2019年1月14日月曜日

梅原猛の死

 聖徳太子は自殺か心中した、法隆寺は聖徳太子とその一族の怨霊を鎮めるために建立された、など大胆な推論で有名な哲学者の梅原猛が一昨日亡くなった。
 その知的領域は哲学にとどまらず歴史、宗教、文学、美術などに及んだ。
 これからはどの国もお手本にならない。このことを熱く説いた司馬遼太郎との対談がある。

 「梅原:日本の歴史には、外との接触でワーッと湧き立った時代と、じっと内にこもった時代がありますね。平安時代というのも、じっと内にこもった時代です。
 司馬:平安と徳川ですね。
 梅原:ええ。どちらもその前に外国文化輸入の時代がある。
 仏教文化が入ってきた奈良時代。そのあとじっと内にこもって平安文化ができる。私は平安時代に日本文化の基礎ができたと思うんです。
 日本人が再び大きな文化的ショックを受けるのは、やはりキリシタン文化との接触でしょう。
 徳川の三百年はこの文化的接触を恐れて、日本がじっと自分の中にひっこんだ時代だと思います。
 そこへペリー以下がやってきた。今度はひっこんでいられない。なぜなら接触を恐れて通交を拒絶したら、大砲の弾が飛んできますから。
 考えた挙句、西洋文化を学ぶことによって、西洋に追いつき、西洋に勝る強い国、豊かな国になろうということになった。
 しかし今じっと内にこもる時期がきていると思うんです。唐の真似をしていたら唐がダメになって、仕方なく内にこもらざるを得なかったのが平安時代。
 明治以来、西洋の真似をしてやってきたが、どうやら西洋の方がダメになったらしい。
 ヨーロッパは生気がないし、アメリカもなにやらガタついている。といってソ連は不自由な国らしいし、お隣の中国も文化大革命とやらでゴタゴタしている。
 どこにもお手本がないから、じっくり内にこもって自分で考えるしかない ー そういう時期にきていると思うんですよ。
 あとはここで、ちょうど坂本竜馬が、明治百年の見通しを立てたように、射程の長い見通しをこれからの日本について立てる、そういうことがいま必要になっているような気がするんです。
司馬:そういうことですね。」
(司馬遼太郎対談集1970年1月文春文庫『日本人を考える』)

 梅原猛が挙げた国々の現状は当時よりよくなっているとも思えない。とてもお手本とはし難い。
 『日本独自の射程の長い見通しを立てよ』 勇気と好奇心あふれるこの哲学者の言葉は重い。

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