パレスチナ系アメリカ人のエドワード・サイードは著書オリエンタリズムで、西洋・ヨーロッパ人は自民族中心主義であり、自分たちは支配する側、東洋・オリエントは支配される対象として見ていたという。
サイードがいう東洋・オリエントは中近東、北アフリカのイスラム社会である。
イスラム社会は中世(8世紀から16世紀)を通じてすべての面で西洋に優位にたちこれを凌駕していた。
ところがルネッサンスを機に西洋が東洋に対し優位になり支配と被支配の立場の関係が逆転した。
19世紀から第二次世界大戦まではイギリスとフランスが、それ以降はアメリカがこれを引き継いだ。
欧米人にとって東洋・オリエントは未熟、非合理的、非道徳的、停滞的等々、一言でいえば遅れた社会である。
そしてそのことが西洋による人種差別、植民地主義の理論的根拠と正当性を与えてきたという。
支配と被支配の関係は、サイードがいう欧米と中近東・北アフリカの関係に止まらず地球規模に拡大したため事実上西洋と非西洋の関係となった。
西洋が非西洋を支配する根拠および正当性は上の文化的側面のほかに宗教的側面も無視できない。
宗教上未開の地を開拓する使命の先兵として宣教師がその役割を担った。その根拠は聖書にある。
「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(口語訳新約聖書マルコによる福音書16章15項)
異教徒をキリスト教に改宗させるのが神の意思である。この意思は危険な要素をはらむ。
11世紀から13世紀にかけてカトリック最高責任者の教皇が提唱した十字軍遠征がその典型である。
神が造り賜うた土地を神の名のもとに異教徒から取り返す。この思想は19世紀以降の西洋による植民地政策にも継続された。
キリスト教徒にとってユダヤ教・イスラム教は異教徒とはいえ同じ啓典の民である。だがキリスト教徒にとって多神教徒はなにもかもが遠い存在である。彼らの手による枚挙にいとまがない原住民残虐は人間扱いとは思えない。
さすがにこの土地略奪の考えは1958年ガーナにおける世界伝道会議で正式に撤回された。キリスト教が帝国主義と密接に結びついていたことの反省である。
同じ一神教でもキリスト教には宣教師がいるがイスラム教やユダヤ教にはいない。布教もキリスト教ほど強制的ではない。
預言者ムハンマドが神の啓示をうける以前のアラビア半島は部族間の争いが絶えない多神教の世界であったがイスラム教誕生を機にこの争いが終焉した。
11世紀から13世紀にかけてカトリック最高責任者の教皇が提唱した十字軍遠征がその典型である。
神が造り賜うた土地を神の名のもとに異教徒から取り返す。この思想は19世紀以降の西洋による植民地政策にも継続された。
キリスト教徒にとってユダヤ教・イスラム教は異教徒とはいえ同じ啓典の民である。だがキリスト教徒にとって多神教徒はなにもかもが遠い存在である。彼らの手による枚挙にいとまがない原住民残虐は人間扱いとは思えない。
同じ一神教でもキリスト教には宣教師がいるがイスラム教やユダヤ教にはいない。布教もキリスト教ほど強制的ではない。
預言者ムハンマドが神の啓示をうける以前のアラビア半島は部族間の争いが絶えない多神教の世界であったがイスラム教誕生を機にこの争いが終焉した。
このためイスラム社会は多神教の時代を無知の時代と定義している。
一神教と多神教、視点が変わればこうも変わる。
一神教と多神教、視点が変わればこうも変わる。
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