消費税増税による景気冷え込みを防ぐため、住宅購入者に対する補助金支給が検討されたり、新聞では消費税の軽減税率適用の要望が一段とヒートアップしている。
このままだと、政府が増税可否の判断するという10月には、増税が既成事実化され、景気の如何に拘わらず、実務的に増税を中止するという選択肢は実質上排除されているかもしれない。
わが国における消費税増税による税収の落ち込みは平成9年の橋本内閣で経験済みである。
ようやく上りかけた税収に水をさし腰折れさせた。(下図)
一般会計税収の推移
平成元年4月1日 消費税新設(3%)
平成 9年4月1日 消費税増税(3%→5%)
(注)23年度以前は決算額、24年度は補正後予算額、25年度は予算額である。
財務省統計資料から
英国の事例でも同じことがいえる。2011年1月増税実施後景気が低迷している。(下図)
なお悪いことに英国の場合は米国のFRB以上にものすごい勢いで金融緩和しているにも拘わらず景気低迷を阻止できないでいる。
産経新聞特別記者 田村秀男氏作成資料から
わが国は、アベノミクスでようやく景気回復の端緒についたばかりである。
ここで消費税増税を実施すれば、英国の二の舞になりかねない。
大胆な金融緩和も、増税にたいしては景気の腰折れを防ぐことはできない。
上記二つの事例からみても、来年4月からの消費税増税には無理がある。
が、この無理を押し通そうとする強力な勢力がある。財務省である。財務省は組織をあげて消費税増税に邁進している。
増税は、財務省の歳出権を増大させ裁量権を増大させる。柴田弘文 立命館大学名誉教授が指摘しているように、財務省は税収予測値を操作することにより省益最大化を目指しているが、消費税増税も例外とは思えない。
省益最大化は財務省の最優先課題であり、そこには国益は存在しない。
なぜこのようになったのか、その原因を探るには戦前に遡って俯瞰する必要がある。
欧米と異なり、わが国には貴族階級は存在しなかった。が、明治政府は貴族階級に換わるものを教育制度に求めた。日本版 ”科挙” の導入である。
一高・東大法学部をもって日本の指導者階級の養成機関と位置付けた。
国民もこれに呼応し、貧しくとも一高を目指せる能力を見込まれた若者は郷土をあげて支援した。
かかる支援は大変な美談とされた。
これら、佐藤紅緑描く ”ああ玉杯に花うけて” 世代の若者は一高・東大法学部を卒業すれば官僚中の官僚、大蔵省に入省し、自然と勇者の責任 (noblesse oblige)を身につけた。省益などかまわず、国のためにやってやろう、という気概にあふれていた。
ところが、戦後の教育は、自我を全面にだす教育が善とされ、 共同体意識、連帯意識が薄れた。受験戦争が勃発し受験生はこれに勝利することのみに集中した。
結果は、誰のお陰でもない、自分の力のみで獲得したものであるから、自分の利益を最優先するといってはばからない若者を誕生させた。
これがひいては国益などかまわない省益最優先官僚の誕生となった。
発展途上にあったわが国の戦前の教育制度はそれなりに有効に働いた。
が、戦後の教育制度のもと勇者の責任を放棄した官僚が、戦前の特権だけを受け継いだ。
これが最大の矛盾点であり、腐敗・腐蝕の原因となった。
義務と責任を伴わないで、特権だけ受け継いだ官僚が、どのような行動様式をとるか。
待ち受けているのは、果てしない腐敗と腐蝕である。
官僚を監視する制度・体制が今ほど望まれることはない。これは直ちに望むべくして得られるものでもないかもしれない。
が、望み求め続けること、それ自体が官僚の監視機能ともなりうる。
消費税増税の行方は、政治家、官僚および国民の行動様式を占ううえで貴重な試金石となる。
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