2014年6月9日月曜日

「目覚めた獅子」中国 6

 ある国民の基本的な行動様式は、その国の長い間の歴史と伝統によって培われたものであり、一朝一夕に変わるものではない。
 例えば、先の大戦下の日本人と現在の日本人の行動様式はどうか。天皇を頂点とする村落共同体から会社等を中心とする職場へと変わったが、生活の基盤が共同体であることに変化はない。 共同体の内と外の規範が異なる二重規範も同じ。表面的には変わっても基本部分は何ら変わっていない。
 村落共同体下では共同で田植えした。これに手伝わなければたちまち村八分。現在は、職場の誰かの親族の葬儀があればこぞって参列する。社長の親族の葬儀ともなれば、これに参列しなければ冷や飯を食わされること間違いなし。
 野球の選手は親が危篤であっても重要な試合であれば欠場しない。それが親の望みでもあるから。
 このように日本社会は、今も昔も、仕事を中心に共同体が形成されている。
 一方、妻の育児を手伝うためにに大事な試合を放棄して帰国する外国人選手にチームメイトもファンもただ唖然とする。
 行動様式はかくも違う。
 中国はどうか。およそわれわれが想像だにできないような共同体によって社会が構成されている。
 タテの共同体たる宗族とヨコの共同体たる幇(ほう)以下である。中国の歴史を跋渉した小室博士は解説する。

 「幇は共同体である。共同体の第一の特色は、二重規範にある。共同体の中の規範と外の規範とは全然ちがう。(中略)
 幇内の規範は絶対的である。誰もが絶対に無条件で守らなければならない。
 いかなることにも斟酌の余地は全くない。断じてあり得ない。
 これに比べ、幇外の規範(倫理、道徳、法律)は、すべて相対的である。これを守るかどうかは、当人の人格・人柄、当該の条件・状況・事情による。つねに斟酌の余地がある。
 ここが、中国の本格的理解の急所である。マルクスならば、『ここがロードス島だ、おどってみろ』と言うところだ。」(小室直樹著徳間書店『小室直樹の中国原論』)

 なお中国のヨコの共同体は 知人→関係→情誼→幇 の順に強くなっていく。

 「中国は父系社会である。父を同じくする者が一つの集団(父系集団)をつくる。これが父系社会である。
 父→子、によって集団をつくるという原則は、何代までもくりかえすことができるから、父系集団はいくらでも大きくなりうる。
 この父系集団が十分大きくなったとき、これを宗族という。(中略)
 この宗族が中国人にとってどれほど重要であるか、血縁を知らぬ日本人には想像すらできまい。
 日本人は、去る者日々に疎し、などと言い、遠くの親戚よりも近くの隣人を大事にし、頼りにする。
 ひとたびムラから出て行った人の子供がムラに帰ってきても、なかなかとけこめるものではない。
 それどころか、もとはムラの住人であった本人すら、何十年ぶりになつかしのムラに帰ってきても、人間関係がよそよそしくなっていて居心地はよくない。
 日本人は、こんなことは世界共通の現象だと思っているかもしれないが、これこそ、とんでもない誤解だ。
 これは、血縁なき社会たる日本の特徴なのである。
 中国は全然ちがう。中国では、同一宗族に属する一度も会ったことのない若者が二人、サンフランシスコあたりでばったり顔を合わせたとき、そうだとわかると、たちまち、兄弟のごとく親しくなってしまう。
 日本人には信じられないかもしれないが、れっきとした事実なんだから仕方がない。
 宗族のなかに優秀な子がいると、見ず知らずの間柄でも、大金を投じて留学させてやる。こんなことは少しも珍しくない。」(小室直樹著光文社『資本主義中国の挑戦』)

 中国はタテの宗族、ヨコの 知人→関係→情誼→幇 と順次強くなる複雑な共同体からなっている。それぞれの内の規範と外の規範は天と地ほど異なる。
 中国人にとって、タテの共同体に属さず、いかなるヨコの共同体にも属さない人間は、中国人にとってはいわば化外の民にも等しく、極論すれば中華文明の及ばぬ未開人である。
 勿論、時代がすすみ、グローバル化の現代においては、いかに中国人といえども、まともにこのように考える人はいまい。
 が、宗族と幇からなるタテヨコの共同体は深く中国社会に根付いていて折にふれ中国人の心に頭をもたげ、行動を束縛して離さない。
 ルース・ベネディクトが指摘した日本人の恥の文化が折にふれ日本人の心に頭をもたげるように。
 このことを十分腑に落とし込まなければ中国を理解することなど到底無理だ。
 先に記したように中国人の基本的な行動様式は、時代が変わり、体制が変わっても変わることはない。毛沢東以前も毛沢東以後も中国人の基本的行動様式は同じ。
 中国でビジネスする困難さは夙に言われているがその背景にはこのような中国独特の日本とも西欧とも異なる共同体規範の存在がある。
 さらに中国とのビジネスを困難にし見逃せないものに法に対する考え方がある。
 これは、今日、日中間の諸問題の原因の一つになっているほど深刻な問題である。

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