そしていま新たな冷戦ともなりかねないウクライナをめぐる紛争がある。ウクライナ紛争は背後に核大国である欧米とロシアがそれぞれ控えている。この紛争も解決したわけではなく一時的棚上げといったところか。
紛争が未解決のまま放置されると社会が中毒症状となり、戦争以上に悲惨なことになりかねない。
さりとて核兵器を使った大規模な戦争もおこし難い。なんとも中途半端でいつの日か爆発するかもしれないマグマが蓄積されているようなものだ。鬱積した不満はどこにはけ口を求めればいいのか。
国際法には、平時国際法と戦時国際法がある。
国際法には、平時国際法と戦時国際法がある。
戦時国際法には戦争とははっきり明示されていないが事実上制度としして認められている。これが行使できなければ国際紛争の解決には他の方法に頼らなければならないがいまのところ何も有力な解決方法がない。
それではどうすればよいか。簡単に答えなど見つからないが、現実を忘れず平和への努力、新しい法の開発を目指して努力を続けるほかない、というのがわが国社会科学の泰斗 小室博士の処方箋である。
「真の平和を願う者のなすべきことは何か。
「真の平和を願う者のなすべきことは何か。
① まず、戦争の文明史的本質を洞察することである。ポイントは二つある。
(ⅰ)戦争とは国際紛争解決の手段である。
(ⅱ)戦争以上に合理的で実効的な紛争解決の手段を創造しないかぎり、戦争はなくならない。
② しかし、現在そのような一段と次元の高い国際紛争解決の新メカニズムは、その萌芽すら現れていない。
具体的な方向すらまだ発見されていない。国際社会は五里霧中である。
だが、具体的な努力目標もないということではない。方向はわからなくとも、少なくとも準備作業の何たるかは明らかである。それは、
(ⅰ)長期的には、国際法の成熟を目指して、複雑きわまる組織的努力を続けることである。
(ⅰ)長期的には、国際法の成熟を目指して、複雑きわまる組織的努力を続けることである。
その一環として戦争に関する法の開発がある。しかし、具体的な方向が定まらないので、当面はやみくもの努力以外にやりようがない。要するに試行錯誤の段階である。
(ⅱ)短期的には、これと並行して、現行の国際法の枠内で、できるかぎり具体的に戦争の勃発を減少させる努力を続けることである。
(ⅱ)短期的には、これと並行して、現行の国際法の枠内で、できるかぎり具体的に戦争の勃発を減少させる努力を続けることである。
ただし、これを戦争廃絶の努力と錯覚してはいけない。
③ 前項のような努力を続けてゆく過程で、ひょっとしたら、戦争以上に合理的で実効的な国際紛争解決の新メカニズムについて、おぼろげながらヒントが得られるかもしれない。
③ 前項のような努力を続けてゆく過程で、ひょっとしたら、戦争以上に合理的で実効的な国際紛争解決の新メカニズムについて、おぼろげながらヒントが得られるかもしれない。
これは祈りにも似た悲願である。
④ その間、現実の戦争の可能性に対しては、物心両面で十分備えがなくてはいけない。
④ その間、現実の戦争の可能性に対しては、物心両面で十分備えがなくてはいけない。
このことは、平和への努力、平和への祈りと矛盾することではない。むしろ、そうしないことが、結果として平和主義と矛盾することになる。
以上が、真の平和主義の核心である。
まことに、新しい制度の創造には、それに相応した基礎的な法秩序の成熟が前提となる。
以上が、真の平和主義の核心である。
まことに、新しい制度の創造には、それに相応した基礎的な法秩序の成熟が前提となる。
それを達成するまでは、これと並行して現実的に対応することが不可欠である。それが、文明の鉄則である。」
(小室直樹著光文社『新戦争論』)
核兵器時代における戦争の勃発を防ぐ努力は喫緊の課題である。ひとたび核戦争が勃発すればその惨禍ははかりしれないからである。小室博士は戦争以上に合理的で実効的な国際紛争解決の新メカニズムは祈りにも似た悲願であるといった。今のところ世界の現状は新メカニズムのおぼろげな曙光さえ見えない。
つぎに被爆国であり非核保有国であるわが国の防衛について考えてみよう。
核兵器時代における戦争の勃発を防ぐ努力は喫緊の課題である。ひとたび核戦争が勃発すればその惨禍ははかりしれないからである。小室博士は戦争以上に合理的で実効的な国際紛争解決の新メカニズムは祈りにも似た悲願であるといった。今のところ世界の現状は新メカニズムのおぼろげな曙光さえ見えない。
つぎに被爆国であり非核保有国であるわが国の防衛について考えてみよう。
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