2019年8月26日月曜日

日本国憲法考 2

 1919年ドイツで制定されたワイマール憲法は当時最も先進的で民主的な憲法といわれた。
 だがナチ党が権力を掌握し同法のもとで全権委任法が成立するとワイマール憲法はほぼその機能を停止した。ヒットラーは合法的にドイツの独裁者になった。
 いくら模範的な憲法であっても運用如何によって簡単に独裁化する格好の例である。

 わが国の憲法もしばしば機能不全に陥った。その原因は「空気」といわれる日本独特の現象とこれまた日本特有の「役人の害」であった。

 山本七平は日本は空気が支配する国であると言った。何らかの原因で空気が醸成されその勢いが拡がればその空気が人びとを拘束しそれに抗うことはできないという。
 昭和天皇が重篤の病に伏されたときの国民の自粛はその典型である。
 誰が命令したのでもないのに自粛が全国隅々までゆきわたり誰もそれに抗うことはできなかった。この自粛の空気は昭和天皇の病を気遣うことから逸脱して自粛のための自粛が自己目的化し日本中を覆った。
 社会学者の小室直樹博士は「空気」が憲法を機能不全にした戦前と戦後の事例を挙げている。

 一つは、昭和12年7月の盧溝橋事件を発端とする支那事変のときのことである。
 昭和12年12月南京が陥落した。これ以降日本は世を挙げて戦勝気運に満ちていた。
 こういう最中の昭和15年2月民政党の斎藤隆夫代議士は議会で反軍演説した。
 支那事変はすでに戦死者10万を超え、負傷者はその数倍という犠牲を払っている。政府は支那の主権を尊重し領土や賠償を要求しないといっているが一体この戦争でなにを得るのかという趣旨の疑問を投げかけた。
 ところがこの質問に対する迫害が軍部ではなく議会の同僚から来て斎藤代議士の発言は「聖戦目的を侮辱するものである」として、衆議院本会議で彼の除名が決定した。

 「言論の自由こそが議会の砦であるはずなのに、その砦を議会みずから明け渡した。これはまさしく『議会の自殺』です。
 ピューリタン革命を見れば分かることですが、権力者からどんな弾圧を受け、議会が解散させられようとも、その議会はやがて不死鳥のように復活する。議会には、それだけの力がある。
 しかし、議会みずから死を選んでしまったら、これはどうしようもない。2度と復活しない。斎藤隆夫が除名されたのは昭和15年3月7日です。この日、戦前日本のデモクラシーは死に、明治憲法も死んだ。」
(小室直樹著集英社『日本人のための憲法言論』)

 この聖戦は正しい、軍部を批判するとは何事か、という空気になった。こうなればどんな良心的な議員でもこれには勝てない。

 もう一つは、昭和51年7月全日空の飛行機選定にあたり田中角栄がロッキード社から5憶円の賄賂を受け取ったとされ逮捕された事件である。
 最初のうちは前総理の犯罪ということでみんな驚いた。そのうち金権問題で首相を辞めた田中角栄ならそのくらいの額は受け取っているだろうとなり、それがいつの間にか受け取っていないはずはないという空気になった。
 そうなれば誰もこの空気を止められない。検察も世論とマスコミに背中を押されて見切り発車で彼を逮捕した。
 あとは証拠や証人を集めるほかないがなかなか集まらない、物証がなく証人もいないのだ。
 困り果てた検察はアメリカの法律にはあるが日本の法律にはない刑事免責の特例を裁判所に申請した。驚くことに裁判所がこれを認めた。
 検察は田中角栄に5憶円の賄賂を贈ったとされるロッキード社副社長のコーチャンを証人に仕立てアメリカの裁判官の前で証言させ記録をとって持ち帰り嘱託尋問調書としてまとめ日本の裁判所に提出した。

 「ローッキード裁判においては、この証言を行ったコーチャン氏に対して、被告の側が反対尋問をする機会が一度も与えられなかったということです。
 アメリカの裁判所で行われた証言では、アメリカの裁判官と日本の検事だけが立ち会った。
 そこには被告の弁護士はいませんでしたし、その後も被告側はコーチャン氏に反対尋問を行う機会を与えられなかったのです。これは紛れもない憲法違反です。」(前掲書)

 憲法第37条第2項で被告人の反対尋問の権利が認められているがロッキード裁判ではこれが認められなかった。
 憲法で認められた権利が認められないというあり得べからざることが起きた。憲法が機能不全に陥ったというほかない。
 ロッキード裁判は日本中を覆った「角栄は悪いやつだ」という空気が検事や裁判官をもまきこんだ異常な裁判であった。

0 件のコメント:

コメントを投稿