日本がデフレに陥り20年以上もの長きにわたり低迷した原因は何か。
それが国外の要因でないことは明らかだ。日本以外の主要国は日本ほど低迷していないからである。
地震や風水害など自然災害のせいでもないだろう。それらは一過性にすぎないから。
国民が以前ほど勤勉でなくなったからなのだろうか。それも違う。デフレは需要不足、供給過多によって生じた経済現象であるからである。
残るものとしては国内、それも人災しか考えられない。問われるのは国家の舵取りである。国家財政の緊縮路線と骨太の方針で決定された構造改革である。
まず緊縮路線から
わが国の政策を事実上決定しているのは政治家でも国民でもなく選挙の洗礼を受けていない官僚である。
立法府の国会に法案を起草するのは国会議員であるが事実上これを作成しているのが官僚であることは広く知られている。33本もの議員立法を成立させた田中角栄は例外中の例外だ。
日本がデフレから脱却できない原因は何か。わかりやすくいえばそれは国家財政を家計と同一視しているからであろう。
支出は収入の範囲内でなければならない。消費税増税とPB(プライマリーバランス)目標の設定はその一環である。特にPBはデフレから抜け出せない元凶である。いづれも日本を衰退させた中核の政策であり財務省所管である。
人は小さなウソは見抜けても大きなウソは見抜けない。同じく、小さな誤りには気づいても大きな誤りには気づかないようだ。
国家財政を家計と同一視する政策は戦後最大の失政であり不幸にもそれが今なお継続していることである。
第二次安倍内閣誕生から6年間内閣官房参与としてアベノミクスにかかわってきた藤井聡氏は政府の内側から見ていた人だけが知る財務官僚の実態を分かりやすく描写している。
「PB目標が閣議決定されてしまえば、いかにそれを覆すことが法的に可能であるとはいえ、それを行えば財務省は凄まじく反発することになる。
『財布』を握る財務省が『つむじを曲げる』ようなことがあれば、政権運営の円滑性が損なわれてしまう。
あらゆる政策の実行には『予算』が必要であり、その予算執行において財務省がサボタージュすれば政策は何も進まなくなるからだ。
しかも財務省はほかの省庁と違い、徴税権(税金を徴収する権限)や査察権(税金の不正を検査する権限)があり、一旦怒らせればどういう『報復』をされるか分からない、という恐怖心を一人ひとりの政治家、あるいは、学者や言論人たちに与えることができる。
だから、筆者はしばしば、いわゆる政府要人たちの口から、『財務省と闘うには、選挙とかなんだとか、そういう相当荒っぽいことをやらないと、勝てないんだよね。一回怒らしちゃうと、何されるか、ホント分かんないんだよ』というような台詞を何度も聞いたことがある。」
(藤井聡著小学館新書『令和日本・再生計画』)
かって天子の側近で権勢を誇った中国の宦官(かんがん)もさもありなんと思わせる財務官僚の振舞いである。
財務官僚にとって消費税増税とPB目標は利権の温床でありあらゆるものに優先する。
緊縮財政は財務省の省是といっても過言ではなくこのためにたとえわが国が衰退の一途をたどろうとも国民が塗炭の苦しみを味わおうともおかまいなし。国益など二の次三の次である。
この異常事態は予算編成権と徴税権という強大な権限が財務省へ集中している当然の帰結であろう。
「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」(ジョン・アクトン)これを憂い一部の識者は欧米のように財務省の予算編成権と徴税権を分離すべしと主張するも公式の議論の俎上にさえ上らなかった。実現は程遠い。
国民の目はそんなことより吉本騒動に向けられている、このほうがはるかに面白いからだろう。
だがこのまま放置していいはずがない。消費税増税によりやがて不況に突入し給与が下がり将来の年金も怪しくなればいくら温和な国民でも何かがおかしいと気づき目覚めるときがくるであろう。
それまではいくら叫んでも無駄かもしれない。この意味において皮肉にも消費税増税が国民の意識を目覚めさせる契機となるかもしれない。そう期待するほかない。
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