2012年11月26日月曜日

官僚システム 続々

 官僚の腐敗は、長い年月を経た官僚システムの制度疲労に由来するもので、単にスローガンだけで官僚の腐敗をなくせるほど生易しいものではない。
 2000年の長きにわたる官僚組織の歴史をもつ中国の盛衰はよい参考となる。
 中国の歴代王朝の衰退の根底には、官僚の腐敗があったと言われてきたが、現代においてもその伝統は脈々と生きている。(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/600833/
“腐敗官僚”になりたい!中国、7割が副収入に魅力
2012/10/23 16:11
 公務員になりたいとの回答者は、広東省など東部よりも陝西省や四川省など中西部の方が多く、開発が遅れている内陸ほど役人になることへの執着心が強いことが明らかになった。(共同)
 中国共産党機関紙、人民日報系の雑誌「人民論壇」がこのほど実施した官僚に関する意識調査で、回答者の70%近くが「党や政府機関の公務員になりたい」との回答を選択した。
 官僚になる魅力として70%以上が、給与以外の所得を指す「グレーな収入」が多いことを挙げた。
 約55%が「官僚の力は法律よりも勝る」と指摘。共産党は来月の党大会を控え、官僚腐敗への綱紀粛正を図る姿勢をアピールしているが、国民の間では官僚の権力や社会的地位に憧れを抱く意識が依然として強いことが浮き彫りになった。
 調査は10~15日にインターネットやアンケートを通じて実施。2823件の有効回答を得た。)
 躍進中国を妨げるものがあるとすれば、歴史的には、中国自身の内部からであろう。
 中国の歴史は、また、官僚腐敗に対する戦いの歴史でもある。腐敗官僚に対し、中国歴代王朝は知恵を絞り、さまざまな対策を立てた。
 官僚に自浄作用を求めるのは、木に縁りて魚を求む類いとし、初めから、官僚の自浄作用など期待していなかった。
 官僚システムを悪として捉え対策を練った。そしてとった対策は、官僚システムに対抗する組織をつくり、この組織にに官僚を監察する役割を与えた。
 王朝により、制度は異なれどこの姿勢は一貫していたようだ。
 しかし、これらの努力にもかかわらず中国の歴代王朝はすべて滅んだ。日本においても、官僚に自浄作用を求めるのは無理であることは、前論でのべた。中国歴代王朝のように官僚システムに組織的なチェック機能をもたせても、最終的には、すべての王朝は、腐敗し、滅んでしまった。
 官僚の腐敗がすべての原因ではなかったにせよ、根底に官僚の腐敗があったと言われている。
 げに恐ろしきは官僚の腐敗構造である。
 それでは、官僚システムをいっそなくせば解決するのか。いくらなんでも、それは暴論である。
 複雑に絡んだ近代国家は、官僚システムなしでは、運営できる筈がない。
 これと真正面から取り組む他ない。官僚が、その本来の役割に徹しできるような環境づくりが本務ではないか。
 官僚が法体系に従い、機械のように機能する環境づくりである。
 そのためには、政治家主導で官僚をうまく使いこなすことに尽きる。
 しかし、これは、言うは易く行うは難しである。日本の現状は、真逆で、官僚が主導して政治家をうまく使いこなしている。
 これが、混迷する日本の元凶である。然るに、そのような、政治家を選んだのはだれか、結局ここに帰着する。
 当の政治家は一体だれによって選ばれたのか、他ならぬ日本国民自身の自由意思によって選ばれたのである。
 現状は、日本国民が自ら蒔いた種によってもたらされたものであり、自業自得といはざるを得ない。
 苦境にあって、これを打開するには、現状を嘆くばかりでなく、まず事実を直視することから始めなければなるまい。危機に直面した駝鳥のように砂の中に頭を突っ込んでいては何の解決にもならない。
 マックス・ウエーバは、資本主義社会が成り立つためには、労働の最終目的が、成果物を得ることではなく、労働そのものであり、労働が使命となることであると定義している。また前提として厳しい倫理観が求められるとしている。
 日本の官僚システムの創設者である大久保利通は、清廉であった。あれほど権勢を誇っていたのに死後、多くの借金があることが判明した。
 夏目漱石の小説に登場する人物は、金銭にたいして厳格で、少しでもやましいお金にたいしては拒絶した、喉から手が出るほど欲しいにも拘わらず。
 もっと遡って、江戸時代では、自分の技術に自信をもち、金銭などのために筋を曲げたり、安易に妥協しない職人気質が尊重された。
 このように日本人の精神構造は、金儲けが、ほんの手段に過ぎず、けして最終目的ではなかったことがわかる。
 この貴重な日本人の精神構造こそが、短期間で近代化をなしとげ、奇跡といはれる経済成長を達成した原動力の一つとなったことは間違いない。
 近代化のための素地は備わっていたのだ。日本はこのように、近代化を成し遂げた。
 しかしながら、それは、けして民衆から澎湃として湧き上がって成し遂げられたものではなかった。
 マックス・ウエーバがいう真の意味で、資本主義社会の実現ではなかった。むしろ社会主義社会よろしく官主導の色彩が極めて濃いものであった。
 社会学者のなかには、日本は唯一成功した社会主義国であると定義する学者もいる。近代日本の歩みをみれば、形式上はともかく、実態としては社会主義そのものだ。日本がこのまま社会主義的な官主導国家のままであったら、衰退は目に見えている。
 バブル崩壊後の現状がなによりもそれを証明している。昨今の日本は、ある意味、第一次大戦後のドイツのワイマール共和国の状況に酷似している。非常に危険な状態といえる。
 日本は、衆愚政治が蔓延り、官僚システムが腐蝕し、もう一度どん底に落ちるところまで落ちねば復活する途はないのかもしれない。
 そのような事態になるのだけは避けなければならないが、日本の現状は、楽観できない。
 日本に真の意味で資本主義を根付かせるためには、母体となる土壌を根気強く耕し、諦めずに、これを求め続ける以外にない。
 実現性の如何は、国民一人一人にかかってるといっても過言ではない。
 なぜなら ”国民のレベル以上の政治家は持てない” のだから。

0 件のコメント:

コメントを投稿