2013年6月3日月曜日

携帯電話

 おのぼりさんになって、久々に銀座に出かけた。電車の中は、かなりの割合で人々は携帯電話を操作している。殆どが、はやりのスマートフォンのようだ。
 数十年前の元旦の新聞に、未来の社会の想像図として、主婦が端末を操作し情報や家電を制御している様子があったように記憶しているが、それがまさに現実の世界になっている。
 便利な世の中になったからといって、必ずしも人々は幸せになるとは限らない、などと野暮なことをいうつもりはない。
 が、携帯電話が人々の生活様式を一変させたことは間違いない。
 詳しくは社会学者の分析を待たなければならないが、おおよそ次のことはいえるだろう。
 まっ先に思いつくのが、携帯電話の悪用だ。”オレオレ詐欺”は、高齢者から貴重な老後の資金を巻き上げる非情な犯罪の道具として使われている。”オレオレ詐欺”は手を替え品を替え未だに猛威を振るっている。
 次に思いつくのが、人ごみの中で、大声で、またはひそひそ声で携帯に向って話しかけていることだ。この光景に慣れてしまったのでなんとも思わなくなったが、冷静に考えるとこの光景は普通ではない。
 本来会話は人と人であるが、目のまえの光景はそうではない。目のまえで人間が機械に話しかけている。そんなことに違和感を覚えるおまえがどうかしているといはれそうだがなんとも腑におちない。
 携帯電話でゲームをする若者の集中力はすごい。この集中力を勉強に向けたらさぞかし学校で良い成績をあげるだろう、などと勉強に一向に集中できなかった身として余計なことを考えてしまう。
 一方、こんな若者が成長し、大人になり多数を占める社会は、いったいどんな社会になるのだろうかと、一抹の不安を感じないでもない。
 この心配が、「近頃の若者は・・・」と大昔から言われてきてはなにごともなかったように杞憂であってほしいと願う。
 あまりよろしくない例ばかりあげたが、携帯電話が、電話機能だけでなく、インターネットも当たり前に使えることによって、大袈裟にいえば、世界の情報が瞬時に、しかも手軽に、手にいれることができるようになったことは画期的なことである。
 10万馬力の鉄腕アトムではないが、我々は、携帯電話を持つことによって、情報に関しては、鉄腕アトムの力を得たことになる。  インターネットを利用することによって、博覧強記といわれた昔の大学者に匹敵する知識を瞬時に得ることもできる。
 知識が必ずしも知恵に結びつくとは限らない、などとスネた発言をするつもりはない。
 どのような手段で知識を得、それをどのようにして自らの血肉としていくかは、畢竟、属人的な問題であるからである。
 エベレストの頂上に到達するのに、徒歩でいくのも、ヘリコプターで舞い降りるのも、頂上に到達したことに変わりない。
 が、頂上に到達するまでの過程および到達したときの感激は比較するまでもない。
 携帯電話とかインターネットは、便利な道具であるが、過信すると思わぬ落とし穴が待っているかもしれない。
 我々人間の肉体は、そんなに急激に生まれ変われるとは思えないから。

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