江戸時代の代表的な国学者である本居宣長は仏教、儒教など外来思想ではなく神話など日本古来のものを尊重した。
日本固有の精神や情緒を尊ぶという意味で日本における原理主義(ファンダメンタリズム)の先駆者である。
彼は1790年代に著した「古事記伝」のなかで日本人の「神」について定義している。
「凡て迦微(カミ)とは古御典等(イニシエノフミドモ)に見えたる天地の諸(モロモロ)の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(ミタマ)をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて、可畏(カシコ)き物を迦微とは云なり。
すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(イサオ)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(アシ)きもの、奇(アヤ)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり。」(本居宣長著『古事記伝』三ノ巻)
出雲大社紫野教会はだいたいの意味を現代語に訳している。そして同教会は、この本居宣長の迦微(カミ)の定義は現在の神道界でも妥当な定義だとして高く評価されていると説明している。
「神とは古事記などの神話に出てくる神を始め、神社にお祀りされている神霊のことをいい、人間、動植物、海山といった自然など、何であれ普通でない優れたところがあって恐れ多いものを神という。
優れているというのは、尊いものや善いものや功績があるものなどが良い方向に優れているものに限らず、悪いものや不思議なものなども普通でなく恐れ多いものを神という。」
悪いものや不思議なものなどとは、具体的には「祟り(タタリ)」などを招くおそれのあるものを迦微(カミ)として崇(アガ)めるということだろうか。
本居宣長がいう迦微(カミ)とは、このような万物に神が宿るという汎神論のみならず、古事記の天地創成の唯一神をも含む巾広い意味に解釈することも可能である。
古事記の神話は、混沌の世界が天と地に初めて分かれる時点からスタートする。
教義の有無(啓典宗教は有り、神道は無し)を除き天地創造という意味ではユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信仰する啓典の民の唯一神と同じである。
一言でいえば、われわれがおおよそ神として認識しているものをすべて網羅している。
本居宣長のこの迦微(カミ)の定義から約1世紀後、明治33年(1900年)アメリカ人の初代宣教師デビッド・タムソンは日本在住37年を顧みて、「日本人と宗教」について語っている。
「日本人は気軽なる人民なり。災難などに遭遇することあるも、長く之れを恐怖すること少なきが如し。
宗教に於ても正直に信仰す。されど余が今日までの実験に依れば、罪悪のため甚しく悲しむを見たること少し。如何なる人民と雖も其の宗教心に二つなき筈なれど其の環境の異なるに従て、其の傾向を異にするものなり。
敬畏すべきエホバの神を信ずるユダヤ人と、親しみ易き地蔵観音に依頼する日本人とは、其の宗教心自から異りて、其の信念の傾向を別にするに至るは、止むを得ざることといふべし。」
(森岡清美著佼成出版社『アジア仏教史日本編Ⅷ近代仏教第二章近代社会におけるキリスト教の発展』植村正久と其の時代第一巻から引用 )
森野氏は日本人の神の概念をキリスト教のそれと比較して言う。
「気軽で災難を苦にしない代わりに罪悪をも苦にしない日本人は、敬畏すべき神よりも親しみやすい神を慕う、と。
親しみやすい神とは家の守護神であり、地域の鎮守であり、またこれらの機能を補充する機能神である。
日本の神仏は多かれ少なかれかかるものとして存立してきた。人間にとって役に立つ神、役に立つように操作可能な神であった。
このような宗教的世界へ、人間中心ではなく神中心の宗教、神の栄光のために奉仕するところに人間存在の意義を求める宗教が導入されても、受け容れられにくいことは火を見るよりも明らかである。」(前掲書)
日本の神仏は多かれ少なかれかかるものとして存立してきた。人間にとって役に立つ神、役に立つように操作可能な神であった。
このような宗教的世界へ、人間中心ではなく神中心の宗教、神の栄光のために奉仕するところに人間存在の意義を求める宗教が導入されても、受け容れられにくいことは火を見るよりも明らかである。」(前掲書)
このような迦微(カミ)を信じる日本人に神中心のキリスト教が受け容れられないのは止むを得ないことと半ば匙をなげている。
日本人の原始的な宗教観はこの本居宣長の迦微(カミ)がベースになっているかもしれないが日本の宗教あるいは国教と呼べるものは国策に振り回されてきた歴史がある。特に近世においてはそうである。
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