2017年3月13日月曜日

皇位継承について 10

 19世紀フランスの社会学者デュルケームは、制度、慣習など個人の外に存在し、個人に対して強制力をもつもの、これを社会的事実と呼んだ。
 伝統主義社会下の幕末日本は社会的事実が人々の行動を制していた。
 明治政府はこの社会的事実を打ち壊した。廃刀令、断髪令、旧暦から新暦へ、廃仏毀釈、廃藩置県等々、因習・禁断を明治政府は情け容赦なく断行した。しかも大した混乱もなく。
 伝統主義の呪縛を解き放つのはいかに困難か。いまなお発展途上国で伝統の呪縛にあえぎ苦しみ近代化に取り残された国々を見れば思い半ばにすぎよう。
 機軸がない社会は脆い、近代化された体制、枠組みなどを取り入れてもすぐに独裁者が現われたり、無政府状態になったりする。
 アジアで日本のみが伝統主義のクビキを脱したが、それは皇室を機軸としたからであると先にのべた。
 ではなぜ皇室を機軸にしたから伝統主義の拘束から逃れられたのだろうか。
 それは天皇を前にしては国民すべてが平等の考えを抱くことを可能にしたからである。
 天皇を現人神として仰いだからである。神を前にすれば、国民の間の不平等など無視できるほど小さい。
 故にわずか一片の詔勅で武士の特権を剥奪するなど信じられないようなことがつぎつぎと断行された。
 一方機軸である皇室の皇位が男系男子限定と譲位不可と規定されたのは明治維新後であり、それ以前とは異なる。
 万世一系といわれはじめたのも明治維新後である。

 「日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。」 この今上陛下の ”お気持ち表明” は皇室も時代とともに歩むと示唆されている。
 男系維持派は女系天皇容認・譲位可にすれば皇室の尊厳が損なわれるというが、その論拠は説得力に乏しいことは既に述べた。
 数学者の藤原氏は自著『国家の品格』で江戸時代の会津藩の藩校『日新館』の教えに「ならぬことはならぬものです」が重要な教えであると言っている。
 また伝統にはひれ伏さなければならないとも言っている。丸山真男がいう”作為の契機の不在”を地でいくような発言である。
 このように皇室について国論が二分されている現下の日本で急激な変革は混乱を招くこと必至だ。天皇が現人神であった時代とは明らかに違うからである。
 だが皇室についての人々の尊崇の念は一つも変わっていない。昭和天皇のご容態悪化時の国民の反応はその証左である。

 日本がアジアで初めて近代化を成し遂げたがそれは日本人の生得の能力によると考えるのは自惚れにすぎる。
 敗戦直前の昭和20年8月10日の混乱は日本がいかに自己統制できないかを示した。
 昭和天皇の聖断によってはじめて事態は収拾した。聖断なければ民族存続の危機に至ったであろう。
 昭和20年8月10日の混乱と現下の皇位継承の議論とどこが違うのかというほど似通っている。議論が二分して相交わらない。
 男系天皇維持の理論は既に破綻しているがそれがただちに女系天皇容認にならない。そうすれば混乱必死だからだ。
 近代化に成功したとはいえ我々は未だ成熟した市民といえるのか疑問なしとしない。
  残念ながら皇位継承問題は鄧小平のひそみに倣い言おう ”より知恵の多い次世代に任せよう” と。

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