2013年1月14日月曜日

経済学の法則 続

 長期低迷の原因は、日本独自の理由によるところが大きい。それを克服するためには、経済学が教える正しい処方箋に従わなければならないが、現状はうまく機能しているとは言い難い。
 バブル崩壊後、20年も低迷が続いている現状は、どうみても、通常経済時ではなく、恐慌経済時に当て嵌まる。経済学が教える恐慌経済時の不況克服策は、財政出動し、公共事業で需要を喚起することは前稿で述べた。
 リーマン・ショック以降、これに加え、日本独自の要因として為替の問題が発生した。


 図のようにリーマン・ショック以降アメリカはすざましいい勢いでマネーを供給したが、日本は伸びていない。
 これがひどい円高を招き、製造業を痛めつけ、産業の空洞化を招いた。
 円高は、日銀が説明する少子高齢化などではなく、相手通貨との量的比較であり、データ的にも論破されている。
 為替を、少なくともリーマン・ショック以前の1ドル 90~100円までにしなければならないと、少数の心ある経済学者は主張している。
 この深刻な長期にわたるデフレ不況に正しい処方箋は、財政出動による需要の喚起と金融緩和による円安誘導であることは、海外のポール・クルーグマンなど著名など経済学者も賛同している。
 これらの意見が少数であることが日本の異常な現状を表わしている。何故少数であるかについては後述するとして、幸い、この少数の意見を掲げ、過日の選挙を勝ち抜いた安部政権が誕生し、事態は好転の兆しがある。
 経済の体温・株価が上昇しはじめ、為替が円安に振れだした。この新政権の施策が、順調に実施されれば、日本は復活し、国民の生活は安定し、国際社会からも信頼を取り戻すに違いない。
 これこそが、正しい政治主導であるが、過去幾たびとなく、期待を裏切られた国民からすれば、砂漠にオアシスを発見した想いとともに、それが、蜃気楼ではないかとの疑念を完全に払拭するまでには至っていないというのが正直な感想だろう。
 新政権が、目指す施策をかかげただけで、斯くも国民のマインドが好転した一事を以ってしても、少数の経済学者の意見が正しかったことの証左となろう。
 裏返していえば、長い間、これらデフレ不況の正しい処方箋は、無視され、封じ込められていたともいえる。
 何故、このようなことが起きるのか。そこには日本独特の構造が浮かび上がってくる。
 我々は、権力・地位や金銭をまえにどれだけの抵抗力をもっているだろうか。もっとはっきり言えば、個人にたいする権力や金銭的利益が、公的な目的と相反するとき、公的利益を優先すると勇気をもって断言できる人がどれだけいるか。
 結論的にいえば、この個人的な権力や金銭の誘惑に負け、国家・国民の利益を犠牲にした結果、少数の正しい、経済学の法則は無視され、封じ込められてきたのが日本の現状であるといえる。
 具体例に移ろう。
 まず、財政出動。財務省は、自らの論理、省益のため利益と権限拡大のため、財政出動するよりも、消費税増税を推進してきた。
 役所の審議会のメンバーになることは学者にとってステータスの一つになるらしいが、この審議会に呼ばれるのは、財務省の意向を汲んだ学者、悪くいえば御用学者である。
 したがって、審議会のメンバーになるためには、自説を曲げても財務省の意向に沿うような発言をする。
 いくらデフレ不況時には、財政出動し需要を喚起するのが正しいとおもっていても、直接に、あるいはマスコミ等を通じ間接に、財務省によって説得、懐柔されてしまう。
 そうでもしなければそもそも審議会のメンバーなどになれない。自らが財務官僚であった、嘉悦大学の高橋洋一教授が至るところで発言している事実である。
 次に、為替政策。日銀はDNAとして、インフレは極度に恐れるが、デフレはそうでもないようだ。
 産業の空洞化を招き、実質の失業者が増大し、経済的困窮から年間3万人もの自殺者をだしてきたデフレ。この元凶は、極度の円高が主要な原因の一つである。
 それにもかかわらず、何故、日銀は円安誘導してこなかったのだろうか。
 白川日銀総裁は、円を増刷すれば、円安誘導ができることを十二分に知っている。日銀総裁になる以前、シカゴ大学で学んだ頃、通貨政策が為替の変動に効果がある旨の論文まで発表しているのだから、円安対策を知らない筈はない。
 しかし日銀総裁になった後の発言は、この論文とはことなる発言に終始し、円の増刷には、消極的だ。
 デフレは少子高齢化が原因であるなどと発言している。それ以前に、そうでも発言しなければ、そもそも日銀総裁になることもできなかったのだろう。
 日本国民がデフレ不況にあえごうが、不況で自殺者がでようが、日銀における自らの立場を最優先にしているといわれてもしかたない。白川氏本人は、案外、ドイツの文豪ゲーテの作品ファウストの主人公、悪魔に魂を売ったファウスト博士の心境かもしれない。
 このように全うな政策がきかない原因は、自らの立ち位置を守る組織の論理があらゆるものに優先しているからである。
 これを組織の内部から変革することは組織の論理上不可能だ。国民の声を代弁する政治に期待するほかない。昨今その曙光がほのかにみえるような気がする。期待して止まない。

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