチャンチャラおかしくて聞けるかい。もう知らん。なんならこんどは俺のほうが先生になってやろうか。こう言いだしたらどうなる。(中略)
 日本人の文化的忘恩症は骨がらみの重病だ。
 現在の日米間の摩擦も、根源的には日本人の文化的忘恩症からきている。昨日までは、なんでもかんでもアメリカ一片倒。
 アメリカ様々と猿真似してきた。おかげで技術水準もアメリカに追いつき、経済もアメリカ先生を脅かすほど強くなってきた。アメリカ先生、出藍の誉れと喜んでやりたいところだが、とてもそんな気にはなれない。鉄鋼やら自動車やら、いくつかの基幹産業でアメリカを追う抜いたとたんに威張りだした。(中略)
 アメリカ人は、日本がここまでのしてこられたのは誰のおかげだ、と言いたくなる。
 技術や経済でアメリカとの差が小さくなるのと反比例して、日本の態度がでかくなる。
 アメリカ人の身になってみれば、いったい何様だと思ってやがるんでエ。昨日までアメリカの一顰一笑に汲々としていた日本が、なんのかんのと口答えしてアメリカの言うことを聞かなくなる。」(前掲書)

 30年ほど前の著作であるがアメリカとの関係は記憶に新しい。日韓関係も、時間軸を引き伸ばせば日米関係と似ている。目の前の出来事ばかりに心を奪われていては、物事の本質を見失う。
 日韓関係の異常さは、日韓の文化交流の逆流現象に起因しているが、このほかもっともっと根深いものにも起因している。

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