グローバル時代に領土や資源をめぐり国家が鬩ぎ合うとき、地方分権は流れに逆らう政策となる。
が、現在の中央集権体制も今や制度疲労といった生易しいものでなく腐敗・腐蝕しきっている。
百年河清を待つ政策といわれようがこの腐敗体質を駆逐しない限り真の日本の再生はない。
これは、中央集権とか地方分権とかの以前の問題である。仮に地方分権型道州制が実現したとしても、この腐敗の駆逐なしに成功するとは考えられない。
この病巣は手を変え品を変え組織に侵入するからである。シロアリ、否それ以上、猛毒をもった新種の病巣と考えたほうがよい。
明治初期、大久保利通によって創設された官僚制は、日本の近代化に大いに貢献した。官僚制なくして、あの目覚しい発展はなかっただろう。
近代化を急ぐために、明治初期は、欧米であたりまえであった議会・政党政治を避け、これからの超然主義をとり、政府・官僚がタッグを組み強力に近代化の政策を推進した。
当時の官僚 都築馨六は政治論文で、
「一国の多数は凡人なり、専門的な教育もなく大きな事業をなしとげる能力などない。国にとって正しい政策は、官僚が専門的に研究したことに基づくべきである。」
この考えは、当時の政府・官僚の一般的な考えを代弁している。
現代の我々にとって、この論文は、信じられないほど国民軽視であるが、発展途上であった明治の日本にあっては、まことに適切な政策であった。
短期間の驚異的な近代化達成の実績がなによりそれを物語っている。
不幸なことに、この都築馨六の考えは、現代の日本の官僚に今なおDNAとして根付いている。
成功体験ほど人々を慢心に落ち入らせ、失敗へと導くものはない。
太平洋戦敗戦後、軍部と財閥はGHQによって解体させられた が、米占領軍の占領政策上の要請から、官僚機構を利用され、官僚制は無傷のまま生き残った。
このため、明治の成功体験は、世界第3位の経済大国である今日に至るもなお亡霊のごとく生き残っている。
公務員の腐敗、汚職が摘発される度に、叩かれるが、もぐらたたきのごとくまた顔をだす。あるいは間歇泉のごとく時間をおいて湧き出す。
明治の官僚は、近代化のために一身を国家のために投げ出した。現代の官僚は、私利私欲のためと言はれてもしかたない行動が目にあまる。
時として、10年に一度の大物次官登場などの新聞記事をみかける。
さぞかし、政策の勉強に怠りない優秀な官僚かと思いきや、なんと接待など絶対に断わらず、料亭から料亭を渡り歩けば歩くほど大物の称号が得られるというから恐れ入る。
裏返していえば、職務に精励刻苦すればする程、小物ということになる。
次官からしてそうである。他は推して知るべし。
もし民間の会社社長がこのようなことをすれば、会社は左前になり、会社の株は叩き売られること間違いなし。
明治の官僚と比べ、現代の官僚の倫理感は180度異なる。
わが国のマスコミはこれら官僚を大物次官登場などと囃し立てる。なにをかいわんやである。
官僚の中の官僚 財務省の権限は途方もなく巨大だ。この改革なくして公務員の改革なし。
なにしろ主税と主計を擁している。徴税権と予算の配分権 これを鬼に金棒と言はずしてなにをいうか。
この飴と鞭をもって脅しすかされて平然としておれる人はいないだろう。
与野党を問はず政治家、官僚、財界、一般国民などなど、この財務省の権限の前に改革を叫び突撃しては幾たびともなく討ち死にしてきた。
歴代の内閣総理大臣でさえ例外ではない。
どんなに清廉潔白な人でも、人にはなんらかスネに傷がある。財務省はその気になれば、そのささいな傷めがけてしかけることもできる。
げに恐ろしきは、経済警察。10億円の脱税を見逃すかと思えば、10万円の脱税をも摘発する。
その恣意的権力を見せ付けられると人々は震え上がる。
折りしも先週アメリカで、共和党を支援するティーパーティーなど特定の保守系団体を標的に、免税措置の審査を厳格化しているとの報道があった。
厳格な審査が意図的であったかどうか、大統領が関与しているかどうかが問題とされた。民主主義が徹底している国ならではの問題提起だ。
わが国を見渡しても、このような報道をしかけることができるマスコミはまず期待できない。そのようなことをすれば、ただちに当局から圧力がかかるからだ。
しからば、我々はこの権力を前にしてなすべき手段はないのだろうか。
かすかな希望の曙光は見える。国民の圧倒的支持があればそれは可能だ。
先月、長らく国民不在の金融政策をとってきた日銀に対し、ようやくまともな金融政策に変更させることができた。
この政策を選挙の争点にし勝ち取った政権ならではの成功であった。
時あたかも、公務員改革が俎上に上っている。
国税庁と年金機構徴収部門をまとめて歳入庁にし財務省から独立した組織にする案がある。
これは民主党が政権交代時のマニフェストにあったが財務省の抵抗であっさり挫折した。
そして今野党5党は、歳入庁設置法案を参議院に提出している。
与党はいまのところこれに賛成とは言い難い。財務省と厚生労働省の抵抗があまりに激しいので与党も二の足を踏んでいるのかもしれない。
主要なOECD加盟国も歳入庁で税と保険料の徴収を行っている。
が、これは世界の流れだ。この流れの抗しても、自ずから限度がありいずれ抗しきれないだろう。
中央集権とか道州制とかの議論以上に重要な議案である。注視したい。
これが実現すれば、公務員の既得権益に対する”蟻の一穴”となり、瓦解が見えてくる。
が、これが挫折し将来に亘り成立の見込みがなくなれば、道州制議論など空虚な響きになってしまう。
そうなれば、日暮れて道遠し、”日本よ、汝の日は数えられたり”となりかねない。
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