日本と韓国は隣国同士で互いに似ている。顔だけからはほとんど見分けがつかないし、態度、所作なども似ている。
おそらく外国のなかで一番身近い存在であろう。日本でも韓流ドラマが人気があるのも頷ける。
ところが一歩踏み入んでコミュニケーションしようとすると違いが鮮明になる。
韓国にとって相手が日本だと他の国と違って異常な反応を示す。これは個人や国家レベル問わずそうである。
だが歴史的にみればこのような異常な関係は最近のことである。鎖国下の江戸幕府に朝鮮通信史は訪れていたし、百済とは特に親密であったことは既に述べた。
なぜこうなるのか。その原因は社会構造、中でも宗教と親族構造の違いにある。
韓国は宗教国家であり、中国伝来の儒教と儒教の反動としてのキリスト教がしっかり根付いている。
これに比し明治の伊藤博文や井上毅が指摘したように日本国民の宗教は微弱である。
儒教の教えは公よりも父母優先、日本は公優先。例えば、自分の親が罪を犯したとしてもあくまで親をかばうのが儒教の教えであるが、日本ではそうは教えない。
公優先だから。親が病気で倒れたとしても公の約束を優先する。
スポーツ選手や芸能人が親が危篤にもかかわらず仲間や観客を優先して仕事するなどよく聞く話である。
小室博士は日韓の社会構造の違いを俯瞰して言う。
「儒教が韓国において宗教として人びとの生活に定着した最大の理由は、親族構造が中国と同型であるからである。
儒教は、中国の社会構造(とくに親族構造)を前提としての宗教である。
この点、ユダヤ教やヒンズー教と同様であり、仏教、キリスト教、イスラム教とは異なる。
それゆえ、日本のように、中国とはまったく社会構造を異にする国へ、宗教として伝えられることは不可能である。
これに対し、親族構造が同型であるがゆえに、韓国へ、儒教は宗教として伝えられ、人びとの生活を規定している。
韓国の親族構造は、部外婚を有する父系集団を基礎におく。中国、インド、古代ローマの親族構造と同型である。
父系集団とは、父から子という血縁関係を基にして形成された集団である。父系集団が形成される社会を、父系社会という。
中国、インド、古代ローマ、イスラエル、アラブ諸国は父系社会である。ヨーロッパ諸国は、父系社会ではないが、きわめて父系社会に近い社会である。
日本は父系社会ではない。かといって母系社会でもない。また、父系母系いずれに近い社会でもない。この意味で日本に『血縁』はないといえる。」
(小室直樹著光文社『韓国の悲劇』)
韓国には血縁はあるが血縁カリスマはない。日本に血縁はないが血縁カリスマがあるという。
源氏、平家、徳川など家系の威力の凄さはいまさら説明不要。ところが日本ではこの家系図は売買の対象であった。
世が世なら、若や姫と呼ばれる家系であっても先祖が夜店ならぬ家系図屋から買ったものであったとしたら・・・。
だが日本人はそんなことは気にしない。血縁社会でないからだ。
ブランド品の偽物づくりは韓国の得意技かもしれないが、こと家系図については韓国が本物、日本は偽物である。
血縁関係を基にした父系集団とはどんな社会か。中国でいえば宗族であり韓国では本貫である。
血縁関係は血縁共同体をつくる。会社でいえばコチコチの同族会社であり、同族以外の人が中枢になることはない。
能力があろうがなかろうが、大企業であろうが中小企業であろうが関係ない。
このことが守られてはじめて血縁共同体といえる。日本の同族会社は優秀であれば社長が婿養子や娘の婿を後継者とする。このようなことは血縁共同体ではありえない。日本が血縁共同体ではないゆえんである。
本貫は厳格な父系集団である。女性は結婚しても夫の本貫には入れない。結婚して何年たとうが関係ない。姓も別々のままである。
本貫同士は結婚できないし、他の本貫から養子をとることもできない。いとこ同士で結婚したり他人を養子にする日本とは全く異なる。
血縁共同体の韓国と血縁共同体ではなく戦前の村落共同体から会社共同体となった日本。
血縁共同体を基に儒教が根付いている韓国と宗教が微弱な日本。
これらの違いは社会の基本構造の違いに外ならず相互理解は容易でない。
日韓の歴史認識にズレがあるのは、上のような宗教と親族構造の違いがあり、これが原因の一つとして挙げられる。
社会構造は人びとの行動様式について外面だけでなく内面にまで係わり、これを規定するからである。
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