2012年11月19日月曜日

官僚システム 続

 野田首相の決断で衆議院が解散になった。政治主導を掲げ、華々しく登場した民主党政権ではあったが、結果は、政治主導どころではなく、以前にもまし官僚主導となった。
 民主党については、マニフェスト違反が致命的となった。当然であろう。
 単なる約束違反という罪にとどまらず、日本に民主主義が育つ土壌を破壊したという意味で、万死に値する。
 政権奪取時の公約が、履行されなければ、その時点で直ちに政権を返還するのが民主主義のルールである。
 政権奪取後、公約を守らなくて好き勝手にしていいということになったら、それは民主主義ではなく、独裁政治となる。
 もっとも、公約はいかなる場合も変更不可ではない。環境の激変があった場合、厳格な説明責任を条件に、公約の変更は容認されよう。
 しかし、民主党の場合、マニフェスト違反に必然性もなく説明責任も果たさなかった。
 混迷した民主党にかわり、官僚は、わが世の春を謳歌した。かかる事態をみてか、第三極の日本維新の党が消費増税、原発、TPP等重要な案件の矛盾を抱えたまま、官僚主導の打破を旗印に大同団結するという。
 片や、賢明な識者のなかには、今は、デフレの脱却、福島の復興、防災、防振対策が喫緊の課題であって、官僚主導の打破ではないと主張する。
 どちらに、理があるか。結論を急ぐまえに、なぜ、この3年間で官僚が一段とその権勢を増したかを検証する必要がある。
 民主党は3年前、結党以来初めて政権の座についた。そして政治主導を掲げ華々しく走り出したが、ことごとく壁にぶつかり跳ね返された。
 高速道路無料化、子供手当て、八ッ場ダム中止、天下り廃止等々。
 また、官僚の壁に跳ね返されただけでなく、強烈なカウンター攻撃を受けた。
 不景気の中、財政再建の名目で消費増税を洗脳され、条件付きとはいえ増税を決定した。
 不景気の中での消費増税は税収減となり、財政再建はむしろ遠のくのは、橋本内閣の消費増税で経験済みの筈である。
 シロアリ退治を叫んだ本人が、シロアリの本丸に飛び込み、自らシロアリとなる。”ミイラ取りがミイラになる” しょせん日本の政治家とは、斯くの如きかと諦めたくもなる。
 悲しいかな、民主党は、経験不足、準備不足、知識不足の、ないないづくしであった。
 どの組織であれ、経験もなければ、専門的知識もない人が突然上司としてやってきて、スローガンだけで、おれのいうことを聞けといはれて、すんなりうけいれられるかどうか、自問してみればわかるだろう。
 残念ながら、これが日本の政治家と官僚の関係であるが、民主党の場合、これがあからさまに表面に現れた。知識と経験のない大臣は、官僚に指示するどころか、国会答弁にあたっては、官僚に頼らなければ何一つ答えられない光景がしばしばみられた。
 立法府たる国会で、国会議員が自ら作成した議員立法がでれば、お化けがでたかと紛うほど少ない。
 殆どが官僚が作成している。これでは国民は頼れるのは官僚であって政治家ではないと判断してしまうだろう。
 かかる事態になった淵源は、敗戦直後の混迷の時期に求めることができる。敗戦直後、マッカーサは戦争責任の一環として公職追放令を発した。
 このため保守政界では人材は払底した。吉田茂は官僚の中から優秀な人材を次々政界に引っ張り込んだ。
 「小説吉田学校」の誕生である。優秀な官僚が続々政界に進出し、ついには池田勇人、佐藤栄作などが首相にのぼりつめ中央政界を支配しただけでなく、地方では知事の大半が官僚出身者で占められるまでに至った。
 時あたかも朝鮮戦争特需をへて高度経済成長に向かい、国際社会から奇跡の経済成長ともてはやされた。
 小説「官僚たちの夏」に描かれた官僚は国士意識にあふれ、まばゆいばかりに輝いていた。景気は良くなるし、国民の給料は増える、良いことずくめである。
 主人公の風越信吾は言う「おれたちは、国家に雇われている。大臣に雇われているわけじゃないんだ」。
 この言葉に国民は何の違和感も感じなかったし、優秀な官僚に任せておけば万事うまくいく、安心だと思った。
 「最良の官僚は最悪の政治家である」などと、言おうものなら、お前は何だ、国賊か! と罵倒されただろう。
 それほどまでに、官僚に対する、国民の信頼は厚かった。
 遡って、明治維新を経た、新生日本ではどうだったか。
 横井小楠が提唱した国是三論をもとに、明治新政府がおしすすめた「富国強兵」の旗印のもと、官僚システムを総動員し、一躍列強の一角を占めるまでに立ち至り、遂には、日清、日露戦争に勝利した。
 ここでも官僚システムは遺憾なく発揮され、国民の信頼を勝ち得ている。
 日本は神国であり、「お上」が我々を勝利に導いたのであると。かくして、日本人の「お上」のスタッフたる「官僚」に対する、揺るぎない信頼の原型がこの時代に確立されたとみても差し支えないだろう。
 このように、官僚に対する信頼は、日本人のDNAに深く刷り込まれている。
 明治の新生日本から、奇跡といはれた高度成長期に至るまでの、輝かしい成功体験により、日本人の官僚に対する信頼は、生得観念と紛うほど強固になった。
 ここでのキーワードは”成功体験”である。成功体験ほど人を勇気づけるものはないが、同時に、成功体験ほど罠が用意されているものはない。
 しばしば失敗例としてあげられる大艦巨砲の戦艦大和は、後者の例の典型である。
 日露戦争の日本海海戦で、東郷平八郎元帥率いる連合艦隊は、大艦巨砲と艦隊決戦で、ロシアのバルチック艦隊を撃破した。
 この戦闘での成功体験が対米戦争でも引き継がれ大艦巨砲主義が廃れることはなかった。
 第2次世界大戦では、すでに航空機が主役を演じているにも拘わらずにだ。結果は周知の通りである。
 成功体験により培われた国民の官僚システムに対する信頼は、相次ぐ官僚の不祥事で、昨今、その信頼が揺らいでいる。
 この傾向はバブル崩壊後顕著になり、底知れずデフレが進行し、リーマンショック、東日本大震災を経て、事態は加速度的に悪化した。
 いままで経験したことのない事態に対して、官僚が全く無能であることを図らずも証明した。
 しかし、官僚システムは自己増殖機能をもつ。国民の信頼の有無にかかわらず、肥大を続ける。利権と権限を求め、果てしなく増大する。
 これはどこかで止めなければならない。さもないと、国家が消滅してしまう。中国の歴代王朝の歴史はその繰り返しであったことが雄弁に物語っている。
 先に述べた、デフレの脱却、福島の復興、防災、防振対策は喫緊の課題であるが、これを完遂するためには、政策が”有効に”実施されなければならない。
 これを担保するのは、官僚システムの”有効な機能”である。
 したがって、この二つは切り離して議論すべき問題ではない。今度の選挙で、第三極は日本の官僚システムを立て直すことを大同団結の旗印にしている。
 日本の官僚システムの成り立ち・経緯を知る限り、これを立て直すのは容易なことではない。
 第三極を、風車に向かって突撃するドンキホーテ、といっては言い過ぎだが。

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