旧日本軍は本格的な近代戦で連戦連勝、敗け知らずで軍部に対する国民の信頼は厚く手にした権限も絶大で軍部の支援が得られない内閣は総辞職するほかなかったほどである。
同時期に内政の大半を担った内務省も軍部と同じく強い権限を有し ”官庁の中の官庁” といわれた。
だが敗戦を機にこれら絶大な権勢を誇った軍部と内務省はともにGHQによって解体・廃止された。
これに比し大蔵省はGHQによって解体されることもなく戦前の体制のままほとんど無傷で生き残った。
1998年ノーパンしゃぶしゃぶ事件で財政と金融が分離され名称も財務省と金融庁になったが権力構造に特段の変化はなかった。財務省が大蔵省時代と同じく ”官庁の中の官庁” といわれているのを見ても明らかである。
権勢を誇るものに鈴をつけるのは容易ではない。彼らに向かっていくらなじり叫んでも馬耳東風、彼らにとっては犬の遠吠えにしか聞こえないだろう。
70数年前に経験したように一大事件でも起きないかぎり彼らの振る舞いを変えることはできない。お先真っ暗である。だが一縷の望みはある。それを歴史に求めることができる。
幕末、黒船来航で国内は攘夷派が大勢を占めた。開国派は当時の先進国を知る一部のものに限られていた。
一部の人は日本が生き延びるためには開国しかないと考えたがこれを表明すればたちどころに潰されることが目に見えていた。
それ故攘夷派を説得しこれを取り止めさせ開国するためには外国によって腰の骨を折られるほど痛めつけられる経験をするほかないと考えこの途を選んだ。
薩英戦争と馬関戦争がそれである。この敗戦を経て国内の空気は一気に開国に傾いた。開国しなければ国がもたない、と。
官庁の中の官庁・財務省のDNAであり省是ともいうべき ”増税と緊縮財政路線” は何人も変えることはできない。
上の歴史に照らせば、”増税と緊縮財政” に加担し一度腰の骨を折るほどの経験をしなければならないことになる。
事態がのっぴきならないことにならないかぎり国民は目覚めない。
日本は空気が支配する国である。そのような時を俟つほかない。
そのような事態に至れば他の先進国並に ”徴税と財政を分離し” 国民の代表である政治家が本来の役割を果たすことができるであろう。
消費税増税が予定通り行われるか否かによって財務省の権力基盤が揺らぐとも思えない。どちらに転んでも国の腰の骨を折るほどの痛みにはならないからである。
痛みを伴わない改革はない。荒療治は誰しも望まないが残念ながらこれが唯一の解決策である。
御用学者のご託宣に従いデフレ下にもかかわらず増税と緊縮財政で日本経済をしめあげ弱体化すればその時国民は自分たちがだまされていたことに気づくだろう。
この意味において財務省のお先棒を担ぎ日本を貶める御用学者たちは国家に貢献していることになる。これほど皮肉なことはない。
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