2016年10月24日月曜日

暴動と革命

 革命といえば真っ先にフランス革命が頭をよぎる。世界史的事件であるがゆえだろう。
 シュテファン・ツヴァイクは著書『マリー・アントワネット』で1789年7月14日パリのバスティーユ監獄の襲撃直後の様子を描いている。

 ヴェルサイユの神聖な寝室で深夜ゆさぶりおこされた国王ルイ16世は使者からパリの事件についての報告を受ける。

 ”バスティーユが襲撃されました、要塞司令官は殺害されました!かれの首は槍先に刺されて、パリ中のさらしものになっております!”

 ”それは暴動というものではないか”
 
 と眠りから起こされた不幸な支配者は口ごもる。しかし凶事の使者は無慈悲にもきびしく訂正する、

 ”いいえ、陛下、革命でございます。” 
 
 フランス革命も直後は誰も事の本質を理解できなかった。
国王ルイ16世が革命の言葉を完全に理解しなかったといって世人の嘲笑を買っていることについて、ツヴァイクは 
”生起した事件がすっかり頭にはいったときになってから、なにをなすべきだったかを見てとるのは容易である” 
というメーテルリンクの言葉を引用して国王を擁護している。
 さらに問題はほかにもあるとツヴァイクは同書で言う。

 「つまり、同時代人のうちのだれが、いまここではじまったおそるべき事件の性格を、この最初の時間に感知したろうか? 
 革命に火をつけ、革命をあおりたてた者ですら、そのうちのだれがそれを感知したろうか?
 ミラボー、バイイ、ラファイエットのごときあたらしい民衆運動の指導者すら、このときくさりをとかれた力によって自分たちの目標をこえ、自分たちの意に反してどこまで引きずられてゆくことになるのか、まったく予想がつかないでいる。
 1789年には、のちにもっとも残忍な革命家となったロベスピエール、マラ、ダントンなどすら、まだ生粋の王党派である。」

 革命は決してロマンチックなものなどではなく、陰謀だ、裏切りだ、スパイだといって血しぶきをあげて荒れ狂い止まることを知らない血なまぐさいものだ。
 この革命で活躍した代表的な政治家の一人でのちに断頭台に消えたジョルジュ・ダントンは、これぞフランス革命の革命観を表しているといわれる言葉を残している。
”われわれは下なるものを上に、上なるものを下におきたいと思う” 
 格差拡大が際限なく進む今日の世界の行く末を暗示しているかのような言葉である。
 それが暴動になるのかそれとも革命にまで発展するのか分からないが。

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